六甲山系余話

Top

地名の由来 六甲山系の成立 六甲登山の始まり

[地名の由来]

岩倉山 菊水山 高取山 鉄拐山 天王谷 旗振山 再度山 船坂 摩耶山 譲葉山 六甲

六甲

旗振山

鉄拐山

高取山

菊水山

天王谷

摩耶山

再度山

船坂

譲葉山

岩倉山

[六甲山系の成り立ち]

 六甲変動と呼ばれる六甲山系の隆起が始まったのは新生代第四紀の100万年前頃からで本格的な上昇はほんの?50万年前位からと言われている。
 日本列島全体で見ても山地・山脈が作られたのはほとんど新生代第四期紀以降(180万年前〜)で、その原因は約100万年前から東北日本〜西南日本全域にわたって強まった東西方向の圧縮力であると言われている。
 この東西の圧縮力により、六甲山の最高峰は100万年で932m(約1000m)上昇した。これは毎年1mmのペースに相当するが、阪神大震災のようなマグニチュード7〜8程度の地震を数100〜1,000年毎に繰り返し、その都度1〜2m程度ずつ上昇していった結果と言われている。
 六甲山地を形成する花崗岩は、白亜紀末期のころ(7500万年〜7000万年前)マグマが地下でゆっくり冷えて固まったもので、御影(みかげ)石の名前で石材としても有名。

[六甲登山の始まり]

 明治以前、六甲山は信仰や修行の場として、あるいは有馬などに海産物などを運ぶルートとして人々の往来があったが、スポーツ登山を六甲山に持ち込んだのは明治維新で神戸に来た外国人たちだった。
 長崎グラバー亭から神戸に来て茶の貿易商を始めたハンティング好きの英国人アーサー・ヘスケス・グルームが1895(明治28)年に山上の三国池周辺の土地を借り受け木造の別荘を建てて以来、外国人たちが別荘を建設し、登山路が開かれ散策を楽しむようになった。
 このため、六甲山にはシュラインロード、シェール道、カスケードバレー、アゴニー坂などのカタカナの地名が多く残っている。
 ちなみにグルームは、神戸に来て早々日本人女性と結婚し、その後73歳でなくなるまで、ゴルフ場や登山道の整備だけでなく植林、防砂工事など六甲開拓に尽くし「六甲山の開祖」と称された。

Top