画廊・眼(オキュルス)のこと
1981年秋 渡辺啓助
暗くなりかけた部屋の窓を閉め、門扉をあけて、いつものように、こっそり夕ぐれの街路に出る。夕ぐれの散歩は朝と違って、なんとなく、もの悲しく貧しげである。
ともかくも、小さな郵便局のかどを曲がる。曲がりたいと思ったら、すなおに曲がってみるがいい。そのはずみで、足取りも軽くなり気分もおのずから明るむ。
その路を少し行くと、これはいったい、どうしたことであろう?
暮れなずんだ街並みの右手に、新しい空間が、さわやかに浮び出たのである。その空間は最初は遠慮深く、いかにも人目をはばかるがごとく、おづおづと私を見つめていた。イヤ、そんな恰好で見つめていたのは、むしろ私のほうであったかも知れない。
「すばらしい!」私は思わず唸った。私は立ち去りかねてその空間と暫く見合っていた。
なんという素的なめぐり合せであろう。
その空間は眼そのものだった。あらゆる美を吸収し、あらゆる美を放出するオキュルスそのものだった。
じっと私を凝視する空間それ自体がすなわち眼であることによって、両者の間に暗黙の契約が成立したのである。自分の妄想的な悦びに戸惑いしながらも私はす早く契約書に判を押した。あとでこの話をする友人達は度肝を抜かれたらしい。
「なに、あそこで画廊をやるンだって――驚いたなァ――あんたのやることは、いつも発作的なんだから」――そう云われても私は抗らわなかった。この場合、「発作」といわず「天啓」とでも云ってくれたらなァ、と思った。それから私は一段とハリのある声でつけ加えた。
「画廊のオープニングはミロの絵でやります。あのミロの『太陽賛歌』による幕開けですよ。すごいでしょう。どうぞよろしく」
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