『散歩』

公園に行ってお菓子を食べて帰ってくるのが趣味だ。公園は大都会ほど魅力的な公園が多いと思っている。田舎の方が豊かな自然があるので逆説的のような気がするが、公園は手つかずの自然とは違い、大きな庭だと思っている。ほったらかしよりも人間の作為が加わっている方が魅力的だと思う。

別所沼公園を初めて見たときは、沼の周りにめぐらされている大木が印象的だった。他の公園にはない魅力だ。何度か足を運ぶうちに、小さい木造の小屋に気付いた。窓の雨戸の中央が十字にくりぬかれており、管理事務所かと思ったら違った。建築家でもあった詩人が残した設計図を基に建てられたものだった。詩人は友人たちと週末を過ごす場所として構想したようだ。現在は、週二日ボランティアの人が留守番をして開けているらしい。

開いている時間に合わせて公園に行った。雨が降っており、公園を訪れる人もまばらだ。小屋の中に入って行くのに気おくれを感じる。そのうちに、留守番の人が傘を持って出ていった。そのすきに窓から覗いてみた。多分用足しに出たのだろう。小屋には便所はないらしい。小屋の前の案内板に設計図が載っており、四角い輪郭の一角の外側に小さい四角の出っ張りがある。本当はここがトイレの予定だったのではないだろうか。基礎が木の杭なので、外から床下を覗いてみたがよくわからない。後日、中に入って出っ張りの部分を見せてもらった。掃除用の洗面台があったが、そのボランティアの人もおそらくトイレにするつもりだったのだろうと言う。子供のころ読んだ「にんじん」という物語を思い出す。毎晩寝る前に子供部屋に屎尿瓶を置いていってくれることになっているのに、意地悪で置いてもらえなかった夜があり、夜中に子供が尿意を覚えて苦しむというエピソードだ。あまり、詩的な話ではないかもしれない。詩人のファンに怒られそうだ。本当に自分が住むことを空想するとこんな細部が気になる。

公園の中に南の国の王様のような像も見つけた。顔を見るとなんだか人を舐めたような感じがする。鼻の下にワニの口をつけたというか、鼻の下に下唇を思いっきり突き出した感じだ。バカボンのパパが鼻毛を吹き上げているようなイメージだ。これはなんだろうと見ていたら、後ろで母親が子供に「河童を見よう」と言っている。河童に見えるらしい。後日わかったが、風の神といってメキシコの神様だった。そういえば、日本でも鼻が異様に大きい天狗というものがある。口が尖っているので烏天狗の方が近いかもしれない。あれは、外国人にはどういう風に見えるのか聞いてみたいものだ。

別所沼公園の北側から常盤緑道に入る。入ってすぐのところに階段がある。母親が遠くから遊びに来たので、案内して階段を上がったら、上に何もないのでがっかりされてしまった。神社の階段を上がっているつもりだったらしい。実際はコンクリートの建造物の上を向こう側に超えるだけだ。この障害物は、武蔵野貨物線をコンクリートで覆ったものだ。武蔵野貨物線は、その先で地中に潜り北浦和公園の下を通って京浜東北線の北浦和駅と与野駅の間で地上に出る。途中、マンション建設予定地の空地の下を通る。近所の家に建設反対の旗が出ている。日照と通風が気になるらしい。下を通っている貨物車は心配ではないらしい。最近、コンクリートの壁のすぐ横に建て売り住宅もできた。

北浦和公園の特徴は、音楽噴水だろう。中学の音楽の時間に聞いた覚えのあるクラシックの音楽に合わせて噴水が出る。その噴水がクラシックバレーの足の動きのように見え、優美であり、躍動的でもある。正面の場所が塞がっていたので、向かって左手で見ていたら虹が見えた。虹を見たくなったら、簡単に見られることがわかったのは収穫だ。

この北浦和公園は依然どのような場所だったのか気になった。公園の一角にバンカラ学生の像が立っている。旧制高等学校の跡地らしい。旧制の学校制度については詳しくはないが、学生は将来のエリートということになるらしい。学生は将来要職について日本のために大変な苦労をしてくれるので、その前の一時の自由な時間に少々ハメを外しても世間は甘やかしてくれていたらしい。最近のように大学に行くのが特別なことでもなくなると学生も甘やかせてはもらえなくなるようだ。埼玉県立図書館の方は女学校の跡地のようで、「望みはわきてかぎりなく」という言葉を刻んだ碑がある。女学校の生徒の方が将来に対する希望に溢れていて、プレッシャーはあまり感じていないような気がする。

