1999年



(背番号6)

試合数
打率
打席
打数
得点
打点
安打
塁打
二塁打
三塁打
本塁打
盗塁
盗塁死
犠打
犠飛
四球
死球
三振
併殺打
長打率
出塁率
失策
107
.314
211
172
17
11
54
62
8
0
0
5
2
16
1
21
0
23
1
.360
.390
2




(1999年)

試合
勝ち数
負け数
引き分け
勝率
ゲーム差
135
81
54
0
.600
優勝

寸評

 前年度にハマとの優勝争いに競り負けた中日の、この年の目標は優勝ただ一つ!開幕時から意気込みが違ったんでしょう。なんと、開幕11連勝(日本新記録)と、これ以上にない滑り出し! 「開幕○○連勝だと優勝確率は○割」と言った話題がすでに飛び交っていましたね。この年のチームは勢いが衰えない。先発は、川上憲伸・野口(MVP受賞)・山本昌・武田が1年ローテを守り、後ろには落合・サムソンリー・新人だった岩瀬、そしてソン・ドンヨルが控えると言う鉄壁。 打線でも、関川(打撃成績2位の成績を残し、ガッツあふれるプレーでチームを引っ張った)・ゴメス・立浪のクリーンアップがしっかり機能し、山崎もHRを量産。6月に5連敗を喫し首位から陥落するも、再び首位に立つと巨人とのマッチレースに。
 一つのハイライトが、8月17日からの巨人3連戦だろう。初戦、関川の劇的な左中間サヨナラ打で勝利を収めると、2戦目も武田の粘投で勝利を収め、続く3戦目も渡辺のサヨナラ打で3タテ。その後9月頭の東京ドームの対巨人戦、久慈の勝利打点でM23を点灯させると、9月21日から一気に8連勝で9月30日優勝が決定した。
 終わってみれば、首位陥落したのは、わずか1日!文句無しの優勝であったろう。






(1999年)

 本当に本当にいろんなことがありすぎた1年で、なかなかうまくまとめきれないのですが。
 話は98年オフ突入直後から始まった。「日本生命・福留、中日を逆指名!」との見出しが大きく新聞に載る。まだ入団していない選手であったが、98年のファン感に登場するなど、まさに破格の大型新人だった。 その福留はドラフト時から「ショートに挑戦したい」発言を繰り返し、それに対して久慈は「僕にあったポジションはショート。こだわっていきますよ。」とコメント。
 そしてキャンプイン。星野監督は、「競争」と言う一方、「ルーキーに勇気を与えるため」ということで福留ショート起用を早々と公言してはばからなかった。大先輩の立浪のごとく。キャンプ終盤には、久慈の控え起用が決定的と報道された。
 開幕戦には「2番・ショート福留」が刻まれる事となったが、久慈さんは途中から守備固めとして登場。次の試合も、その次の試合も・・・。リードした試合の終盤には、ほぼ(80%くらいは?)久慈が登場した。よく言われているが、福留サイクルのチャンスがかかった打席の前でも、 久慈が守備固めとして起用されるほどの徹底振りだった(一説で、実は星野監督はサイクルリーチに気づいていなかっただけ、との情報あり・苦笑)。
 しかし、その間の彼の苦悩は計り知れない。みなさんも覚えておられるだろう。当時は久慈も30歳と、一番脂の乗る時期で、びっくりしてしまう動きと守備範囲を誇っていたし、ショート福留の守備は「あれ」だったし(ドメをけなしてるわけではないです。事実を客観的に(?)。ドメは外野で立派に大成しましたしね。)。
「悔しいとか、やってられないという思いはある。負けたとも思っていない。」―久慈はそう答えていた。ストレスから、体重も増えていったようで。それでも、「選手はフィールドに出てナンボ」と言って、ベンチ内でも腐らず、緊張の糸を持ちつづけていた。 その言葉を体現するように、久慈は試合前練習のほとんどを打撃練習に費やして、バットを相当振り込んでいたし。
 しかし、スタメン起用が何試合かあり、守備では文句なしのプレーを随所に見せてくれても、打撃成績があがらない。6月には、(打数自体が少ないものの)ついに2割を切ってしまう。最終的には規定打席に届かなくなってしまったし、もっとも辛かった時期だろうと思われる。それでも、「腐ってはいけない」と気持ちを奮い立たせていたのだろう。
 そんな日々が報われたのだろうか―情勢に変化が訪れたのは8月。後半戦スタート頃から、バッティングの調子が上向きだった久慈は、日を置きながらスタメンで出て、8/11のショートでスタメン出場すると、いきなり6試合連続安打でオーダーに定着。そこから9/16まで、ほぼ毎試合スタメンとして出場する事となった。
好調な打撃を随所に見せ、プレーが生き生きとしていたし、コメントにも「いつかはこういう日が来ると思っていました」と充実感をあふれさせる姿がまぶしかった。しかも、9/1のV打、9/18の延長勝ち越しV打など、チームにこれ以上ない派手な貢献までして。
 その集大成が、優勝決定の9/30。劣勢の試合展開に、ファースト山崎のアクシデントで、急遽ショートに入ると、同点打に加え、逆転の口火となった安打を放つなど、3安打3打点のミラクル活躍!優勝決定の前からボロボロに泣きまくる久慈の姿をカメラが何度も捕らえつつ、ついに歓喜の瞬間を迎えた。
 中日に来て、「優勝したい、優勝したい」と何度も言っていたが、その願いがついに実現したんだからそれはそれは嬉しかったのだろう。その姿を見て、改めて彼の優勝への思いを感じた。
 
