『三銃士』2013.6

(1)

 『婚約者』を読んでいたら、リシュリュー卿の名前が出てきた。なじみのある名前のようだと思ったら、『三銃士』に出てくるのを思いだした。

 子供の時に、学校の図書館で読んだが、続きは映画を見ただけだ。この際だから、シリーズ全部読んでみることにした。

 児童用の省略版ではなく大人用で読むと新しい発見でもあるかと思ったが、最初は特にどうということもなかった。

 ただ、どうして、ダルタニャンと三銃士は王妃側に味方するのかがよくわからない。『二十年後』になると「何のために、誰のために」が、ますますわからなくなる。何のため、誰のためというより、自分のため、あるいは冒険のためか。単純に、作者がストーリーを面白くしようと思ってのことかもしれない。


(2)

 講談社から『ダルタニャン物語』全11巻が出ている。『三銃士』が1、2巻、『二十年後』が3、4、5巻、『ブラジュロンヌ子爵』が残り6巻だ。昭和40年代発行となっている。第二部が第一部の1.5倍、第三部が第二部の2倍、だんだん長くなっている。徐々に引き込まれていくので、これでよいのかもしれない。

 初めてというか唯一、読むのを途中で止められずに徹夜してしまったのが、同じ作者の『モンテ・クリスト伯』の下巻だ。それだけ面白かったというのもあるが、それだけ分量が多かったということにもなる。そして、上巻は途中で読むのを止められたが下巻は止められなかった。

 『モンテ・クリスト伯』の上巻は脱出劇で、下巻は復讐劇だ。自分の父親は上巻の方がおもしろくて好きだと言っていた。自分は、下巻の方が面白かった。なぜかといえば、「それぞれの人間がしたことと、それぞれが受けた復讐とがつり合いが取れているか」ということに興味を引かれたからだ。作者が因果応報のつもりで書いたのか、それともそのつり合いがとれていない悲劇のつもりで書いたのか、最後までわからず、今現在もわからない。


(3)

 講談社のダルタニャン物語の訳者は鈴木力衛だ。先に岩波文庫の『三銃士』の上巻を読んだので、それと比べてみた。岩波文庫版の方が少し内容がわかりやすいように感じる。会話が続いた時にどれを誰が話したのかがわかりやすいという違いだ。

 とはいえ、第三部まで全部読むとすれば、鈴木訳でいくしかないので、慣れるために『三銃士』後半から講談社版で読むことにした。

 会話が続く場合に誰が話したのかを最小限に記述するのは、原作者のデュマの文体なんだと思う。話の内容と登場人物の性格がわかると、誰が話したのかがわかるということだろう。その点では、読んでいて気を抜けないところがある。

 誰が話したのか理解が追い付けなくなったら、休憩のタイミングなんだろう。なにしろ、一気に読める分量ではない。


(4)

 第二部では、マザラン枢機官の政治に不満を持つパリ市民と反マザラン派の貴族が結びついて、マザランを脅かす。マザランは自分のために働いてくれるようダルタニャンに持ちかける。ダルタニャンは承知して昔の仲間に協力してもらおうとする。

 アトスとアラミスは、既に反マザランの貴族の仲間だったので、ダルタニャンの依頼を断る。褒美として貴族の爵位が欲しいポルトスだけが応じる。

 ダルタニャンは、市民軍らが包囲する中を、マザランとルイ14世とその母親(ルイ13世の妃)をパリから脱出させる。

 その頃、イギリスではチャールズ1世に変わりクロムウェルが政権をとる。チャールズ1世の妃が、ルイ13世の妹だったため、王妃とその娘がフランスを頼って逃げてきた。

 アトスとアラミスはイギリス王妃の依頼で、チャールズ1世をイギリスから助け出すためイギリスに渡る。クロムウェルは、マザランにフランスがチャールズ1世の亡命先にならないよう書面を送り、ダルタニャンとポルトスはマザランからクロムウェルを助けるように言われイギリスに派遣される。