北浦和公園内に埼玉県立近代美術館があるせいか、公園内の各所に彫刻がある。噴水の裏側が彫刻広場になっており、そこに最近四角い箱が登場した。近代美術館の建築家が設計したカプセル住宅が役目を終えてそこに展示されたらしい。そういえば、東京でそのカプセルが積み重なった建物を見たような気がする。こちらは別所沼公園の小屋とは違い、中に入れずに窓から覗くだけだ。結構覗いている人がいる。窓ガラスに後ろの風景が写り、中の調度品と重なって不思議な空間が広がっている。

彫刻広場の横を通って車道に出る。ヨーロッパのガス灯のイメージの街路灯が並んでいる。洒落た街路灯のせいだけではなく、普通の車道と雰囲気が違う気がする。よく見ると歩道の街路灯がある部分が、車道にはみ出ているので、歩く場所はずっと一定の幅になっているのに、車の通るところは出っ張りのために蛇行している。蛇行しているせいで、自動車のスピードが緩くなり、時間の流れも周りの場所とは違う気がする。

旧中山道と聞くと新あるいは現中山道はどこかと思ってしまう。並行して通っている国道17号線だろうか。その国道17号線も2本あり、旧中山道と反対側の西側の国道17号線はバイパス大宮線と言って区別するらしい。そのバイパス大宮線の東側に接して与野公園がある。

与野公園と言えばやはりバラだろう。ここのバラ園は、春から晩秋まで花が咲いているのを見ることができるが、バラ祭りが5月にあるように5月が一番の見どころの季節になる。バラ園は全体が横に長い長方形でその長い辺の中央にバラ園を後ろにして女性の像が立っている。あるいは人間ではなく女神かもしれない。その像から放射線状に通路があり、その通路を横切るように更に通路がある。

像の後ろのベンチに座って、近くのコンビニで買ったスナックを食べていた。そうすると通路に犬を連れた男性が現れた。通路と通路が交差する場所に来るたびに「止まれ」「待て」と犬に号令をかけて訓練をしながら、こちらの方にだんだん近づいてくる。像がある場所に出る手前で、「待て」と命じられて大型犬が腰を落とした。

その瞬間、どういうわけか、今この食べているスナックを犬の前に放ったら言いつけをちゃんと守れるのだろうかと気になった。さすがに大人なので、そういういたずらはできない。それでも好奇心いっぱいでじろじろ見てしまった。小さい子供にじっと見つめられることがよくあるが、あれも好奇心で見つめているのだろうか。その子供がお菓子を食べていると、子供からそのお菓子を差し出されることがある。仲良くしようと言う意味で差し出すのか、他人に見せたいだけのようでもあり、受け取るべきか悩む。もしかすると、あれは子供に何かを試されていたのだろうか。さすがに、そこまで小さかった頃に、自分が何を考えていたのかまでは覚えていない。母親には子供がどういうつもりか分かっているのだろうか。

合併してさいたま市が誕生する前は、浦和市、与野市、大宮市だった。大宮市の公園と言えばやはり大宮公園だろう。大宮氷川神社の鳥居をくぐり、神社の中を歩いていたら知らないうちに大宮公園に入っている感じだ。大宮公園から車道を越す連絡通路を通ると見沼代用水西縁の遊歩道に出て、その東側に大宮第二公園がある。公園の東側は芝川が接している。

公園内には調節池がある。芝川が大雨で増水すると調節池に川の水が入ってくる。普段でも池には水があり、周囲が広く芝生になっており、全体が土手で囲まれている。9月に行ったときに、池が湖になっていたので驚いた。芝生に植えてある樹の幹の部分が水没して上の枝と葉だけが水面から出ている。パーゴラも水没して屋根だけ見える。9月の台風が大雨をもたらした時だけに見られる風景で一年に一回見られるかどうかだろう。 水は何日かで引けたが、泥が残った。残念なことにどぶ川の悪臭がする。いつもなら悪臭は全くしない。水はきれいになったが川底は汚れたままなのだろう。普段の芝川はそれほど水量がある感じはしない。もっとたくさん水が流れたら綺麗になるのかと思うが、芝川第一調節池が建設中だということを考えるとうっかり大雨を期待するわけにもいかない。最近家ではあまり汚れを水で流さずにゴミとして捨てるようにしている。「水に流す」という言葉があるが、流さずに焼却すべきなのだろう。感情を炎で焼き尽くすと言うと、とても情熱的な話になる。

