** fox sleep
少し開けられた窓から入ってくる風がカーテンを揺らす。
保健室をかけていく風が心地いい。
揺れたカーテンから視線を下に移動させていき、由奈は探していた人物を見つけた。
目当ての人物――立夏は規則的な息遣いをして、ベッドで眠っていた。
「立夏くん……?」
ゆっくりとベッドサイドに進んで行き、由奈は呼びかける。反応はない。
「立夏くん……寝てるの……?」
再度呼びかけるが、やはり立夏の反応はない。代わりにすうすうと寝息が聞こえるだけだ。
立夏を見つけたのはいいが、眠っているという状況に由奈は少し頭を悩ませる。
特に何か用があったというわけではない。少し話がしたかっただけだ。
しかしそれも眠っている立夏を起こしてまでしたいとは思わない。
何より、気持ちよさそうに眠っている立夏を起こすのは気が引ける。
保健室を見回しても他の生徒も先生も居ない。
少しくらいなら、このまま眠らせてあげていてもかまわないだろう。
そう考えながら立夏の顔を見る。
普段はイタズラ好きの小悪魔なのに寝顔は天使みたいだ、なんて思う自分は重症だろうか?
まだ少年の影が色濃い顔。前髪がやや乱れて、額にかかっている。
そっと手を伸ばし、立夏の額に近づける。起こさないように、優しく髪を払う。
手を戻そうとすると同時に、立夏の口元が動き、笑みを作ったかと思うと、素早く腕を掴まれた。
そのまま腕を引かれる。勢いに逆らえず、由奈はベッドで寝ている立夏の上に倒れこんでしまった。
「由奈ちゃん、なーにしてんの?」
耳の近くで声がする。
慌てて自分の腕をつき、体勢を立て直して声の主を見る。そこにあるのは立夏の満面の笑みだった。
「ひょっとして、ボクの寝込みを襲おうとしたとか?」
からかいを含んだ声。顔が赤くなるのを自覚しながらも由奈は反論する。
「ちっ違うよ!!前髪を払っただけで、襲うとかじゃないよ!」
「ふーん?」
「っていうか、立夏くん寝たふりしてたの?」
由奈の抗議の言葉を立夏は小悪魔な笑みで受け取る。
「違うよー。君が来たから目が覚めたんだよ。……えい!」
「きゃあ……!」
立夏にさらに腕を引かれて、立て直した体勢がまた崩れた。
再び抗議をしようと、起き上がろうとしたが、それは叶わなかった。
立夏がそのまま腕を背中に回してきたからだ。
「ちょっと、立夏くん……」
「ね、少しだけこうしてて……?」
続けようとした言葉は、立夏の声に遮られた。
さっきまでの明るい声とは違う声。
わがままでなく、懇願するような含みをもたせた声。
聞きなれない声音に由奈は戸惑いながらも応じる。
「もう……。ちょっとだけだからね」
「はーい。ありがと、由奈ちゃん」
返事をする立夏の声はいつも通りだった。
ついさっきの声は聞き間違えたのかと思うぐらいに、立夏の声は明るかった。
「立夏くん……?」
微かな不安が生まれる。それを打ち消すように名前を呼ぶ。
「んー?まだだよー?」
返ってくる声はさっきと同じに明るかった。いつも通りだ。
抱きしめられている由奈からは立夏の顔は見えないが、きっと笑っているんだろうと思う。
あの声はきっと気のせいだ。この不安も。起きたばかりでちょっとのどの調子が良くなかっただけだ。
「あと10秒だからね」
自分の心をよぎった感覚を払うように、会話を続ける。
「えーケチー」
「先生が来たらどうするの?」
由奈が諭すように言うと、立夏はしぶしぶ了解した。
「はーい……」
小さくなっていく語尾とは逆に、背中に回された腕に力が込められる。
自分を包む立夏を感じながら、由奈は目を瞑りゆっくり数を数える。
「いーち……」
由奈には見えなかった。
自分を抱きこんでいる立夏の表情が、泣きそうになっていたのを。
感情を堪える。由奈には言えない、言いたくない事実を飲み込んで。
だから、代わりに望みを少し口にした。
強く、強く抱きしめたい。彼女を感じることで、自分の存在も感じていたい。
本当はずっとこうしていたい。けれど、それはきっと叶わないだろうから。
由奈が10数え終わるのと同時に表情を戻す。いつもの自分に。
「じゅう!」
最後に、回した腕にさらに力を込めて解放する。
顔を上げた由奈と目を合わせる。自然と互いに笑顔になる。嬉しいけれど少しくすぐったい、そんな顔に。
「一緒に帰ろう?」
首を傾けて由奈がたずねる。立夏の答えは決まっている。
「うん!いいよー。あ、ちょっと寄り道して帰ろうよ」
彼女と少しでも長く一緒にいられるように、小さな望みをまた少し加えて。
返ってくる言葉と同じくして、風がふわりとカーテンを揺らした。
2011/08/20…修正