 チャールズ1世がクロムウェル軍に捕らえられた時、ダルタニャンとポルトスはアトスとアラミスを捕虜にする。ダルタニャンとポルトスはアトスとアラミスを助けるため、二人と協力してチャールズ1世を救い出そうとするが、失敗しチャールズ1世は裁判にかけられ絞首刑になる。

 チャールズ1世は死の直前、アトスに隠し財産があることを伝え、チャールズ2世がイギリス国王になるために役立ててくれるよう頼む。

 徳川の隠し財産の話をバカにしていたが、まんざらありえない話でもないように思えてくるが、この埋めてある財産の部分が史実かどうかはわからない。

 どっちにしても、この隠し財産の原資は税金で国民の負担だろう。トップの顔がどっちだろうと国民にしてみれば、税金が安い方がいいだろうに、無駄な負担だ・・

 と思ったところで、今だって政権交代のために税金を使っている点は同じだと気付いた。選挙だってお金がかかり税金を使っている。いちいち戦争をして血を流さないという点が重要で、政権交代のために国民がお金を負担をするのは、避けられないようだ。


(5)

 第4巻340頁から、クロムウェル側のダルタニャンとポルトスがチャールズ1世側のアトスとアラミスに出会い、アトスが「諸君はここでだれのために働いているのだ?」と聞き、ダルタニャンは「きみたちは、なんのために働いているのだ?」と聞き返す。

 ダルタニャンの答え「ぼくは軍人だ、ぼくは自分のご主人に、つまりぼくに給料を払ってくれる人に仕えている。だからこそ、ここへ来たわけだ。ぼくは服従する、服従するという誓いをたてたからだ。」

 アトスの答え「貴族はすべて兄弟だからだ。どの国の国王も貴族のなかの第一人者であるからだ。」

 一見すると現代の人間には関係なさそうな気もするが、ダルタニャンの言うことは、給料をもらって働いている人間ならよくわかると思う。

 アトスの方は、「貴族」を「生まれた時から親が金持ち」に置き換えたら、似た感じになるかもしれない。残念ながら自分の稼ぎ以外で金持ちだったことはないし、これからもなりそうにないので、感情移入のしようがない。


(6)

 第6巻、第三部の1冊目『将軍と二つの影』は、アトスと銃士隊を退官したダルタニャンが互いに連絡なく、チャールズ2世を王位につけるために動き、その二つの計画が相まって成功する話。ダルタニャンは計画の成功によって大金を得る。アラミスとポルトスは行方がしれない。

 第7巻『ノートル・ダムの居酒屋』では、マザランが亡くなり、マザランに次ぐ実力者のフーケ財務卿は、ルイ14世とマザランが王に推薦したコルベールによって窮地に立たされる。フーケ財務卿に協力していた二人が裁判によって絞首刑にされることになり、フーケが救出しようとした計画を偶然にダルタニャンが阻止する。ルイ14世は、フーケが要塞を築いているらしいという情報の真偽の確認をダルタニャンに依頼する。ダルタニャンは、フーケが城塞を築いていることを確認し、アラミスとポルトスが関係していることを知る。ダルタニャンが王に報告する前に、アラミスからの助言によって、フーケは王に城塞を献上し、反逆者として処罰されるのを免れる。ダルタニャンは銃士隊長として隊に復帰する。

 第8巻『華麗なる競演』、コルベールはフーケを破産させるようルイ14世に助言する。王はフーケにフォンテーヌブローでの宴会費用を出させる。アラミスは、バスチーユ牢獄の長官を味方にし、収監されている男に会う。アラミスは、フランス国家の大きな秘密をイエズス会の管区長にもたらし、次期管区長に指名される。チャールズ2世の妹がルイ14世の弟の妃になり、王弟妃は社交の中心になる。ダルタニャンの活躍がほとんどなく退屈だが、アラミスの陰謀が少しずつ明らかになってくるので、読み飛ばすわけにもいかない。


(7)

