下谷上農村歌舞伎舞台 (*5) (下谷上、 関連リンク、 山田町の歴史的文化財)
全国的に江戸時代の農民の娯楽であった農村歌舞伎や人形浄瑠璃(解説)を上演する農村舞台は1000以上残っているが、そのうち1割以上が兵庫県内にある。山田町を含む北神の地には15の農村舞台があり芸能の盛んな地域であったことがわかる。
天保11(1840)年の棟札(解説)がある天彦根神社(あまつひこねじんじゃ)境内の下谷上舞台(関連リンク、国重文、下谷上)は天保12年に始まった水野忠邦の天保の改革(解説)の風俗粛清で閉鎖された大坂の芝居小屋から流れてきた浄瑠璃太夫や人形遣いにより忠邦失脚後益々盛況となった。直径約6mの皿廻し式の廻り舞台(註)を持ち、特に花道(註)の裏返し機構は全国唯一。
左下の写真(菅原伝授手習鑑 寺子屋の場)では、左側に見える花道は平になっているが、下の真ん中の写真(菅原伝授手習鑑 車曳の場)では、裏返し機構により、花道上に反り橋が現れている。また舞台中央の背景も皿廻し式の廻り舞台により反転している(いずれもH16.4.25上演)。右下の写真は閉演時の舞台内部。
山田町上谷上の天満神社境内には文久3(1863)年に建てられた割拝殿(註)形式の舞台(県文化)があり床几(註)回しと呼ばれる装置を持っている。
この地方の人形浄瑠璃(解説)は山田文楽と呼ばれ淡路の三原と並び有名だが現在は遣い手もいなくなり上演不能になった。
下谷上農村歌舞伎舞台(現地掲示板、原文通り)
この舞台は、江戸時代末の天保11年(1840)に建てられた村芝居の舞台である。
江戸時代には原則として農民が芝居を観たり演じたりすることは禁じられていたが、実際にはこのような歌舞伎舞台が各地に建てられ農民たちは歌舞伎を楽しんでいた。現存する舞台は、全国で約2000棟、兵庫県下で約170棟ばかりある。
この舞台の特色は次のような点にあり、全国屈指の歌舞伎舞台として国指定の重要有形民俗文化財に指定されている。
なお、この舞台は昭和52年(1977)1月に不審火で焼損したが、同54年(1979)9月に修復された。
神戸市教育委員会