出口が見つからなかった。
確かに通ってきたドアは視界を覆う緑の枝に巧妙に隠され、硬質な床はいつの間にか柔らかく湿った土に変わっていた。
クラウドはまず落ち着こう、と自分自身に語りかけた。
罰則の一環で神羅ビルを警護するようになってまだ五日目だ。
この巨大な人工都市の中心にそびえたつ神羅ビルの内部は謎だらけの建造物だった。
故郷の寒村で培われた常識で判断してはいけない。また友人に馬鹿にされてしまう。
例えば今日、自分が配属された60階だ。
一般人と上位社員との分かれ目に位置する60階では全く誰が考えたのやら、気が違いそうなほどの細かい警備規則があった。
数十秒ごとの視認確認、モニタチェック、分単位でのフロア見回り、意味のない号令と敬礼…。
しかもその見回りすらも規則正しい規定があって、歴代役員の銅像の周りを一定時間で歩き、方向転換し、戻る、を組になった相手と永遠と繰り返さなければならない、地獄の警備だった。
これを考えた奴は確実に神経症だな、とクラウドは警備一日目で思い、三日目で強迫性の不安障害と納得し、五日目の今日で、ただのバカという結論に落ち着いた。
こんな最悪な罰則についたのは、演習中にささいな諍いを起こした自分の気の短さのせいだったが、クラウドはそれを未だに担当教官の指導方針の悪さだと思っていた。
女のような顔をして、線の細い方だった自分は隊の中で随分目立っていた。
教官はそれをまるで罪悪のように責め立てた。
隊の中でクラウドは出来の悪い奴らのスケープゴートのように徹底的にしごかれた。
手の皮は簡単に破け、足はまめだらけになり、肌は焼けて夜ごと痛んだ。
生来の反発心と全くの努力と少しの天賦でクラウドはその度に教官のしごきに耐えた。
その実績で隊では必要以上にからかわれる事はなかったが、必要以上の反発心は同期さえも寄せ付けなかった。
…お陰でいらない屈辱を受ける事もなかったが。
唯一、友人と呼べるのは気骨があると部隊内で評判になってから噂を聞きつけて近付いてきたソルジャーだけだった。
午前の見回りを終えてクラウドは息をついた。
窮屈なヘルメットを外す。まだ昼の休憩には時間がある。
上の階の休憩室に行こうか、とふとクラウドは思いついた。

 リフレッシュ・ルームという名前のついた階にはばかでかい巨木がフロアの中心に生えていた。
その木の大きさに反比例して足下の土は猫の額ほどしかない。
どう考えても根が張る大きさではない。
しかし足元の慎ましやかな陣地とは裏腹に、巨木は端から端まで歩くと3分はかかるような広大なフロアの隅々まで、枝葉を茂らしていた。
リフレッシュどころの話ではない。
こんな木は山間部に住んでいた自分だって見たことはない。
 首を巡らせて樹木を見上げると、横目に神羅社員が平然とした顔で煙草に火をつけているのが見えた。

彼らは想像を絶する大木が土を離れてこのビルの61階に存在することは、脅威でも奇跡でもなんでもない風だった。
それよりも、貴重な休憩時間にライターの火が点かない事の方が脅威なのだ。
 しかし、その奇妙な61階よりも、数分前から自分が目の当たりにしている光景は想像を絶するものだった。
先ほどまで61階はただ一本の巨木が根を張る少し奇妙なフロアだったが、自分が開けたドアの先は見渡す限り緑の葉と、枝と、ツタと、苔とが覆う空前絶後の空間となっていた。

しかもそれは現実には起こり得ない植物群だった。
羊歯(しだ)と高山植物が同居し、多肉植物に菌糸が張り、巨大な花穂をつけるシロガネヨシの足下に春に咲くさくら草(オウリキュラ)が可憐な花をつけている。
見たこともない奇怪な蘭があれば、すぐそばに大輪の薔薇が咲き、アラカシの梢にツタが絡まり、蝋梅(ロウバイ)が咲き乱れ、彼岸花(リコリス)が群生しているといった風だ。
大きなソテツを掻き分けながらクラウドはめちゃくちゃな植物園を歩いた。
 それぞれの植物には黒いプラスチックの板に金で名前と学術名が彫られていた。