 第9巻『三つの恋の物語』、ダルタニャンはアラミスが何をたくらんでいるのか探るためにバスチーユ監獄の長官を訪ねる。何も聞き出せなかったが、長官が出した手紙からポルトスがフーケのところにいることがわかり、ポルトスを連れ出す。ダルタニャンは彼の昔の従者の別荘にポルトスを連れて行く。その家から墓地が見え、そこにはアラミスとシュヴルーズ公爵夫人(ルイ13世の妃の古い友人で、かつてのアラミスの恋人、ブラジュロンヌ子爵は彼女とアトスの息子)がいた。シュヴルーズ公爵夫人はアラミスにフーケの犯罪を証明するマザランの手紙を売りつけようとするが断られる。

 ルイ14世とラ・ヴァリエール嬢(ブラジュロンヌ子爵の幼馴染で婚約者)の恋(なのか気まぐれなのか打算なのかはわからないが)を中心に、ダルタニャンの有能ぶりをルイ14世に示しつつ進行する。ダルタニャンが出てくると面白いが、あいかわらず宮廷の恋模様のところは退屈する。


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 第10巻『鉄仮面』前半、シュヴルーズ公爵夫人は、コルベールにマザランの手紙を売り渡し、ルイ13世妃に双子の王子の秘密を持ち出して、昔の自分の所領を取り戻す援助をとりつける。コルベールは、フーケを失脚させるためには裁判にかけなければならないことを知る。検事総長が起訴に反対すると裁判にできないので、検事総長でもあるフーケから検事総長の職を買うため、ヴァネルに資金を提供する。ヴァネルは、検事総長の職を買うが、その際に、同席していたアラミスに、ヴァネルの後ろにコルベールがいることを知られる。

 ラウル(ブラジュロンヌ子爵)は王弟妃からの手紙でイギリスから帰国し、婚約者とルイ14世のことを知り、二人の逢い引きを手引きした廷臣に決闘を申し込む。アトスは、ルイ14世を非難したため、反逆者としてダルタニャンに逮捕される。アトスはイギリスに逃亡させようとするダルタニャンの勧めを断りバスチーユ監獄に行く。そこには、アラミスが来ていた。ダルタニャンは、アトスをそこに残して、ルイ14世に会いに行き、アトスの釈放命令を手に入れる。ラウルの決闘は流れる。

 当時は、決闘禁止令が出ている。決闘は貴族がするものだが、これにもそれなりの意義があったように思う。爵位も所領も手に入れられる人間の数は限られているわけだから、無関係の人の血を流さずに幸運を手に入れるチャンスが増えるというものだ。 


(9)

 第10巻『鉄仮面』後半、フーケは、自邸にルイ14世を招いて大宴会を催す。アラミスは偽の釈放状で双子の王子をバスチーユ監獄から連れ出し、フーケ邸に連れていく。ルイ14世が寝ている部屋の下に抜け道があり、アラミスとポルトスの二人で、王を連れ出しバスチーユ監獄につれていく。釈放状が間違いだったとして、釈放した囚人が戻ってきたことにしてバスチーユ監獄にルイ14世を閉じ込める。ポルトスは本物のルイ14世を偽物だとアラミスに思い込まされて、手伝わされている。

 フーケ邸の抜け道は、もともとアラミスの陰謀とは関係なく、秘密の逢い引きをするために作られたのだと思う。長々と続く宮廷貴族の恋の駆け引きは、直接アラミスの陰謀と絡んでいないようだが、こういう陰謀が起きるのも不思議ではないように思わせるのには役立っているようだ。それに、政務より他人の婚約者との恋の方に頭がいっぱいのようなルイ14世より双子の王子の方に応援したい気持ちになってきた。その点で、計画が成功するかどうか読者の関心を強める効果もあるようだ。

 第一部からずっとだが、どちらに正義があり、その点でどちらの側につくのがよいのかがよくわからない。現在の考えでいっても、当時の考えでいってもよくわからない。ただ、現在でも当時でも裏切りはダメだろうから途中で手を組む相手を変えるのはよくないだろう。ただ、この点でも、この当時は王の上に神があるという考えだから、王を見限っても神に仕えるということなら、途中で反対側にたっても不正義ということにはならずにすんだようなので、やっぱり、どちらの方につくのがよいのかがよくわからない。


