北神戸 丹生山田の郷
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北神戸 丹生山田の農村歌舞伎舞台 (*5)(*21)(*26)

全国的に江戸時代の農民の娯楽であった農村歌舞伎や人形浄瑠璃(解説)を上演する農村舞台は1000以上残っているが、そのうち1割以上が兵庫県内にある。山田町を含む北神の地には15の農村舞台があり芸能の盛んな地域であったことがわかる。

山田地区には仮設のものなどを除いてもかつて山田13ヵ村といわれた村の数を上回る16ヶ所の舞台があり、六条八幡神社の能舞台を含めてそのうち9ヵ所の舞台が現存しているばかりでなく、その建築年代の古さ、規模、装置をあわせて考えると日本でも稀な農村歌舞伎舞台の宝庫といえる。

このページでは、現存の舞台を中心に、山田13地区の農村歌舞伎舞台・能舞台を紹介する。

地区舞台現地掲示板説明など
下谷上下谷上農村歌舞伎舞台
(天津彦根神社境内(下谷上字砂川))
下谷上農村歌舞伎舞台

焼失前の天保11年(1840)の舞台も再興さ
れたもので(兵庫県下現存の舞台中最古)起
源は更に古いものらしい

下谷上農村歌舞伎舞台(現地掲示板、原文通り)

この舞台は、江戸時代末の天保11年(1840)に建てられた村芝居の舞台である。

江戸時代には原則として農民が芝居を観たり演じたりすることは禁じられていたが、実際にはこのような歌舞伎舞台が各地に建てられ農民たちは歌舞伎を楽しんでいた。現存する舞台は、全国で約2000棟、兵庫県下で約170棟ばかりある。

この舞台の特色は次のような点にあり、全国屈指の歌舞伎舞台として国指定の重要有形民俗文化財に指定されている。

  1. 江戸時代の建立で、舞台建築としては古いこと
  2. 規模が雄大であること(間口12メートル、奥行8メートル)
  3. 花道()・太夫座()・回り舞台()・二重台()・大迫(せ)り()・ぶどう棚()など多種の舞台機構を備えていること
  4. 花道の一部が回転して、反り橋が出る特殊機構があること(全国唯一)
  5. 神社境内の付属建造物である長床(宮座()行事の建物)の利用舞台としての典型であること

なお、この舞台は昭和52年(1977)1月に不審火で焼損したが、同54年(1979)9月に修復された。

神戸市教育委員会

上谷上上谷上農村歌舞伎舞台
(天満神社境内(上谷上字宮開地))
上谷上農村歌舞伎舞台

県指定文化財 上谷上農村歌舞伎舞台(現地掲示板、原文通り)

指 定 年 月 日 昭和46年4月1日
所有者・管理者 上谷上農村歌舞伎舞台保存会

江戸末期から明治にかけて農村歌舞伎が全国的に流行し、山田町でも十三カ村に十四棟もあった。茅葺入母屋造平屋、正面11.07メートル、側面7.40メートルである。

この舞台は文久3年(1863)に建てられたと推定され、割拝殿()形式で建物の中央が参道になっている。舞台として用いるときには床を張り、花道()は分解式で左横斜めにつけられる。床下の石壁造りの奈落は楽屋になっている。

この舞台の特徴は上演のとき、床几()四台をつないで廻り舞台にしていることである。

平成4年11月

兵庫県教育委員会

小河《小河農村歌舞伎舞台》
(大歳神社境内(小河字向山)、関連リンク
小河農村歌舞伎舞台

小河農村歌舞伎舞台(現地掲示板、原文通り)

山田町に舞台として現存するものでは、上谷上、下谷上に次ぐ規模で長殿(ちょうでん)と呼ばれている。

入母屋茅葺平入で、間口9.1m、奥行5.1m。舞台機構として二重台()・ぶどう棚()・迫り()を残しており、地域の伝統文化を伝える貴重な財産である。

現在はトタン葺に修復されている。

昭和30年頃まで、地元青年団による芝居等が行われていた。

平成15年4月    
小河里づくり協議会
藍那《藍那八王子宮農村歌舞伎舞台》
(八王子宮境内(藍那字北ノ谷))
藍那八王子宮農村歌舞伎舞台

藍那八王子宮農村歌舞伎舞台(現地掲示板、原文通り)