調節池と言うと荒川第一調節池は、彩湖のところだけかと思っていたら、荒川沿いの北側にある秋ヶ瀬公園と桜草公園も含んだ一帯が全部調節池だった。鴨川が彩湖と桜草公園の間で荒川に注ぎ込むまでに昭和水門とさくらそう水門があり、鴨川と荒川を遮断するだけなら一つで十分なはずなので不思議に思っていたが、鴨川を挟んで荒川の東側に水を溜めるなら二つなければ完全に囲い込めないわけだ。さくらそう水門を閉じたときに荒川から調節池への水の入り口は、秋ヶ瀬公園の横の超流堤という他の土手の高さより少し低くした土手になる。

ただ、調節池全体で水を溜めるほどの大雨でなければ、両水門を閉じずに桜草公園の横の桜草の自生地の田島緑地に川の水を被らせることになっているらしい。桜草のためには年に何度か水を被らせた方がよいのだそうだが、それがどうして桜草の生育に必要かよくわからなかった。鉢植えの桜草の場合はどうするのか。最近「荒川」という本を読んでいて謎が解けた。桜草が生えていても、ほうっておくと木が成長して林になり、桜草が駆逐されてしまうが、川の水で木の種や若木が押し流されると桜草が生き残るということらしい。最近は、年に一回春に野焼きをしているが、これは川の氾濫のかわりの役目を果たすらしい。このように人手をかけて生育環境を維持しているのは自生とは言わないような気がする。仕送りを続けてもらっている子供が自活できていないようなものだろう。

最初に水門を見て疑問だったのは、普段水門は開いているが、いつ閉じるのだろうかということだ。大雨が降ったときだろうが、大雨の時に鴨川や鴨川に注ぎ込む鴻沼川の水の出口を閉めるということが不思議だった。この疑問の答えは、大雨になると荒川の水位の方が鴨川や鴻沼川より上昇して、逆に荒川の水が流れ込むので逆水を防ぐと言うことらしい。どうせ開けていても流れ出ないどころか却って流れ込むのなら閉めるしかないだろう。それにしても鴨川と鴻沼川に溜まった水はどうするのか。これもポンプでくみ上げて調節池の中に出すことがわかった。ポンプアップして放流と言っても具体的なイメージが湧かない。バケツでくみ上げて捨てるのを機械の動力を使ってするイメージに自分で笑ってしまった。鴻沼川の方は鴨川に注ぎ込むところに鴻沼水門があり、その手前から地中を通って昭和水門の横で調節池の中に水を吐き出す鴻沼樋管があるということのようだ。鴨川の方は昭和水門とさくらそう水門の間に注ぐ放流水路がある。放流水路があるのは地図を見ると分かるのだが、さくらそう水門と昭和水門で閉じられた調節池の中に水を溜めるということがわからず、昭和水門の先に流してもさくらそう水門で堰きとめられて荒川に水が流れていかなければ、何の意味もないのではと頭を悩ませていた。

だいたいのことが分かった今もまだすっきりしないところがある。模型でもあればわかりやすいのにと思っていたら、「川の博物館」にちゃんとあるらしい。上流のダムの放流のタイミングや各水門を閉めるタイミングなどシュミレーションできたら、不謹慎かもしれないが、下手なゲームよりよほど面白そうだ。

わからないといえば、鴻沼川と高沼導水路と高沼用水路東縁と高沼用水路西縁の接続部分もどうなっているのかよくわからない。時代を追って変化しているうえに地中部分が見えないせいで簡単にわかるようでわからない。鴻沼川に高沼導水路が注ぎ込み、用水路が東と西に分かれるあたりに広い空地がある。調節池の予定地で公園としても整備されるらしい。そろそろ具体的に動き出しそうだが、どのような公園になるのか楽しみだ。最近は市民に意見を事前に聞くのが時流のようだ。ネットは便利だが、自分から情報を探さないと駄目で、いつどんな情報が載っているか知らないと気付いた時には手遅れになっているのが難点だ。町中のあちこちで自治会の掲示板を見かけるが、行事の案内などはそこの張り紙で知ることが多い。江戸時代の高札方式は廃れることはないようだ。

さいたま市は雨の日が少ないうえに土地が平坦で、自転車であちこち散歩するには最適だ。ただ、水路や線路やバイパスをどこでどのように越すのかというところが難しい。自動車の通行量の多い道路を避けて裏道を自転車で遠くまで行くときに、庚申塔のある場所を覚えておくと便利なことに最近気付いた。公園の他に庚申塔の趣味が増えた今日この頃だ。




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