爽やかな朝の光が大地を照らし始める早朝。
雀たちの鳴き声が聴こえてくるすがすがしい空気の中。
数度にわたるプランターへの植え替えにより、広くなった居場所で邪悪なる者はぼんやりと辺りを見渡した。
口元に浮かぶ邪悪な笑みは――ここしばらく浮かばす、ぼんやりとした表情のまま空を見あげた。
「……ふっ、植え替えられてより二十日か……よもや、わらわがこのような場所で……」
差し込む陽の光に眼を細めながら美しく整った口元からは、諦めにも似たため息とともに呟きが漏れる。
「いつまでも、わらわが大人しいままと思うておるな……そのとおりだがな。
そして哀れなわらわを笑うがいい……笑うなら呪ってくれるがな。
だが! 永きに渡り……具体的に20日にわたり、わらわをいぢめ続けてきたことで、
わらわを従えたと勘違いした罪と自らの傲慢さを、必ずやわらわが思い知らせてくれようぞ……」
そういう彼女の目からは滝のような思い出し泣きの涙が溢れ出していた。
死津喪比女、現在体長30cm。
現在位置は横島家2階、優華の部屋のベランダ。
対神魔封印処理されたプランターZ型の中であった。
「……今日も元気?」
そう呟きながら少女が、観察日記とともに植え替えのためのスコップを手に近づいてくることに、
彼女――死津喪比女はゆっくりと頷くことで答えた。
GS横島十夜
番外9 横島十夜 〜しずも観察日記〜 その4
あれから20日。
死津喪比女が封印の休眠より目覚めて既に20日が過ぎていた。
死津喪比女にとって本来なら20日もあれば国のひとつぐらい簡単に支配できる力を得ているはずであった。
だが、現実は非常に厳しすぎた。
今の死津喪比女にとって、描いた未来は夢幻に等しかった…だが。
(ようやくだ……ようやくこの時が来た。この時を何度夢見たことか……ここまでにわららがどれほどの屈辱に塗れたか)
死津喪比女の脳裏に悪夢のような日々が浮かぶ。
彼女にとって地獄のような日々の思い出が。
(……いかん、思い出したらまた涙が)
穏やかに微笑みながら、でも涙が流れてしまうのをそっと拭う。
時刻は夕刻前、場所は横島家、縁側前にある様々な植物が植えられている庭で、
死津喪比女は優華の持つスコップの上に少しの土と共に乗せられていた。
彼女の前に見えるのは、庭の一角に用意された区切られてはいるが確かな大地。
地脈につながる彼女本来の居場所。
そう、今このとき、晴れて最後の植え替えの日。
プランターという隔離された場所から、大地という世界とつながる場所に移る日が来たのだ。
だから、植え替えのためにスコップに乗せられる前に玉葱の横に置かれたことなど些細なことだ。
周りの観客が少し気にかかるが問題ないだろう。
そう自分に言い聞かせ、死津喪比女はおとなしくそのときを待つ。
それでも、なんとなく気になって観客たちを見てしまう死津喪比女。
自分のそばには優華――今は植え替えの準備とやらで何やら用意しているようだ。
少し離れたところに数名の男女が並んで立っている。
端からルシオラという名の少女の姿をした魔族、人間の少年横島、夜と呼ばれる――幼女……精霊っぽいモノというところだろう。
(最後の夜だけが良く判らぬが、それ以上に気にかかるのは――)
ルシオラが手に持つ巨大な針のようなモノ。
なぜここに持ってきているのか?