明治初年に建築された間口7.9メートル、奥行は5メートルの入母屋造茅葺の舞台である。

藍那には本舞台のほかに厳島神社と釈迦堂に農村歌舞伎舞台があったが、厳島神社の歌舞伎舞台は廃絶、釈迦堂の舞台も昭和40年の台風23号により茅葺の屋根を飛ばされてしまったため、今現在も昔の形を残すのは本舞台のみである。

藍那里づくり協議会
《藍那釈迦堂農村歌舞伎舞台》
(藍那字下ノ町)
藍那釈迦堂農村歌舞伎舞台

藍那釈迦堂農村歌舞伎舞台(現地掲示板、原文通り)

釈迦堂を改築発展させた舞台であり、神戸の商業劇場をモデルに明治26年に有志により建築された。建物間口15.3メートル、奥行き9.65メートル、舞台間口13.36メートル、奥行き9.3メートルと県下最大規模であり直径8.5メートルの回り舞台()を備える。

本舞台は昭和40年の台風23号により、茅葺の屋根を飛ばされたしまったので、現在のトタン葺に修復して以降は、農業用倉庫として使用している。

藍那には本舞台のほか、八王子宮と厳島神社に農村歌舞伎舞台があったが、厳島神社の歌舞伎舞台は廃絶しており、今現在も昔の形を残すのは八王子宮の舞台のみである。

藍那里づくり協議会
《厳島神社農村歌舞伎舞台》(解体)
(藍那字下手)

明治20年頃建築、明治37年解体。下谷上の舞台にも勝る規模で村人による地歌舞伎も行われ、釈迦堂の舞台ができてからしばらく両者は競い合っていた。(*21)

小部 《小部農村歌舞伎舞台》
(大歳神社境内(小部字松宮山)、関連リンク
小部農村歌舞伎舞台

回転機構()も備えた舞台があったが昭和28年に現在の長床()(丁殿)に建てかえられた。(*21)

《杉尾神社農村歌舞伎舞台》(解体)  下谷上の舞台とほぼ同時代の建築。昭和39年9月の台風20号で倒壊。
 入母屋造茅葺、間口11.4m、奥行6.7m。回り舞台()(径4.8m)、大迫り()、舟底型奈落()、花道()(下に奈落から続く石積みの廊下)、下座()など。
 明治・大正期には買芝居の他、消防組・青年会による地芝居も上演されたが昭和2年が最後となった。(*21)
原野《天津彦根農村歌舞伎舞台》
(天津彦根神社境内(原野字八王子))
天津彦根農村歌舞伎舞台
 一見すると平凡な長床()に見えるが、実は珍しい人形芝居専用の舞台。
 間口9.6m、奥行5.2m。舞台前面の柱に人形の足元を隠すための板をはめ込む臍がある。舞台上手の設備は物入。
 原野の人形浄瑠璃は明治初期の櫛田駒吉(1861(文久元)-1920(大正9))が人形作り・人形遣いを当時の一流の師匠の元で修行して始めた。(*21)
2006.10.22公演
《八坂農村歌舞伎舞台》(解体)
(八坂神社境内(原野字谷寺口))
八坂農村歌舞伎舞台
 昭和37年に解体されたが、その用材に天保3年(1832)とあることからそれ以前の建築であり、下谷上の舞台より古い時代の舞台。回り舞台()、下座()、二重台()、セリ上げ花道()など完備し特に花道は下谷上の舞台と同じ機構があったと言う。
 地芝居は明治23年頃から廃絶し買芝居のみ行われてきたが、昭和20年に一度再興して上演された。(*21)

 昭和54年の山田郷土史(*21)では上記の通り解体されたとなっているが、現在、八坂神社の正面、境内をはさんで向かいに写真の瓦葺の「舞台」が建てられている。
坂本《坂本農村歌舞伎舞台》
(厳島神社境内(坂本字後阪))
坂本農村歌舞伎舞台

厳島神社にあった舞台は廻り舞台()も備えていたが大正7、8年頃に解体されその跡地に長床()が建てられた。明治30年頃まで盛んに芝居興行が行われていた。(*21)

《中農村歌舞伎舞台》(解体)
(旧大歳神社境内(中字合ノ本))

明治20年前後に公会堂として使用するため改造、その後昭和初年に解体。6×3間。地歌舞伎は大正2年上演が最後。(*21)

