1996年



(背番号8)

試合数
打率
打席
打数
得点
打点
安打
塁打
二塁打
三塁打
本塁打
盗塁
盗塁死
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺打
長打率
出塁率
失策
130
.278(29位)
590
504
56
16
140
157
13
2
0
14
11
24
4
57
1
75
8
.312
.350
18

主なタイトル・記録

130試合フルイニング出場(リーグでわずか2人!)
1年に3度、ノーヒットノーラン破り(プロタイ)
初のサヨナラ打(7/28)
チーム盗塁王



(1996年)

試合
勝ち数
負け数
引き分け
勝率
ゲーム差
130
54
76
0
.415
23.0

寸評

 開幕G戦で3タテをくらう。さらに、厳しさを求める鬼平に選手たちが反感、という噂もあった。ただ、4月は新庄が10HRと大爆発で、少し期待はした。(ちなみに、新庄のシーズン通算HR数は19本。ということは・・・。)その後は、和田・久慈の1・2番コンビが活躍。
さらに前年度で実質デビューの桧山がそれなりにブレイク、川尻が先発として薮との二本柱でがんばり、郭李も抑えとして機能するが、チームは勝てず、ついに5月には応援団の応援ボイコット!賛否両論あったが、それほど情けないこともあったということだろう。ヤクルト戦15連敗も。(特に後も神宮ではまったく勝てなかった。)8月にはストーブリーグ開始、9月に藤田平辞任。柴田コーチが監督代行を務めた。 しかし、最終的に5位横浜と1.0ゲーム差。最下位脱出をかけたデッドヒートで、一応それなりに楽しめたという人もいたことだろう。






(1996年)

 年を越した契約更改も、4400万でサイン。
 新チームでは、2番を任されるという事で、重いバットを捨て、920gのものに変更して、バットコントロールを重視するスタイルにした。
 前年活躍の星野との争いになるかと思われたが、4月でなんと猛打賞が5度とバッティングが冴え渡る。4月末時点でもベストテンに顔を出すなどスタートダッシュに成功して、ショートに完全定着。「1・2番コンビ」かつ「二遊間コンビ」である和田とセットで大車輪の活躍を果たす。  好調の原因について当時の解説では、「内角球に対して右へ引っ張れるようになった」ということのよう。確かにライト方向へのヒットが増えた気がする。久慈本人は、「具体的にどこがよくなったのか、シーズン中は自分では分からない」と話していた。一塁へのヘッドスライディングもよく見せたりしていた。
 ちなみに、この年、1年に3度のノーノー破りの珍記録を樹立した。チーム唯一の安打を久慈が放ったという事で、つまりは他は全員ノーヒットだったということ。5月18日の広島戦では、チェコが9回2アウトまでノーヒット。27人目の打者であった久慈がHを打ち、瀬戸際でチームの屈辱を救った。  その後も、6/23広島戦でもチーム唯一の安打を、6/19のヤクルト戦でもチームの全2安打を打ち、記録達成!!おめでとう!!(チームが打て無さすぎなわけですが・・・)
 シーズン総括の話に戻ろう。開幕時の絶好調さも、6月頃にはやや落ち着くが、オールスターに監督推薦で、2年連続出場。第2戦で、AS初の先発出場(9番・遊撃)を果たし、第1打席はレフトフライながらも、第2打席で、星野(伸)からタイムリーヒット!AS7打席目で初安打をも記録した。
 これに気をよくしたから、というわけではないだろうが、7/28にはG戦の延長15回(やはり「瀬戸際」である)に、初のサヨナラ打もマークした。
 その後もフルイニングを続け、9月に入ると再び打撃状態が向上(確か月間打率は、.375くらい?)。ついに130試合フルイニング出場の偉業達成!最近の解説で、藤田平本人は「ガマンして久慈を起用した」と言っていた。結果的に、鬼平のおかげでの記録という面はありそうだ。
 球団からも「フルイニング」と並んで、「優秀選手賞」の表彰を受けた。打つほうでもほぼ自己最高記録を残している(除く、打点・・・)し、2番という打順にもうまくはまって活躍できたであろうし、記録的にもおいしいシーズンであった。久慈ファン的には、思い出の1年。
 しかし、この成績に対しても球団の評価は厳しいものであった。初回は5800万提示(?)で、大モメ。この球団評価にはOBからも「久慈頑張れ」の声援が飛び(当時のラジオ情報)、年内2度目の交渉も決裂。2年連続の越年という、事態に突入した。