(十)

 第十一巻『剣よ、さらば』、国王と双子の王子のすり替えに成功したアラミスは、フーケに陰謀を話す。フーケは、話に乗ってこず、計画失敗をさとったアラミスはポルトスを連れて、アラミスらがフーケに協力して築城した城塞に向かう。フーケはバスチーユ監獄から国王を救出し、偽国王のもとに連れていく。国王の命令でダルタニャンは偽国王を逮捕し、孤島の監獄に護送する。護送先で、失恋して死ぬために戦争に行く途中のラウルとそれを見送るアトスに会う。城塞に逃げたアラミスとポルトスは、国王の差し向けた軍隊の攻撃を受ける。洞穴に隠していたボートで海に脱出する際に、ポルトスは火薬の爆発で落ちてきた岩の下敷きになり命を落とす。アラミスは、スペインに亡命する。アトスはラウルの死ぬ覚悟を知り、生きる気力を失くして衰弱し、ラウルの戦死の報を聞き亡くなる。国王はオランダとの戦争を考え、スペインの中立を望む。スペインから交渉のために遣わされたのが、スペインの貴族になったアラミスだった。ダルタニャンはオランダで敵軍からの銃弾を胸に受け、コルベールから届けられた元帥杖を手にして死ぬ。

 城砦でのポルトスの様子からアトスの死まで結構泣ける。8、9巻を我慢して読みとおしたかいがある。とはいっても、アラミスの陰謀が周到に計画されたようで、あっけなく崩壊したときには、少し肩すかしな感じがした。このころの政治上の陰謀は、恋と同じように、一世一代の重大事というわけではなく、何度も簡単に試みるものという感じだ。ラウルが失恋に耐えられずに死ぬのは、あまりにも苦しみに耐える力がなさ過ぎで、アトスが大事に育てすぎたんじゃないかと思う。ダルタニャンは最後に三人の友人に呼びかけて死ぬ。感動的だが、友人より愛する妻や子がいたら、この友情はどうだったろうかと思う。少なくともアトスは最後にラウルのことを思いながら死んだと思う。友人の場合は、大人になると、自分が相手を思うのと同じ順位で、相手にも思われるのは難しいようだ。


(十一)

 第7巻『ノートル・ダムの居酒屋』、グレーブ広場で受刑者を救うと見せかけて居酒屋に火をつけようとした騒動を解決したダルタニャンは、フーケのところに行く。国王の読みに反してフーケはダルタニャンに年金を全額支払う。フーケに断られた後でコルベールの所に行って年金の支払いを受けるように国王に言われていたダルタニャンは、もうコルベールには用はないが、国王の読みが外れた事情がわかるかとコルベールの所に向かう。コルベールはダルタニャンを待たせて別の用事を済ませようとする。

(128頁) ダルタニャンは、かなり無作法に、くるりと踵で一廻転してコルベールと顔をあわせた。そして、道化役者のように、ぴょこんと頭をさげ、それからもう一度廻れ右をしなおして、門のほうへすたすたと歩き出した。

 コルベールはダルタニャンを呼び戻して、支払済みの話を聞く。

(130頁)「・・・あなたには何の用もないのですから、これでおいとましてもよろしいでしょう?」そう言ってダルタニャンは、両方のポケットをたたきながら、にっこり笑った。二十五歳の青年を思わせるような、三十二枚のまっ白な、すばらしい歯がコルベールの目にうつった。『ちっぽけなコルベールを三十二人料理して来るがよい、さっそく食ってやる』―そんなふうに語りかけるような歯並みであった。

 この時、ダルタニャンは五十歳くらい。おちゃめだ。というか『人を食ったような態度』という言葉があるが、それを具体的に書くとこんな感じなのだろうか。




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