甲斐国


皇大神宮(伊勢神宮 内宮)

        


豊受大神宮(伊勢神宮 外宮)

 伊勢神宮は、皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮)の二宮からなり、この二宮に所属する宮社に、別宮・摂社・末社・所管社がある。すべての宮社を合わせると125のお社から成り立っている。
 皇大神宮は、古くは天照皇大神宮、天照大神宮、伊須受宮(いすずのみや)、渡遇宮(わたらいのみや)とも称され、殊に内宮さんと親しく称されている。ご祭神は天照坐皇大御神(単に天照大神、天照皇(すめ)大神とも称す)である。
 天照大神は、はじめ大和国の皇居内に、天皇とご一緒に同殿共床でお祀りされていたが、第10代崇神天皇のとき、天皇は神と共に同じ御殿に住まっているのは恐れ多いと仰せられ、皇女の豊鍬入姫命を大御手代(伊勢神宮にだけある職名で、天皇にかわって祭祀に仕える。皇族の祭主)として倭笠縫邑の別殿に奉還せられた。更に第11代垂仁天皇のとき、皇女倭姫命がその後をうけて、天照大神を奉じ、伊賀、近江、美濃を経て伊勢国に入られた。倭姫命は、「神風の伊勢国は、常世の浪の重浪帰する国なり、傍国の美し国なり」との大神の教えのまにまに、宇治の五十鈴川の川上に永遠にご鎮祭申し上げたのである。時に垂仁天皇26年である。これが皇大神宮の創建である。
 豊受大神宮は、古くは豊受宮、度会宮とも称され、殊に外宮さんと親しく称されている。ご祭神は豊受大御神である。
 豊受御大神は、第21代雄略天皇のとき、天照大神の夢のお告げによって、丹波国比治の真名井(京都府天の橋立付近)から度会の山田が原(伊勢市)にお迎えした神であり、天照大神の朝夕の食事を司る神である。また衣食住と一切の産業を守護する神でもある。

別宮

 別宮は、正宮(本宮とも称す)についで格式のある社であり、現在皇大神宮に十所、豊受大神宮に四所があり、十四別宮と称されている。なかでも、荒祭宮は天照大神の荒御魂を、多賀宮は豊受大神の荒御魂をおまつりし、祭儀にあたっては、正宮の後、ひき続き行われ、勅使(天皇のお使い)も参向される。

皇大神宮別宮十所

宮名 ご祭神 宮号宣下年月日及び鎮座地
荒祭宮 天照坐皇大御神荒御魂 皇大神宮城内
月読宮 月読尊 伊勢市中村町字向垣内
月読荒御魂宮 月読尊荒御魂 月読宮同城内
伊佐奈岐宮 伊弉諾尊 貞観9年(867年)9月8日 月読宮同城内
伊佐奈弥宮 伊弉冉尊 同上
滝原宮 皇大御神御魂 三重県度会郡大宮町大字滝原字宮野
滝原竝宮(たきはらならびのみや) 皇大御神御魂 滝原宮同城内
伊雑宮 皇大御神御魂 志摩郡磯部町大字上之郷
風日祈宮 級長津彦命
級長戸部命
正応6年(1293年)3月 皇大神宮城内
倭姫宮 倭姫命 大正10年1月 伊勢市楠部町字赤井谷

豊受大神宮別宮四所

宮名 ご祭神 宮号宣下年月日及び鎮座地
多賀宮 豊受大御神荒御魂 豊受大神宮城内
土宮 大土乃御祖神 大治3年(1128年)6月 豊受大神宮城内
月夜見宮 月夜見尊
月夜見荒御魂
承元4年(1210年)5月 伊勢市宮後
風宮 級長津彦命
級長戸部命
正応6年(1293年)3月 豊受大神宮城内

