丹生山系縦走 (*30)(*26)(下の写真は神戸電鉄発行の”スルッとKANSAI”「すずらんカード」(2枚組)、関連リンク・関連リンク(2))
丹生山田は、六甲連山を南の境界とし、ここでのテーマの丹生・帝釈山系を北の境界としている。
実際の丹生・帝釈山系は、三木市の志染(しじみ)のシビレ山(465m)から北区有野町唐櫃(からと、地名の由来)のキスラシ山(443m)までの東西約14Kmの山塊であるが、通常、丹生山系縦走という場合は、神戸電鉄粟生(あお)線の藍那駅を起点とし、長坂山付近の山塊(惣山町を経て六甲山につながる)を南北に横断(約5Km)して山田川を渡った後、丹生山系を丹生山から東西に縦断し、北区有野町の神戸電鉄三田(さんだ)線の岡場駅までの総延長27Kmのルートを言う。
丹生山系縦走は、阪神間でよく知られた六甲全山縦走に比べ、地元でもあまり知られておらず、延長は六甲縦走の約半分、最高地点も六甲山最高峰941mに対して稚児が墓山596m、六甲縦走の須磨アルプスのような険しい岩場の稜線なども無い。しかし、六甲縦走がかなり俗化され、住宅地の中や車道を延々と歩かされるのに対し、丹生山系縦走はそのルートの殆どが自然のままの山道であり、そして何よりも、義経や清盛、秀吉などがたどった歴史の道でもある。
以下では、毎年春に神戸電鉄主催で行われている『丹生山系縦走27キロハイク』(関連リンク)のルートに沿って、丹生山系をたどる。そのルートは、藍那駅(約220m)〜藍那小学校前(集合、関連リンク)〜藍那古道(義経道、解説、地図)〜神戸市バス丹生神社前(約160m)〜丹生神社(丹生山、515m)〜帝釈山(585.9m、地名の由来)〜稚児ヶ墓山(596.3m、地名の由来)〜花折山(573.8m、腰越、地名の由来)〜金剛童子山(565.3m、腰越)〜黒甲東道〜大蔵山(452.8m、腰越)〜八多〜藤原台〜岡場駅(約220m)。
なお、下記に示した藍那からの距離は地図上で計ったおよその距離、時刻は実際に縦走したとき(H16.4.11)の各地点の到着・通過時刻。平均的な所要時間より1〜2割速いかと思う。
藍那駅〜 | 地点 | 説明 |
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0Km | 神戸電鉄 藍那駅 (約220m) | 縦走路出発点は神戸電鉄藍那駅。無人改札を出た駅前(北側)には、謎の七本卒塔婆が並んでいる。これから向う丹生山の登りに並ぶ丁石(解説・写真)に形が似ていることからその予備だったのではないかと言う説もある。 |
0.6Km (9:26) | 藍那小〜 藍那古道 |
藍那小学校(関連リンク)横から東下に向う道が藍那古道(解説、地図))で、東下の鷲尾三郎に導かれて源義経(解説)が鵯越(解説)に向ったと伝えられることから義経道と呼ばれている。 長坂山(397m)を右に見ながら義経とは反対方向にたどるこの丘陵ルートは、ハイキングコースとしても、また、縦走路の始めのウォーミングアップとしても悪くない。木々の香りと小鳥のさえずりの中を1時間程度歩くと東下西の集落に出る。 山道を下りてすぐの三叉路の右の道を数10メートル行くと道沿いに石灯籠が建っているが、ここが鷲尾氏の屋敷跡と言われている。左の道の先には県道沿いに鳥居が見える。縦走路はこちらを進む。 |
5Km (10:20) | 丹生神社前 バス停 (約160m) 〜坂本集落 〜丹生山登り | 県道神戸社線を渡り、丹生神社前バス停横の丹生神社の鳥居(写真左)から先が、丹生山の表参道となる。この参詣道は平清盛(解説)が福原から丹生山への月参りをした烏原谷越道の北端部であり、約20Kmに渡って1丁(約109m)毎に立てたと言われる丁石がこの参道のみに現存している(解説・写真)。 山田川を渡って坂本の集落に入ると左に火の見櫓、右に丹生山明要寺の宝物を納めている丹生宝庫があり、その先の道の真ん中に地蔵(写真右)がある。地蔵の下には『従丹生山廾五丁』(廾は二十の意)の文字が彫られていて、この地蔵が丹生山から25丁目の丁石となっている。 12丁石を過ぎてしばらく行くと、左側に地蔵(延命地蔵尊)があり、直進する林道(脇参道)と左に折れて小さな石造りの丹生山橋(にうやまばし)を渡り急坂を登る表参道に分れる。表参道を登り、1丁石直前の平坦になった部分で丹生山明要寺の石碑のある台状の土地を右に見て進み、山頂に到着する。 |
