北神戸 丹生山田の郷
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原野(はらの、約7.4Ku、地図

栗花落氏屋敷跡山田の集落はまず原野から始まり、川下(西)、川上に向かって広がっていったと「山田村郷土誌」(*20)は伝えている。また、栗花落(つゆ)の井伝説で知られ(ていた?)、江戸末期の『攝津名所圖會』に、東下の鷲尾氏と並んで山田の庄を二分する豪壮な邸宅として描かれた原野の栗花落氏の屋敷(写真右)は、原野だけでなく山田全体の名家でもあった。

この山田の原点である原野には、巨大な五輪塔(成道寺の項に写真)や数々の石造物を残す成道寺や、一の谷合戦での「弁慶の鐘」伝説を残す安養寺跡など社寺や伝説の古跡が多く古い習慣をよく残している。

また現在の原野はある意味で山田の縮図といえ、前記の寺社・風習や茅葺屋根の民家が残り、有数の美田地帯でもあると共に、宅地開発も進んで神戸北町と通称されている桂木、松が枝町、日の峰、青葉台、柏尾台から北に、北区淡河(おうご)町境界まで達している。これらの住宅街もかつては原野の一部だったと思われる。

北部は、稚児ヶ墓山(596.4m)(名前の由来)、花折山(573.8m)(名前の由来)、西鹿見山(562m)など裏六甲の500m級の山で覆われている。

写真下、左から原野の茅葺の民家、原野交番所(明治の警察詰所?)址の石碑、火の見櫓(道を挟んで原野消防団の建物がある)、国道428号西側に見える変わった木(安養寺跡手前)

茅葺の民家 原野交番所址の石碑 火の見櫓 原野・福地境界付近の木

《社寺・史跡》(*21)

八阪神社(創立不詳)

戎さんで知られた西宮神社の元宮であると伝えられる。例祭は西宮神社など他の戎さんと同じ1月10日。

境内には昭和37年まで萱葺きの農村舞台があり、やや小規模ながらも下谷上の農村舞台に匹敵する設備が整っていた。

愛宕神社(創立 江戸時代初期)

江戸初期に原野に大火があり、火伏せの神である京都の愛宕神社を勧請。原野全体を見渡せる山の上に建てられ、山上には鳥居や社殿のほか、大日如来石仏がある。

成道寺(応永年間(1394-1428)開山?)

成道寺境内の五輪塔

本尊の釈迦如来の他、十一面観音坐像や如意輪観音など多くの仏像がある。石造物でも南北朝初期の巨大な五輪塔の他、宝篋印塔(解説)や石造観音像2体など室町、江戸などのものが多数ある。

写真左は境内。中央が巨大な五輪塔でその背後に小さな石造物が密集している。

安養寺(創建 鎌倉時代以前)

安養寺跡の宝篋印塔と五輪塔

明治8年に廃寺になって、仏像の多くは成道寺に移されたが、弁慶が長刀の先に陣鐘替わりにしたという伝説で知られる「弁慶の鐘」は須磨寺に移された。この鐘の銘は長禄4年(1460)で、弁慶の時代より200数十年後になる。釣鐘と共に持ち歩いたという鉄製の提灯も成道寺に保管されている。寺跡には室町時代の宝篋印塔と五輪塔が残されている。

写真右は寺跡の畑の中に残された宝篋印塔と五輪塔。

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