Windows3.0との出会いは現うきは市吉井町の旧浮羽高校のパソコン教室である。当時は日本電気の教育用パソコンの普及を担っていた関連会社の一次協力業者としてフリーアクセスフロアー・電源工事・AV配線・搬入・設置まで幅広く業務をやっていた。そこで得た知識と人脈を活かし、まだ、業務用(企業・官庁)などのネットワーク配線はLANケーブルではなく、同軸(IBM・富士通・東芝)SIFケーブル(NEC)を使用していたが内容が特殊な為、競合業者も無く、日本電気関連会社を主体に工事に従事していた。
横道にそれたが当時はPCがNECのPC-9821+一太郎+ロータス123が基本セットのようなものだった。OSはDOS6.2でメニューからアプリケーションを起動し終了するとメニューに戻り別のソフトを起動すると云う使い方だった。そこにWindowsの登場である。3.0はまだまだの能力で基本であるDOSの上に乗っかる形だったのでインストール媒体はFD4枚だった。Windowsと言うのは文字通り窓と言う意味で同時に複数のアプリケーションがひらけ、閉じることなく別のアプリケーションに移動できると云う画期的?なものだった。
?を付けたのはそれ以前に一太郎と花子の間ではジャストウインドーと言う名称で限定的では有るが同じような機能を実現していた。
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