ヴァレンティーナ リシッツァ
 Valentina Lisitsa


2005/06/21

ロシア出身でアメリカ在住の美人女流ピアニスト。
正規録音を聴くまでは、“轟音をがなり立てるが、優れた音楽家”だと思っていた。
正規録音を聴いた今は、“優れた音楽家が、轟音をがなり立てる”だと思っている。
…つまりは一緒か!?


モーツァルト、ショパン、ラフマニノフ、プロコフィエフ他
ソナタK.332、子守歌、前奏曲、ソナタ7番他
(1996、AUDIFON)

ラフマニノフの前奏曲3篇が、「音楽とは、演奏とは本来いかなる行為か」と強烈に訴えかける。

モーツァルトのソナタで示すメカニックの高さは超一流。そしてショパンの子守歌の入念な響きの扱いは、音楽家リシッツァの力量の確かさを印象付ける。ラフマニノフの前奏曲をピカピカに磨き上げる事など、たやすいはずだ…。

だが、そうは弾かなかった。

op.23-6は、ラフマニノフらしい憂鬱でロマンティックな調べを実に美しく紡ぎ出していくのだが、中間部で一瞬見せるfが憑かれている。op.32-10の激情の中間部は主題が和音の中にうずもれてしまうのも厭わず、音楽の真実にひたすら肉薄する。op.23-2も同様、自分の手に負えるぎりぎりの所まで音楽を拡大した結果、客観的には声部のバランスを欠く場面がある。だが、それがどうした!リシッツァは完成度の高さなどかなぐり捨て、己の限界と向き合う過程で生じる非常な何かを音楽に彫刻する。それは昨今のピアニストが完成度の高さの代わりにレコードから締め出してしまったものだ。 ここには時間芸術の奇跡の瞬間が多く刻印されている。「奇跡」が編集行為に耐えられないと判断して全て一発録りで挑んだピアニストに、心から敬意を表したい。

きっとリシッツァの演奏スタイルは、本人にとって諸刃の剣となり得るのではないか。ちょうどソロを弾かなくなってしまったアルゲリッチのように…。この録音でピアニストは頂点にいる。自在と恣意の狭間、奔放さと強引さの狭間、激性と暴力の狭間。僅かにバランスを崩すとガラガラと壊れ落ちるものが奇跡的に均衡を成し、リシッツァの芸術はその上で光彩を放っている。それはあまりに美しく、そして危うい。


リスニングルームへ戻る
ピアノのいる部屋トップへ戻る