8Km (11:00) | 丹生山 (515m) | 丹生山頂にかつてあった明要寺は、清盛(解説)が比叡山に見たてて月参りをした場所でもあり、また、秀吉(解説)が三木城攻略にあたって焼き討ちにした場所でもある。明要寺自体は明治の廃仏毀釈で廃寺となり、今はその鎮守社でもあり、神功皇后(解説)縁の故事によって丹生山田の地名の元となった今は無人の丹生神社のみが山頂に残っている。鳥居前の平地も含めて山頂の三段の台地がかつての明要寺の僧坊・堂宇の跡である。 鳥居の手前を右に折れて、帝釈山、稚児ヶ墓山に向う。 |
10Km (11:32) | 帝釈山 (585.9m) | 丹生山から帝釈山(名前の由来、山頂写真)に向う道で巨大な茸を見かけた。このあたりに丹生山系の素朴な自然を感じる。 丹生山から帝釈山・稚児ヶ墓山と続く山道は秀吉(解説)の焼き討ちにあった明要寺の稚児たちが必死に逃げ遂に追いつかれて殺されてしまった逃避行ルートでもある。 一服するのにちょうど良い岩の多い狭い山頂(写真右)には石の祠があり、眼下には山田川沿いの田園風景が東西に続いている。 |
11Km | 岩谷峠 (約400m) | 帝釈山からの下りの山道をロープに助けられながら下りきると山田から北区淡河町に抜ける国道428号線の岩谷峠に出る。ここから数百m車道を南下して稚児ヶ墓山の登り口である双坂池に向う。縦走路の途中では唯一の水分補給ができる自動販売機がある。 |
12Km (12:15/12:33) | 双坂池 (約380m) | 稚児ヶ墓山の北の登り口にある灌漑用の溜め池、双坂池(ふたさかいけ)。釣人がのんびり釣り糸を垂れている。 帝釈山、稚児ヶ墓山の山頂とも休みの日など狭い場所に休息している登山者が多いので、稚児ヶ墓山の石だらけの急坂にかかる前にここで食事など一休みするのも悪くない。 |
13Km (12:55) | 稚児ヶ墓山 (596.3m) | 稚児ヶ墓山(ちごがはかやま)または稚児墓山(ちごはかやま)の名前は、前述の秀吉の軍勢に追われた稚児たちがここで追いつかれ殺されたことに由来。 里人が稚児たちの運命を哀れみ石を積んでこれから向う花折山(はなおれ/はなおり)から折ってきた花を供えた塚が山頂からやや東に進んだ場所にある。 かつては林の中の藪椿の根元にひっそりと自然石が積まれていたらしいが、今は背景の木々も伐採され、白日のもとにさらされた人工的な石積みの眼下に衝原湖から箕谷方面までの山田の里が見渡せる。 |
14Km (13:17) | 肘曲り (約440m) | 谷川沿いの道を降り、志久ノ峠越えの道に出会う場所が全行程のほぼ中間点、(多分道が肘のように曲がっているから)肘曲り。志久ノ峠越え沿いに2〜300mほど北上後、東に折れて花折山の登りにかかる。 花折山(573.8m、地名の由来)の北側を腰越で廻りこんで金剛童子山方面に向う。 |
15Km (13:37) | ゴルフ場 (兵庫CC) | 山道から車道に出ると前面に兵庫カンツリー倶楽部というゴルフ場が展開する。このゴルフ場のほぼ全域が与左衛門新田という江戸末期に開発された新田。ゴルフ場の向うには金剛童子山(565.6m)が見える。 ここから、ゴルフ場の南を迂回する車道を通り、金剛童子山の南を抜けて鰻ノ手池に向う。 |
17Km | 鰻ノ手池 (約480m) | 鰻ノ手(うなぎのて)池の標識の手前から左(北)に折れて再び山道(黒甲越)に戻る。200mほど進んだところで、右側の小さな道に入る。これを見落としてまっすぐ行くと、本来の下り口より1Kmくらい西側の八多町屏風に出ることになるが、こちらの方が石ころが少なく歩きやすいかもしれない。 |
23Km (15:32) | 八多町附物 (約270m) | あとは延々と八多町附物(はたまちつくもの)を目指して渓谷沿いの道を歩くことになる。石ころが多く疲れた足にはつらい。眼下の渓谷までは高低差の大きな所では数10mあり、深山の雰囲気を楽しめる。 |
27Km (16:26) | 神戸電鉄 岡場駅 (約270m) | 灌漑用の溜め池の多い八多町の農村風景の残る道を過ぎて、有料道路や住宅地を縦断する車道沿いの道は27Kmの縦走路の最後としてはわびしい感じがする。なにはともあれ、岡場駅にたどり着いて自動販売機のビールで乾杯! |