誰かがここを管理していることは明白だった。
しかしあまりにも植物体系を無視した生態系をしているのが不思議だった。
まるで世界のあらゆる地域を少しずつ切り取って、寄木細工のように組み合わせたように見える。
ぐるりと周囲を見回してみる。

更におかしな特徴としては、この植物園には白い花しか見当たらないことだった。

あらゆる色調の花を咲かせる薔薇や百合や蘭はもちろんのこと、クロッカス、立葵、ネリネ、フリージア、グラジオラス、金蓮花、ゴーテチア、ピラカンサ、三色スミレ…
ありとあらゆる花は全て白だった。
気持ち悪ささえ感じる。
 そして圧倒的な植物量の割には、流れる空気が人工的だった。
遠くの風景は屋外のように霞がかっていたが、まるで噴霧器で作り出したような薄ら寒さだ。
使い古した空気の匂いを、クラウドは敏感に感じ取った。
 確かに先ほどの61階よりも多くの植物に溢れた美しい場所だと思うが、ここは美しいだけで植物が生きるためのバランスを失っていた。
間違っている、とクラウドは思った。
腹立ち紛れに真っ黒な土を軍靴で踏み込むと、柔らかく土がなだれた。
コンクリートだらけのこの都市ではついぞ感じた事の無い懐かしい感触だ。  

思いとは裏腹にクラウドはふと母親を思い出した。
あの何も無い寒村で一人。元気だろうか。

 ドアを探して全くの勘で進めど、入り口のドアは見つからなかった。
いつか「非常口」「お気をつけて」などの赤色灯で照らされた出入り口が現れるかと、出来るだけ外周に沿って歩いたが、肝心の壁がどこまで行っても突き当たらない。
 30分程歩いて、クラウドはどうやら本当に迷った事に気付いた。
自社ビルの中で迷うなんて、ザックスにまた馬鹿にされる、と頭の片隅で思った。

しかしそれよりも上官になんて言い訳しよう。
「おーい」
 休憩中に、勝手に持ち場を離れて別室に紛れ込みました。
別室は趣味の悪い植物園でした。
そこでうっかり遭難しかけました。
正直に報告したら、今の警備任務延長プラス三ヶ月は兵舎の便所掃除だ。
「おーい誰か」
しかし誰の返事も返ってこなかった。鳥の声さえしない。
クラウドは自嘲気味に笑った。
ここはコンクリートの一室なんだ。
鳥の声なんてするわけがない。

 この場所から出なくてはいけない。
クラウドは一番背の高そうな木に向かって歩く事にした。
 この際、木に登ってでも出口を見つけるしかない。何が悲しくて子供の頃以来の木登りを警備中にしなければならないのかと自分が情けなくなる。

目標の背の高い木はフロアの中心部分近くにあった。
針のような葉をつけた古代杉(メタセコイア)が天井目掛けて真っ直ぐ立っている。これもまた想像を超える大きさだ。
中心部のその木に近付くにつれ、だんだんと視界が開けてきた。

この眩しさは一体何なのだろう。太陽光と同じような光の暖かさに、クラウドは目を眇めた。
 歩を進めると、剥き出しの土に芝が混じり始め、一定の間隔を置いて置石が現れ、それが連続して道になった。
 …黄色いレンガの道を行くんだ。
幼い頃に母親が聞かせてくれたおとぎ話が不意に浮かんだ。
靴を三回鳴らすから、俺をジュノンに帰してくれ。
 半ば自棄になって舗装された道を進むと、両脇に区画整理された花壇が現れた。
 やはりその花壇にも、白い花しか咲いてはいない。
「変なの」
 一度声に出すと幾分楽になった。変な庭。変なビル。変な俺。
クラウドは肺の空気を押し出すと、襟元の釦を外した。

未だ着慣れない硬い軍服の上着を脱ぐ。


勢いに任せて小高い丘を越えると、遠くに白い円柱で囲まれた四阿(あずまや)がぽつんと立っていた。

 

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