 日本シリーズは、山崎の故障でスタメン出場(9番・ショート)が続いたが、チームは相当研究されていたのか、貧打にあえぐ。しかも、ショートへの打球もイージーなもので、守備の見せ場と言えばゲッツーが2つほどあったくらい。久慈自身も10-0となってしまい、5戦目(最終戦)はスタベンとなってしまった。
それでも見せ場はあった。福岡Dでのこと。久慈が、あの福岡D(しかもシリーズの場!)で、”アンビリーバブル”のライトフェンス直撃打を打ったハズ・・・だったが・・・。秋山の、これまた”アンビリーバブル”なスーパープレーで、ライトフライになってしまった。 久慈は呆然としていた。リプレイを流していたバックスクリーンを、見つめてすぐにはベンチの戻れなかった。これがほぼ唯一と言っていい、久慈さんのシリーズの思い出である。


◆正確には、98年オフの話ですが、サンテレビの真弓さんのゴルフの番組にゲストで4週連続ゲスト出演。真弓さんとはずいぶんとお仲がよろしいようです。久慈さんのスイングのフォームは美しいんですよね。ちょっとノーコンみたいですけど。あと本業と違って、飛ばし屋なあたりがおもしろい。
◆シーズン当初は、やりきれない思いをぶつけるかのように、髭をたくわえてもられた久慈さん。・・・ちょっと直視できなかったです(^^;。無いほうがいいと思いますねぇ。
◆お誕生日の4/19は東京DのG戦。この日も途中出場でしたが、フィールドに出たときドラ応援団から、「Happy Birthday♪」が演奏され、うれしそうだったのが印象的。
◆9/1G戦のヒーローインタビューに立った久慈さん。インタビュアーから、「優勝。したいですねぇー?」と聞かれて、「いやぁぁ〜、もうっ。したいっす。優勝しますっ」。この部分が、晩のスポーツニュースで流れまくった。このひとはよっぽど優勝したかったんだろう(笑)っていうほど、切実さが漂っていましたとさ。
◆優勝決定時の胴上げのこと。久慈さんはショートだったので、マウンドには早くにたどり着いたが、その後中心部分から(小さいから?)はじき出され、輪の外縁で胴上げに参加!とはいえ、センター正面のカメラを意識した位置取りはさすが。
◆ビールかけでは、青いゴーグルで大はしゃぎをしていました。「コースケ、おつかれぇぇ!!(ビールをかけまくる)」「あ・・・ありがとうございます」とドメに絡む久慈さんに対して、アナから「久慈さん、後輩いじめちゃだめですよ」「いや、いじめてない、いじめてない」。ちょっとマジになって否定していましたね。ま、本当にいじめてないと思いますが・笑
◆ダウンタウンの浜ちゃん司会の「人気者で行こう!プロ野球スペシャル」に中日代表として出演!愛甲・関川との「移籍仲良し3兄弟」で奮闘した。伊勢エビのエビチリとザリガニのエビチリを見分けるゲームで、ザリガニを選んでしまった久慈さんであった。 (目隠しをされて食べさせてもらっていたけど、あんぐりと口を開ける久慈さんに、不覚にもノックアウトを喰らってしまいました(^^;あぁー・・・かわいいですねぇ。)
最終的に中日は「草野球レベル」だったと思うが、個人成績では関っち(関川)が華麗に単独最下位を獲得!顔に”鼻たらし小僧”の落書きをされて、まんざらでもない様子でしたね。えぇ。
◆契約更改も一発サイン!「投手が『僕が守っていると安心する』と言っていたと言われた」らしい。
◆2000年の正月特番で、久慈家の様子がテレビで放映されていたそうです。残念ながら私は見ておりませんが。情報求む。


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