疑問は不安をたっぷりと含みながら湧き出してくる……が。
「……できた」
小さく聞こえた優華の声に、死津喪比女の期待感が不安を押しのける。
優華が手に持ったスコップで小さく穴を掘ると、静かに死津喪比女の球根を両手で持つ。
その中に死津喪比女をそっと乗せるように置いた。
「……完了?」
尋ねるような優華の声に、感動のあまりボンヤリとしていた死津喪比女だが、すぐさま満面の笑みを浮かべる。
そして引き込まれるかのような勢いで地面の中に姿を消した。
あっ……と言う優華の声が聞こえたが、もう遅い。
死津喪比女は地脈の流れをすぐに感知し、大地のなかで邪悪に笑んだ。
「所詮は小娘。最後の最後で油断したようだのう。
わらわに悪魔と言わしめたその所業、今こそは晴らしてくれるわ!」
優華が呼ぶ声を聞きながら、死津喪比女は地脈の力を自らに取り込んで急激に自身の力を増していく。
「……やはり葉虫は使えんか。忌々しいが、その代わり花であるわらわ自身に力が溢れるのう。これならば……」。
そう、これならば今まで妄想でしかなかった復讐という名の甘美な蜜を味わうことができそうだ。
その想像に身を震わせる死津喪比女の耳に小さな声が滑り込む。
「……兄さま」
優華が兄さまと呼ぶ人間――十夜を呼ぶ声が聞こえると同時に。
「痛っ」
チクリと何かが球根に刺さる。
慌てて損害を確認するが、うまく急所は外れていたようで、かすり傷程度だ。
ふと死津喪比女の脳裏に浮かぶのはルシオラが持っていた針。
だが、土の中に居る自分が見えるはずが無い。
「む……適当に刺したものが偶々当たっただけか。不愉快ではあるが、この程度なら嫌がらせ程度の傷にしか過ぎん」
呟くと、死津喪比女は気配を消しながら移動する。
仕切られてはいるが、プランターとは比べ物にならないほどのこの場所は広い。
今の自分が深く潜って身を潜めれば、針を刺すことができる確立は限りなく小さい。
「見えない相手に点の攻撃が、そうそう当たるものではない!」
チクリ
「当たるとしても偶然に過ぎん!」
チクリ
「そ、それに外れれば、大地の震動で次の攻撃が予測できる!」
チクリ
「ピ、ピンポイントで確実に刺されない限り!」
チクリ
「くっ! しかしこちらが高速で動けば捉えられないはず」
チクリ
「うっ……がぁーーっ!!」
チクリ
チクチクッ
チクチクチクッ
チクチクチクチクッ
チクチクチクチクチクチクッ
チクチクチクチクチクチクチクチクッ
チクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクチクッ
「いい加減にせんかっ!! 見ろっ! 穴だらけになったではないかっ!!」
思わず地上に出て、半泣きになりながら文句を言う死津喪比女。
隠さねばならないはずの球根を見せているあたり、かなり追い詰められているようだった。
そんな死津喪比女がみたのは、針を肩に立てかけながら両手を合わせて謝るように頭を下げている十夜の姿と、
気の毒そうな表情のルシオラと、『植物用傷薬?』と書かれた瓶を手にした優華の姿だった。
「あ」
ようやく死津喪比女が自分の状態に気づいたときには、既に優華の手にした怪しい傷薬が塗られていた。
「ひゆわぁぁぁぁ!! し、沁みるぅぅぅぅ!!」
ゴロゴロゴロゴロジタバタジタバタ
死津喪比女は、穴だらけになった球根に沁みる、あまりの刺激にのたうちまわる。
「……元気?」
そんな死津喪比女の様子に満足げに頷く優華。
優華にとって元気で喜んでくれる(様に見える)死津喪比女が見れて嬉しいのだろう。
もちろん、そんな優華に悪意は欠片もない。
その優華が不意に、少し困った表情になって死津喪比女を見つめる。
しばらくのたうちまわっていた死津喪比女だが、ふらふらと顔を上げると優華の表情に気づいた。
いじめられているのは自分なのに何故そんな表情をするのだろうか。
死津喪比女の脳裏に今までの思い出が走馬灯のように浮かぶ。
確か、優華がこのような場合に、このような表情をするときは――
たどり着いた結論にゾクリと死津喪比女は身体を震わせると、上目遣いに優華を見つめる。
「……さっきは兄さまに頼んで、お仕置き」
「我が主殿にとって大地など目隠しにすらならんからな」
呟く優華の言葉を補足するかのように夜が告げる。
その言葉に死津喪比女は、あれだけ的確に刺されたのに致命傷が1つも無いことの意味を知った。
「そ、そんなことが……」
ただの人間に見える少年がここまでやれるだけの力を持つとは考えられないと思う。
いまだに目が合うと謝ってくる少年の姿を見ると余計に。
だが、どうやらそれは事実のようだ。
かつて災厄と呼ばれしわらわを、この少年は殺さずに済ませた――その程度の能力の差があるということ。
その事実に呆然とする死津喪比女。
「……ルシオラ」
そんな死津喪比女の様子を見て、優華はルシオラに声をかける。
小さく呟くような優華の声に死津喪比女は、のろのろと視線を優華に移し、そしてルシオラに向けた。
優華の合図に、ルシオラは十夜から針――神針を受け取ると、死津喪比女の隣に針を向ける。
