『草原の子ら』2013.6

 ジンギス・カンの孫のクビライとアリク・ブカの兄弟の話だ。

 兄のクビライは戦闘の訓練中にアリク・ブカを助けようとして人を死なせてしまう。そして自分が殺してしまった人間のことがずっと忘れられない。アリク・ブカはそんな兄を軟弱だと思う。

 クビライは狩りの途中で熊の皮を着て洞穴で草の種や根や蜜のはいった蜂の巣を食べながら一人で暮らしている男に会う。この男は盗賊をしていた時に大勢人を殺している。今は、食べるための生き物も殺さない。

 クビライは師(イェリュイ)とこの男(千月熊)について話をする。(下巻72頁)

―彼は人を考えこませる。それは危険でないとはいえない。

―そういう人間は、役に立つ人間のなかには入れられない、と彼らは強調するのです。

―その通りだよ。しかし人間の価値は、役に立つと思われるかどうかで、きまるのではない。

―人間の価値をきめるものは何ですか。

―どれだけじぶんの道を進んだか、ということだ。千月熊はかなり進んでいるようだ。それに、彼は人間が変わった。これはなかなかむずかしいことだ。彼はいい例を残したのだ。

―しかし、だれも見る人がなかったら、彼の人生は無意味ではありませんか。

―意味のない人生はない。

―しかし千月熊は、じぶん以外の人に役立つことは何もしていないじゃありませんか。

―彼は、よこしまな考えをいだいてはいない。

―それが何だっていうんです。

 これに対する直接の答えはない。この間、テレビを見ていたら、「友達なんていらない」という子供に対して、大人が「困った時には友達が助けてくれるよ。」と答えていた。それを聞いて思った。「友達って、自分が得するためのものなの?」

 千月熊はそれまでさんざん悪いことをしてきた人間だから、人間が変わって(悔い改めて)積極的に他人の役に立つところまでいかなくても、他人に害を与えなくなっただけでも、意味もあるし価値もあるだろう。

 今の世の中でいえば、連続強盗犯が刑務所で悔い改めているようなものだ。でも、まだ世の中に出てなにもしていない人間が、一度の過ちでこのような生き方を選んだら、単なる怠惰か意気地無しのように思える。積極的に他人の役にたつことができるような人間ならなおさらだ。

 クビライが「ほら穴にかくれたらいいのでしょうか。」と聞いた時には、師は「だれでも、進む道はそれぞれちがうのだ。」と答える。(下巻、188頁)




書斎へ戻る