北神戸 丹生山田の郷
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山田 Top

(なか、 約4.3Ku、地図(*21)

蛇池山田町の中心から淡河町境界までの南北に細長い地域に展開している。かつての山田の中心。

清光寺宝篋印塔「山田村郷土誌」(*20)によれば、山田川(志染川)流域での集落の発生は、原野についで2番目だが、その名の通り山田の中心として山田13ヶ村の氏神で総鎮守社であった六條八幡神社(地図を見ると中というよりはどう見ても福地にみえるが…)が山田川の北岸にある。かつては村役場などもあり、道路の多くがここに集中していた(*21)

右の写真は、清光寺境内にある山田最大の宝篋印塔(解説、高さ2.15m)。

左上の写真は、東下の伝説で城山の姫を娶った蛇の住む蛇池の紅葉。

《社寺・史跡》(*21)

六條八幡神社六條八幡神社(文正元(1466)上棟、貞享5(1687)再建、写真右)

(現地掲示板、原文通り)

六條八幡宮

 鎮座地 神戸市北区山田町中字宮ノ片五七
 御祭神 応神天皇

由 緒 

摂津丹生山田六條八幡宮の縁起によれば、古くは若宮八幡宮と称せられ、昔、神功皇后紀伊の水門より難波の浦(大阪湾)務古の水門に御舟を留め給いし時、この山田の地にしばらく行宮を営み給う所なりと伝えられている。
後、人皇六十代一條院の御代に周防國大嶋郡の基燈法師がこの地に来て、長徳元年(九九五)五月、黒木の寶殿一宇を建立し、八幡三所の神霊を勧請した。
更に、人皇七十四代鳥羽院の御代保安四年四月、六條判官源爲義がこの山田庄の領主であった時、夢想の霊感によって六條左女牛の八幡大神を京より勧請合祀し、いにしえよりの八幡宮を再造した。
これよりふたたび神徳あらわれて多くの人が崇敬し、爲義の称号をとって六條八幡宮と申奉るようになった。

尚、室町期における神佛混淆の名残りで、今も境内に三重の塔があり、重要文化財の指定をうけている。
六條八幡神社三重塔  境内社
稲荷神社 宇賀 魂命
住吉神社 住吉三神 神功皇后
山王神社 大山 祇命
大歳神社 大歳神 高良大神
猿田彦神社 猿田彦大神

 祭日
一月十九日 厄除祭 引目神事
九月十五日 神幸祭 御輿渡御
十月第二日曜 例祭 流鏑馬神事

山田民族文化保存会

大歳神社(創祀年月不詳、関連リンク、写真下)

大歳神社六條八幡神社と共に古い時代から農耕神として信仰された。境内に舞台があったが昭和初年に解体。

火伏せ稲荷社

中村で大火があった後、再び災禍がないよう伏見稲荷から勧請。

清光寺清光寺(開基 室町時代?、2度の火災後享保6(1721)中興、写真右)

元禄13年(1700)、正徳2年(1712)の二度の火災で記録が失われ開基不明だが、境内の南北朝初期の山田最大の宝篋印塔(解説、高さ2.15m)や五輪塔、弥勒菩薩の石仏など室町前後の石造物や本堂内の大日如来座像、弘法大師座像などの作風から由緒の古さを知ることが出来る。
本堂そばの薬師如来や弘法大師・神功皇后などを祀った薬師堂では1月8日にオトウ(オコナイ、山田の祭り参照)が行われ、室町時代の応神天皇像が祀られている薬師堂そばの清光寺の鎮守社、八幡宮では1月16日に弓引き(山田の祭り参照)が行われる。

土食い地蔵

重要な願い事のときには泥を投げつけるとご利益があるので名がついた。

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