北神戸 丹生山田の郷
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小部(おうぶ、 約3.0Ku、地図名前の由来

小部・鈴蘭台地区は現在は北区の行政・交通などの中心で、最大の人口集中地域。かつては山田最大の農村地帯。惣山町は昔の小部の中心集落の後背となる山で山田を南北に分ける山並みの一部。

小部は、現在は最近開発された住宅街に分断され6つ以上の地域に分かれているが、かつてはほぼ鈴蘭台(鈴蘭台西・南・北・鈴蘭台東町、関連リンク地名の由来)、北五葉、泉台、甲栄台、若葉台そして惣山町から小部の南側、森林植物園の西側まで広がっていたと思われる。この地域は現在は北区の行政・交通などの中心で、最大の人口集中地域。かつては山田最大の農村地帯。惣山町は昔の小部の中心集落の後背となる山で山田を南北に分ける山並みの一部。

「山田村郷土誌」(*20)によれば、山田川流域の地域を谷通りと称したのに対し、尾通りにあたる部落を尾部、転じて、小部と称した。一方、「神戸歴史物語(小部・鈴蘭台)」(*20)では橘遠保が倒れた頃の、小部は、おう部(「おう」は口偏に奄))だったことになっている。現在でも小部峠、小部小・中学校の「小部」は、「おぶ」と発音されているが、地図(*4)では、「おうぶ」と記載されている。

山田南部地域では小部が最初に発生し、藍那小河と西に集落が広がっていった。小部の東・南側の山地(中一里山)は、江戸時代、数度にわたる領地紛争(中一里山紛争)を経て、下谷上領となった。

小部の史跡としては、小部峠にある宝篋印塔(写真解説)、小部の中央を東西に走り藍那に抜ける徳川道の他、大歳神社(写真関連リンク)、杉尾神社、妙賀神社、極楽寺など規模は大きくないものの多数の神社、寺院がある。かつて大歳神社脇に校舎があったこともある小部小学校は、日本で学制が発布された翌年の明治7年(1874)に開校し、現在の鈴蘭台・小部地域のほとんどの小学校の草分けとなる小学校で、かつては小部小学校付近が小部の中心地であったようだ。

(鈴蘭台開発の経緯については、鈴蘭台神戸電鉄参照)

「神戸歴史物語(小部・鈴蘭台)」(*20)による小部の成り立ち、歴史等は、異説・小部参照

小部峠と宝篋印塔

小部峠(写真左)小部峠

平野から登ってきた道が有馬方面(写真左方向)に下りて行く有馬街道(解説)と六甲山(写真右奥)から下りてきて惣山町に登る(写真手前方向)道が交差する峠の北東隅に右下の写真の宝篋印塔(解説)がある小丘がある。

小部峠宝篋印塔(写真右)宝篋印塔(ほうきょういんとう)

この塔は応永の古塔と呼ばれ室町時代初めの応永8年(1401)の建立である

小部村の鬼門(東北)に建て村内安全を祈った文化財であり小部村の古い歴史を証明するものである

昭和59年(1984)6月 小部民族文化保存会


(宝篋印塔の由来)

宝篋印陀羅尼を納める塔で原型は。呉越王「銭弘俶」の八万四千塔(日本にも渡来)に由来。鎌倉時代後に一定の形式が成立。また先祖の供養、墓碑の塔として建てる例もある。この小部宝篋印塔は地域の安全息災を願い、応永8年(足利4代将軍義持の時代)に建てられた。

小部民族文化保存会

徳川道沿道 火の見櫓 小部道標

火の見櫓と自然石の道標

惣山町の南側を東西に抜ける車道の途中、セブンイレブン(旧レストランじだはん)の向いに火の見櫓が立っている。この火の見櫓の根元の右手に草に覆われた石垣があり、そこは江戸時代からの高札場であるといわれている。昭和5年にはまだ高札が立っていたらしい。この火の見櫓の前を徳川道が通っていたと推定されている。(*17、写真左)

この火の見櫓から500mほど西に行った旧道(途中で自動車道から北側に分岐)の途中にも徳川道の自然石の道標が残っている。(写真右)
 「右 ニたび山(再度山) 左 まや山(摩耶山) 道」


 

《社寺・史跡》(*19)(*21)

大歳神社 大歳神社(写真右、関連リンク、創祀 享和2年(1802))

祭神は大歳御祖神と応神天皇(解説(*20)。大歳神社は、平安中期に建立された六條八幡神社(こちらも祭神は応神天皇)の境内社の飛び地境内として、延享元年(1744)から享和2年(1802)にかけて山を切り開き分祀されたものであるらしい。

境内には、昭和40年代に住宅開発のため移設・合祀された小上神社(写真左側の小社)があり、平安時代に瀬戸内海の藤原純友の乱を鎮圧した帰路、小部の地に没したとされる橘遠保(解説)と橘氏の祖である敏達天皇が祭られている。(*19)

明治25年には、小部小学校の校舎がこの神社の脇に建てられた。その後、小部小学校は明治42年に神社から現在の場所(神社の350m程南東)に移設されている。

大歳神社の農村舞台 回転機構も備えた農村舞台があったが昭和28年に現在の長床に建てかえられた(写真左)

大歳神社と言う名前の神社は、小部以外にも山田町内の衝原小河、また隣接する淡河町や櫨谷町(西区)、伊川谷町(西区)など、北区・西区に数多く点在している。(関連リンク

杉尾神社杉尾神社(創祀年代不詳)

大杉神社とも言われる、西小部の古社。荒神谷の村社荒神社と村社厳島神社を合祀。毎年2月21日に弓引きの神事が行われる。室町時代中期のものと推定される石灯籠がある

下谷上の農村舞台とほぼ同時期の農村舞台があったが昭和39年の台風で倒壊

萬福寺(白雉(はくち、孝徳天皇)年中(650-654)創建)

「神戸歴史物語(小部・鈴蘭台)」(*20)では、大化2年(646年)に摩耶山に寺を開いたインドの高僧法道仙人が小部の萬福寺を宿坊としたのが小部村のはじまり(上記創建年と逆転しているがほぼ一致)

境内には樹齢600年の兵庫県指定天然記念物、鶏冠木(楓に似るが秋に黄色くなる)がある

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