北神戸 丹生山田の郷
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外人墓地 (*5)  (下谷上)

外人墓地 再度山(関連リンク)の修法ヶ原にある外人墓地は、昭和27年にすでに飽和状態にあった旧生田川川尻の小野浜と春日野(慶応3年(1867)設置)の両外人墓地を移転した総面積14万uの墓地で、世界各国のエキゾチックな墓が宗教別(プロテスタント、カトリック、ギリシャ正教、ゾロアスター教、回教、ユダヤ教)に並んでいる。墓参などを除く墓地内への一般の立入は禁止されているが、墓地ゲートの左から展望台へ登ることができ、広大な墓地に点在するお墓の一部を垣間見ることができる。

元々は神戸に居留地(解説)が出来た時の取り決めで、旧生田川(明治4年(1871)に加納町の町名に残っている加納宗七が県庁から請け負って当時水害を繰り返していた生田川の改修工事をするまでは、現在の市役所前のフラワーロードを生田川が流れていた)の川尻、当時居留地の東端であった現在の東遊園地付近の対岸に死者を埋葬していたものが、明治2年(1869)に県との協約で正式に居留地が永代借地する小野浜墓地として設置された。明治32年(1899)に治外法権の撤廃とともに神戸市に管理が移り、また、すでに墓地が飽和状態にあったため、現新神戸駅の東1Kmほどの場所に新たに春日野墓地が設置された。

この春日野墓地もいっぱいになったため、昭和26年(1951)に再度公園北側に広大な墓苑を造成し、一々各国政府機関の了承を取り付けた上で昭和36年(1961)までかかって慎重に移転が行なわれた。移転に際しては従来小野浜、春日野では国別だった墓域を宗教別に変更している。墓碑銘には、慶応4年(1868)に土佐藩士が11名のフランス水兵を殺害した事件、神戸の町で遊んで帰る途中、泥酔して船から落ちた水兵、日立造船の前身である大阪鉄工所を起こしたハンターの墓などがあり、世界50数ヶ国、2500体以上の外国人やその親族が六甲山系の自然に抱かれて静かに眠っている。

この度(2006.11)、再度公園などとともに文化審議会により名勝として指定するよう答申された。

勇士の慰霊塔 勇士の慰霊塔(展望台)(現地掲示板、原文通り)

勇士の慰霊塔

この像は、第一次世界大戦のとき阪神間に住んでいた、英国人及び仏国人が祖国のために出征し戦死された19名の慰霊碑であります.  なお、この像は神戸外人団体により出征勇士の慰霊のため1921年(対象10年)8月 春日の墓地に建てられたものを1961年(昭和36年)ここに移設したものです.

In HONOUR of NINETEEN MEN from KOBE who fell in the GREAT WAR 1914/1918

For peace they gave themselves to war, and left
To us who stay, of their strong help bereft.
The task to make of human life a crown
Of honour to the lives that they laid down.

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