◆まず髪型をチェンジ。この年からストレート&カラーリングデビューで、大胆にイメチェン。この様子は、「月刊タイガース」の連載コーナー「Gag!Gag!Tigers!」でも紹介される。ちなみに、このコーナーは、もともとは読者コーナーにイラストを頻繁に投稿していたNICOさんと言う方が、編集部に見込まれたの、93年から始めたコーナーである。 とてもおもしろいし、絵も似ているので私も非常に楽しみにしていたが、久慈さんはそのメインキャラで、NICOさんの描く久慈さんは似すぎている。では、見ていただきましょう。>>久慈さん<<
◆この「ギャグギャグタイガース」のコーナーで行われた「ごひいき君人気投票」でも2位(前年は1位だった!)に選出されていたり。投票者の母集団に偏りがあると思うので、これだけでは何ともいえませんが、とりあえず人気の証?
◆さらに、マンガ関連で話をつなげると、久慈さんは各種プロ野球マンガでよくネタにされていた。「月刊パロ野球ニュース」(竹書房・廃刊)という雑誌は、文字通り球団ごとの(4コマ含む)マンガを連載している雑誌であったが、ご存知やくみつるの「やくやくすぽーつらんど」(4コマ)にも短編でちょくちょく登場。 より特筆すべきは、みずしな孝之の「ササキ様に願いを」である。このマンガはタイトルの通りベイを中心としたマンガであるが、このマンガでシリーズネタ化された「プロ野球プチ選手会」(通称ププ会)で、久慈さんは大活躍していた。 ププ会は、身長170cm以下の選手で構成される会で、おそらく横浜・万永にヒントを得たネタであったと思うが、久慈さんはププ会のボス玉的存在として、よく登場します。 ププ会メンバーは、当初は普通の人と同じように描かれていましたが、いつのまにか、ベースの高さより少し大きい程度の人間として描かれるようになりました(笑)(この手法は、のちにやくみつるもパクった。参考)。 ぜひ「ササ願」見てみてください(ちなみに、久慈さんの絵は笑い飛ばすほど似てない。)。(いまでも、「ササ願」や「ププ会」の文字をネット上で目にすることもあり、このマンガが実はかなりの支持を得ていたことがうかがえます。なかなかおもしろいです。)
◆7/28のサヨナラ打はなかなか劇的。14回まで同点で迎えた両チームだが、15回表に巨人がHRで2点勝ち越し。ここまでかと思いきや、その裏、関川のHを皮切りに連打で同点。そして、最後に久慈さんがサヨナラ打!と来たもの。試合時間は5時間30分越え。ファンにはたまらなかっただろう。 しかし・・・!なんとこの日アトランタで、有森裕子がマラソン五輪2大会連続のメダルを獲得していて、世間の扱いは、「はぁ?TG戦なんてやってたの?」ってなもの。翌日のスポーツ紙も当然どこもかしこも「有森銅!」。こんな劇的打を打ったにも関わらず、スポーツ紙の一面を逃すあたりが、とことん「久慈的」(C)久慈組
◆しかも、何気に6/15のG戦で「サヨナラ未遂」をしている。同じく延長戦で同点の13回裏。2アウト1・2塁で、久慈がサードへ打球を放ち、2塁走者ホームイン!サヨナラ!!・・・のはずが、なんとサード・仁志の”サヨナラエラー”。記録員も空気を読んで欲しかった・・・。
◆藤田平辞任の報に、久慈さんのコメント。「まぁ、僕にとってはサヨナラ本塁打みたいなものですから」は、当時のチームメイトの気持ちを代弁していたか?
◆この年、オリックスが2年連続の優勝、そして日本一にもなった。当時のラジオ情報では、桧山が久慈家を訪問し、二人でビールを飲みながら日本シリーズを観戦。「俺たちも出たいなぁー」「出たいなぁ」との会話があったとか。それを聞いた友人(ひやマニア)と私、「じゃぁ、出てよっ!!(むきっ)」とすかさずツッコミを入れたのは言うに及ばない(^^;。「和田さんたちばかりに任せてられない。俺たちが引っ張るんだ!」という会話もあったそうですが。
◆正確な時期は分からないが、豆柴の愛犬「ハッピー」が久慈家の一員となったのは、96年シーズン前かシーズン中のこと。


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