西陣の御案内


西陣の歴史
西陣織の技術は、平安京以前にもたらされた帰化人の豪族、秦氏の織技術によって、平安時代から、絹織物業が盛んであり、延暦13年(794)に平安京ができて,織部司が大内裏東領域に設置されたときから隆盛を極め、宮廷文化を中心に発展していきました。しかし、宮廷が衰え武家が興ると共に織部司は解体したが、既に、北条義政の承久の乱の頃には独立の職人が民業として商品生産を始めた。
その後,応仁元年(1467)に応仁の乱(1467年〜1477年)が起こり,西軍の大将、山名宗全が西に陣をはったことが、西陣の地名と西陣織の名称の由来となりましたが、乱後、京都は廃墟と化しましたが、その後、織工達が帰来し、今の新町頭には、練貫を織る練貫方が作られ、大宮通には、綾を織る人たちの大舎人座が作られる運びと成りました。
実は、この大舎人座こそが、今日の西陣機業の直接の発足点をなすといわれます。それより西陣機業は宮廷・将軍・上級武士御用の高級品を織り、その余剰があれば仲買に売り、それが次第に富裕町人にも分けられるようになりました。
 そして、明治時代には、佐倉常七ら3名が欧州に留学し、フランスからジャカードなどの機械装置を輸入して洋式技術が定着、技術改良を重ね、西陣は、日本絹織物業の近代的な技術革新の発祥の地となりました。大正、昭和にかけては、伝統的な高級精緻な手織り技術を一層高め、帯地、着尺の高級品ばかりでなく、力織機の普及とともに大衆需要製品にも独自の地位 を築いています。平成の今もなお、手織機による手仕事の織物として高い完成度を誇っています。

西陣織の工程(分業)

西陣の寺院・史跡
称念寺(猫寺)
松平家ゆかりの寺
猫寺としても親しまれている
雨宝院(西陣聖天)
久邇宮朝親王が雨宿りしたと
いわれる時雨の松がある
釘抜地蔵(石像寺)
開創は弘法大師。大師が自ら
刻まれたというお地蔵様は体の
病や心の苦しみにご利益がある
千本ゑんま堂(引接寺)
小野篁を開基とし、えんま大王が
本尊。境内には紫式部供養塔があり
大念仏狂言でも知られている
妙蓮寺(本門法華宗大本山)
四季の襖絵、秀吉ゆかりの十六
羅漢石庭、長谷川等伯襖絵が有名
大徳寺
一休禅師や千利休ゆかりの禅寺。
多くの塔頭寺院がある
妙顕寺
日蓮宗最初の勅願寺。開山日像上人。
七堂伽藍は府指定文化財
裏千家(今日庵)
茶道裏千家流家元の茶享画裏干家住宅として重要文化財に指定されたもの
表千家(不審庵)
茶道表千家流家元の茶亭。
西陣の中にある寺院・史跡です。一度、散策をしてみては如何でしょうか。
当店より、徒歩10分程の場所にありますので、詳しい
地図(西陣フットマップ)をお望みの方は当店にお越し下さいませ

アクセスマップ

西陣の中で源氏物語の史跡については下記サイトへ
源氏物語と西陣

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