クリスティアン ツィマーマン
Krystian Zimerman
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2005/01/07
クリスティアン・ツィマーマンは1956年生まれのポーランドのピアニスト。75年のショパンコンクールで最年少優勝を果たす。これは将来性を見込んでの優勝であったとも言われているが、審査委員会の目したとおりその後の成長ぶりは凄まじく、今や現代最高のピアニスト=音楽家である。完璧主義者のため発売許可した録音は名声に比して驚くほど少ないが、その全てが特一級の作品となっている。
ショパン
バラード全曲、舟歌、幻想曲
(1987、DG)
「ショパン演奏史を貫く一筋の光」
ツィマーマンが1987年に録音したショパンのバラードは、過去から未来にわたる全てのショパン愛好家に特別の感銘を与える。
もう付け加える事など何も無いのだが、この演奏が永遠の生命を持つ秘密を少しだけ考えてみたい。
技巧
ツィマーマンの音を聴いていると、触る物すべてが黄金になる王様の童話を思い出す。やや硬質で光彩に満ちたタッチ。繊細なピアノから圧倒的なフォルテまでを難なく繰り出す技量。ピアノの扱いに関して、超一流である。
様式
ショパン演奏の伝統に則ったものだと思う。「ショパンの曲は即興演奏を譜面化したもの」という話をどこかで聞いた事がある。これは言い過ぎにしても、ことバラードに関する限り幾つかの「子供たち(←シューマン談)」が天才的な発想で接合されているのを感じる。ツィマーマンのピアノは、誤解を恐れずに言えば“オペラ的演奏”で、聴き手は音楽の生成・消滅の瞬間に数多く立ち会う。
精神
透徹という言葉が一番相応しい。ツィマーマンは演奏する曲に関して自筆譜まで丹念に調べ、ピアノの調律法を学び、音響学まで勉強した人だときく。演奏を聴いていても、ショパンの音楽への愛情と共に、一切の妥協を許さぬ厳しい姿勢、現在の己の最善を尽くそうという気迫、芸術に奉仕する気高き精神に心打たれる。
私は思うのだ。ピアノを扱う技量にかけては今後ツィマーマンを凌駕する名手が現れるかもしれない。演奏様式に関しても、聴衆の居合わせる時代の空気を反映させる優れた再現芸術家が各々の時代に存在するだろう。だが、演奏者が音楽と向き合う姿勢からくる感動は、ひとえに人間の生き様に属するものであり、時空を超えて存在し続ける。これこそが、ツィマーマンのバラード集の真の魅力であろう。
2005/01/18
リスト
ソナタ、葬送曲他
(1990,91、DG)
「ドラえもーーん!」
「どうしたの、のび太君!?」
「エーンエーン、しくしくしく……」
「え、なになに?
『スネ男にリストのCDを自慢されて、持っていなくて悔しい』??
『見返してやりたいから、何か道具出してくれ』だって?
しょうがないなぁ…
☆★☆!!
ツィマーマンのリストアルバム〜!!」
「わぁ!なぁに、それ!?」
「これは22世紀では伝説の巨匠ピアニスト、クリスティアン・ツィマーマンが残した、唯一無二のリストアルバム!」
「ユイイツムニ??」
「うん。つまり最高ってこと!
メインのピアノソナタでは、冒頭から骨太のタッチによってただ事ではない何かを感じさせ、主題に入ると恐ろしいまでのフォルテの迫力と張り詰めた緊張感の凝縮、決して割れない音色と一瞬の揺るぎも無いほど堅固な造形。そのあまりに巨大で圧倒的な演奏は、録音された20世紀はおろか、22世紀になってもこれを超える演奏は存在しないとさえ言われているー!さらに並録の葬送曲でも、速めのテンポをとりながら、冴え冴えとしたヴィルトゥオージティとそれを超える霊感に貫かれた素晴らしい演奏になっているのさ!
ただしこのアルバムの欠点は選曲が渋めなところで…」
「ワーイ!早速みんなに自慢してこよーっと!!」
「…あれれ、もう行っちゃった…」
(ちなみに葬送曲もそうだが、La notte(“物思いにふける人”の原曲??)でも、一般的なリスト演奏と比較するとかなりペダルを控えて速めのテンポで弾き進んでいく。なぜそう弾くのか考えさせられる演奏である。)
「ワーン、ドラえもーん!」
「今度は一体どうしたの!?」
「オーイオィオィ、グスングスン…」
「え、なんだって?
『ラ・カンパネラが入ってないって馬鹿にされた』って??」
2005/01/22
シューベルト
即興曲集D.899,935
(1990、DG)
例えばベンツマークの付いたダンプトラックを見ると、「一流には違いないが、なんか違うな…」というものが世の中には存在する。このツィマーマンのシューベルトも、ポーランド王家の若き王子様がオーストリア庶民のお家に体験学習に滞在しているようなところ無きにしもあらず。
D.899の1番では、ツィマーマンにとっての外国人シューベルトを深く研究した上で内面的な表現にまで到達しているが、ところどころ妙にショパンらしさが顔を出す(例えば72小節からの右手の対話をテンポを落として歌った後、81小節目で加速してヨリを戻すあたり、なんか違和感がある…)。美音で綴られた2番は実に美しくテンポ設定も適切で、小手先の技巧に走らず実に品が良い。これが3番となると内発的な歌がいささか抑制されすぎている感があり、4番の中間部ももう少し鬼気迫るものが欲しい瞬間を感じる。D.935も同様だが、曲の構えががっちりしている分、こちらの方がツィマーマンに向いていると思う。大曲・優れて構成されている曲ほど良い演奏をするピアニストである。
全体的にこの演奏は、20世紀後半のシューベルトに特有の心の闇を描き出すスタイルというよりは、ピアニストの上品さ&お育ちの良さを感じる演奏である。適度に抑制された感情表出と知性を感じさせる表現は「高貴な」という形容が相応しい。
DGの巨匠サウンドはツィマーマンとは実に相性が良い。
2005/01/16
ドビュッシー
前奏曲全集
(1994、DG)
「ねぇ、せっかく晴れの休日なんだから、外に遊びに行きましょうよ!」
どちらかというとネクラで引きこもりがちなドビュッシーが、“亜麻色の髪の乙女”に誘われて遊園地でデートしているような、そんな不思議な光彩をたたえた演奏。
それは、いわゆるドビュッシー弾きではないツィマーマンとの一期一会の幸福な出会い。
ツィマーマンのキラキラした輝かしいタッチによって、晦渋なドビュッシーの作品に陽光が差し込んでいる。とくに、より明るめの色調で書かれた第1集にその感が強い。
もうひとつ面白いのは、巷の演奏に比べるとかなりペダルを抑制して弾いている事。
そこにはミシェル・ベロフの演奏との類似性も指摘できるが、「月の光」や「アラベスク1番」の作曲家より、シェーンベルク、バルトークと並ぶ20世紀音楽の作曲家としての姿を私に直感させる。
例えば「交錯する3度」や「花火」での、ペダルでぼかされない強烈な運動性を耳にすると、後の練習曲集の存在を通り越してリゲティのそれを予言しているとさえ感じてしまう。
「つまり、“つられて遊園地に遊びに来てしまった学者さんな演奏”って事?」
「イエス!」
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