六條八幡神社 能舞台》
(六條八幡神社境内(中字宮ノ方)、 関連リンク
六條八幡神社 能舞台

山田で唯一の能舞台。5.1m×5.1m。以前は社殿に正対していたものを移建。

起源は元禄14年(1691)で六條八幡神社の秋祭りの行事の一つとして明治までは演能があったらしいが大正には翁舞の奉納のみとなりやがてそれも無くなって今日に至る。(*21)

福地《福地農村歌舞伎舞台》(解体)
無動寺境内(福地字新池))

大正9年頃まで無動寺本堂の向かいにあった。回り舞台()、下座()、二重台()、奈落()を備える。(*21)

東下《東下農村歌舞伎舞台》(解体)
七社神社境内(東下字翁ヶ谷)、 関連リンク

奈落が広く、大道具も整った大規模な舞台で、特に回り舞台()の仕掛けは上谷上のものに似た床几()回しで高さ1尺ほどの台に背景や大道具を載せて回したらしい。明治の終わりに解体。(*21)

西下《西下農村歌舞伎舞台》(解体)
(天津彦根神社境内(西下字広畑))

大正初期まで天津彦根神社境内にあったが、場所が不便なので最法寺内や稲刈りの済んだ田んぼの仮設小屋で興行されることのほうが多かったらしい。(*21)

衝原《衝原農村歌舞伎舞台》(解体)
(旧大歳神社境内(衝原字西ノ瀬)、
関連リンク

間口こそ7間もあったが奥行きが狭く特に目立った設備は無かったらしい。大正初年には芝居の上演も廃され、昭和33、34年頃解体。(*21)

農村歌舞伎舞台 用語解説

おおせり【大迫り】
主に大道具を乗せて舞台転換に使用する、舞台正面中央にある大型の迫りのこと。
げざ【下座】
お囃子部屋。歌舞伎舞台で、下手大臣柱(下手の下座と舞台を仕切る柱)の外側の下の部屋で、下座音楽を演奏する場所。外側は連子(れんじ)窓になっていて、その内側にすだれが掛けてあります。「黒御簾(くろみす)」ともいう。(下手:観客席から舞台に向かって左側のこと)
しょうぎ【床几】
細長い板に脚を付けた,簡単な腰掛け。
せ(ま)り【迫り】
舞台床下から俳優や大道具などを乗せて迫り上げ、またはその逆の操作をする舞台機構のこと
たゆうざ【太夫座】
語り手(太夫)と三味線弾きが座る席。
ながとこ【長床】
神社で信徒が集会したり、修行したりする場。寺院などで、板敷きの上に一段高く、畳を敷いたところ。
ならく【奈落】
舞台床下の総称で、回り舞台、迫りなどの機構が設置してあり、また、大道具・小道具の置き場だったり、花道の鳥屋と楽屋との通路にもなる。
にじゅうだい【二重台】
二重舞台?(舞台床面より高い床が必要なときに必要な高さの「足」の上に「平台」を置いて、二重の床という意味の「二重」を組み上げる。このような舞台飾りを「二重(舞台)」という。)
はなみち【花道】
下手側観客席後方から観客席を貫通して、舞台へ通じる舞台の延長として、主要俳優の舞台への登退場に重要な役割を持つ設備で、「本花道」ともいう。歌舞伎劇、歌舞伎舞踊(日本舞踊)に不可欠なもので、俳優と観客との交流その他いろいろな演出効果がある。
ぶどうだな【ぶどう棚】
舞台の上部にあり吊り物用の機械、滑車などが取り付けられている、簀の子状の作業床。竹を組み合わせて造られたため「ぶどう棚」と呼ぶ。おおすのこ(大簀の子)とも言う。
まわりぶたい【回り舞台】
舞台機構の一つで、舞台床を円形に切り抜き、それを回転して場面転換に用いたり、象徴的な演出効果を得たりするためのもの。18世紀中頃大阪角座の歌舞伎芝居で初めて用いられたと言われる舞台機構で、この床の上に二場面または三場面の舞台装置を飾り、これを手動で回転させて素速く場面を転換する。「盆」と呼ぶこともある。この回り舞台を世界で最初に使用したのが歌舞伎だと言われている。
みやざ【宮座】
神社や共同体の氏子集団が中心となって神事や祭祀を行うもの。中世以来、畿内に多く見られた。
わりはいでん【割拝殿】
中央部に通路があり下足のまま通行できる拝殿。

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