「ヨコシマならピンポイントで手加減して刺せるけど、私の場合……」
ルシオラは呟いて一旦言葉を止めると、神針を構えた。
ヴゥォン
奇妙な音が聞こえた。
だが、ルシオラは動いたように見えず、わずかに神針の先の地面から煙のようなものが上がっているぐらいだ。
「……煙? いや水蒸気か?」
死津喪比女の数センチ横の地面、10センチ角程度の大地から水蒸気のようなものが立ち上がり、すぐに消えた。
その様子を不思議そうに見る死津喪比女を優華を優しく両手で持ち上げる。
そして、そっと先ほど煙が上がっていた場所に乗せる。
乗せられた死津喪比女が疑問に思う前に、フワリとした感触が死津喪比女を包み
フカァと表現するのが近い状態で、死津喪比女の身体が地面に沈む。
それはまるで柔らかなクッションの上に座るような、スポンジの上に乗るような――
「……ま、まさか」
その可能性に思い当たり、死津喪比女は慌てて地上に戻る。
と、そんな死津喪比女を優華は優しく微笑んで迎える。
「……兄さまでも駄目ならルシオラにお願いするつもり」
「でも、たぶん穴だらけになっちゃうと思うんだけど……」
優華とルシオラの言葉に、死津喪比女は改めて理解した。
ルシオラは動いていなかったのではない。見えないほどの速度で神針を繰り出していたということを。
十夜のようにピンポイントで刺せないので、回数を増やすことで範囲攻撃にしたということを。
その結果、地面がまるでスポンジのように穴だらけになったことを。
そして、一歩間違えていれば、穴だらけになったのは自分自身であることも。
「十分に理解した。で、わらわをどうするつもりだ……」
もはや、抵抗も策略も起こす気力さえもなく、がっくりとして死津喪比女は尋ねた。
そんな死津喪比女に、優華は不思議そうな表情で小首をかしげ、ルシオラは小さく苦笑を浮かべる。
「……悪いことしなければいい」
「要するに、悪さしなければお仕置きもしないってことだよ」
いつものようにポツリと呟く優華に、十夜が苦笑とため息が混ざったような声でいう。
家族みたいなもんだしな、と付け加えるように呟かれた言葉に死津喪比女は不思議そうな表情になった。
「家族……?」
死津喪比女の呟きに優華、ルシオラ、十夜が頷く。
「家族って言葉でわらわが今までの仕打ちを忘れるとでも思うてか」
そんな言葉にだまされないとばかりに構える死津喪比女。
「……悪いことしたらお仕置き……それはしつけ、それは愛情?」
優華の最後が何故か疑問系の言葉に、ルシオラと十夜が苦笑する。
「居候と思えばよい。かくいう私も居候のようなものだ。いや、むしろ我が主の愛人だがな(ニヤリ)」
夜の言葉、最後のセリフに慌てる十夜と何故か笑顔が怖く感じる優華&ルシオラ。
その様子を眺めながら、自分を受け入れる者たちを死津喪比女は不思議に思う。
本来、植物である死津喪比女に家族という概念はない。
同種というのなら判るが、家族という形態は死津喪比女には必要なかった。
あるのは、自分とそれ以外のモノ。自分以外で信用できるのは精々葉虫ぐらいのものだった。
だが今はそれもなく、まるで人間のように家族として扱われる感覚。
自分より強者であるなら、支配するのが当たり前のはずなのに、家族という概念で自らと同列に扱う。
理解しがたい感覚だった。
だが、一興ではあった。
経緯はどうあれ、今の死津喪比女の状況は決して悪いものではない。
少なくとも、すぐさま滅ぼされることにはならないのだ。
ならば、この酔狂な強者に従うのもいいだろう。
そう決めると、死津喪比女はゆっくりと笑みを浮かべた。
「わらわを家族というからには、それ相応の待遇を期待しても良いのだろうな」
だが、自分はどこまでも死津喪比女だ。その脇侍を捨てるつもりはない。
たとえ災厄を引き起こさなくても、自分は死津喪比女なのだから。
観察日記 ○月●日 ■曜日 芦 優華
今日、お花……死津喪比女をお庭に植え替えた。
プランターからお庭にお引越し。
植え替えてあげると、とても喜んだ。
私も嬉しい。
でも、土のなかに潜ったまま、呼んでも出でこなくなったので
兄さまにお願いして、ちょっぴりお仕置き。
なかなか出てこなかったので穴だらけになった。
出てきて穴だらけの球根を見せたのでちょっとだけ沁みるお薬を塗ってあげた。
大喜びしてくれた。嬉しい。
でもしつけは肝心なので、ルシオラにお願いした場合を教えることにした。
よく解ってくれたみたいで、とても嬉しい。
でも、不安そうにどうするか聞いてきたので、悪い子はダメで、良い子はOKだと教えてあげた。
しばらく考えてたみたいだけど、しばらくすると元気になって、ついでに偉そうになった。
矯正する?
「ふぅ……」
パタンと絵日記風味の観察日記を閉じて、夜は息をつく。
最後の『矯正する?』で何があったかは、横島家には語る者はいないだろう。
その理由を思い出す前に、夜は優華が居間に置き忘れていた日記を手に椅子から立ち上がった。
明日から学校が始まる。この日記が果たして提出されるかどうかは別として、優華に渡しておくのがよいだろう。
誰のためにも。