摂社・末社・所管社

 神宮所属の社には、別宮のほか109社の摂社・末社・所管社がある。摂社は延喜5年(905年)に成立した延喜式神名帳に所載の社であり、末社は神名帳に記載されていないが、延暦儀式帳に記されている社である。そのほかに、正宮および別宮の所管する社があり、これを所管社という。所管社には御前社が所属する所もある。
 これらの社は、伊勢・松坂・鳥羽の三市、度会・多気・志摩の三郡に亘って鎮座しており、新年・月次(6月と12月)・神嘗・新嘗の所祭および臨時奉幣祭には神職が社頭に参向して祭儀を行い、その他の所祭には正宮城内において遙拝する。
                                                  (以上神宮徴古館内掲示説明文より)


 神明造

 神宮の御正殿を始めとする神宮の主要建築物の建築様式。掘立柱・茅葺・平入・高床式が特徴であるが、最大の特徴は建物両脇にある棟持柱(写真左側の真中の外側に出ている柱)である。破風は屋根の上まで伸ばして千木とし、鰹木は屋根部品(甍覆)の押さえとして置いている。
 神明造の内、両宮の御正殿のみ、他が全く同じくするのを憚るためにこれを「唯一神明造」と呼びならわしている。
 この神明造は高床式で南方系稲作文化の継承とも言われており、弥生式土器や銅鐸の絵図にも描かれている。また掘立柱の配置構造も弥生時代の遺跡の類似する。
 右の写真は皇大神宮(内宮)の御稲御蔵(みしねのみくら)で、直線的な造りと高床式構造及び棟持柱がよく分かる。



荒祭宮

皇大神宮(内宮)第一の別宮。天照坐皇御神の荒御魂をお祀りする。

月読宮・月読荒御魂宮・伊佐奈岐宮・伊佐奈弥宮

皇大神宮(内宮)管轄の別宮。写真は月読宮だが右に一宮と左に二宮がある。右(東)から月読荒御魂宮・月読宮・伊佐奈岐宮・伊佐奈弥宮となる。この四宮は内宮の外(伊勢市中村)に鎮座している。他の別宮(正宮でもそうなのだが)では新御敷地(20年に一度の遷宮で社殿が新しく建て替えられる土地)は隣並びにあるのだが、この月読宮では4社が一列に並んでいるために新御敷地は一段下がった土地にやはり4社一列に用意されている。

瀧原宮・瀧原竝宮

手前から瀧原竝宮と奥に瀧原宮。
(写真提供:uziさん)

風日祈宮

 級長津彦命(しなつひこのみこと)・級長戸辺命(しなとべのみこと)を御祭神とする別宮である。この2柱は伊弉諾尊と伊弉冉尊の子で息から生まれた「風」の神様。元々は、農作物に対する順風を願い、台風などからの守護を願ったものであったが、鎌倉時代中期におこった元寇(文永の役・弘安の役)に神風を吹かしめたとして正応6年(1293年)に末社から一気に別宮へと昇進したのである。

倭姫宮

 倭姫は、第11代垂仁天皇の皇女。天皇の命により、豊鍬入姫命に代わり天照大御神を奉じて近江・大和・美濃・伊勢を巡り、神託によってこの地に鎮座した。
 また、日本武尊が東征の折に立ち寄り草薙剣を授けるが、この剣は現在、名古屋市の熱田神宮に祀られている。


多賀宮

豊受大神の荒御魂をお祀りする別宮。山の頂上にあるので「高宮」とも。多賀宮と称されるのは明治時代以降である。延喜式にも「高宮 大 月次 新嘗」と記載がある。外宮の別宮の中で最も格式が高い社である。


土宮

古くは土御親(ツチミオヤ)の社と呼ばれた末社であったが、大治3年(1128年)に別宮に昇格した。元々は外宮の地主神としてお祀りされていた。大土乃祖神(オオツチミオヤノカミ)を御祭神としている。



風宮

 風日祈宮参照。


月夜見宮

 月夜見尊・月夜見尊荒御魂をお祀りする外宮の別宮。