「どうやってここに来た」
 本物の蔓で編んだ籐椅子に深く腰掛けていた人物の第一声はそれだった。
ゆるく脚を組み、羽織っただけの白いスーツは袖口が風に揺れていた。男の口元が楽しげに歪んでいる。
「あの、迷って」
 クラウドは正直に言った。

椅子と同じく籐で編まれたテーブルには天板にガラスがはめ込まれていて、それが自分の顔をさかしまに映していた。
 白い肌、金の髪、青い瞳。
ガラス板に映る自分の特徴とよく似た男だった。
しかし記号的な符号が似ているだけで、親近感を抱くには程遠い相似だ。
白い肌はどこかつくりものめいていたし、金の髪は伸びすぎで、その髪の間から覗く瞳は冷たすぎた。

その上、白いスーツは緑に囲まれた植物園の中ではいっそう異質に映った。
 机上には二人分の陶器のティーセットと、象牙と黒檀とで出来たチェスの盤面が置かれていた。
対戦中のまま中断されたようで、白の陣地は白い服の男に向けられている。
こいつがこの園の主だな、と直感的にクラウドは悟った。
「あいつ、鍵を掛け忘れたまま出て行ったな」
 白い服の男はそう言うと顔に似合わず舌打ちをした。
クラウドはどうしていいかわからず、「出口、どこですか」と口早に聞いた。
「こっちが聞きたい。どこから入って来たんだ」
 男は大仰にため息をついた。しかし、それはポーズだけで、突然の来訪者に青い双眸が輝いている。
「すみません。本社は慣れていないので…」
「どこの所属だ?クラウド…」男が認識票を目ざとく見咎めて言った。
「ストライフです。クラウド・ストライフ。ジュノン陸軍」
 誰だろう、この男は。どこかの社員の息子か、年の離れた兄弟か。
命令し慣れ、物怖じせずに平然とこんな場所にいる人物にはあまり関わり合いたくなかった。
ぶつ切れになる返答を、しかし男はあまり気にしてはいないようだった。
「ジュノンか。あそこにいい思い出はあまりないな。まあ、ちょうどいい。相手をしてくれ」
言うなり、黒の駒を渡された。
「いや、戻んなきゃなんないんですって」
渡された駒を盤面の空白に戻す。
「そこは置けないぞ」
今しがた置いたナイトを指で弾かれる。
「知ってます。俺、警備中なんです」
 よく見ると、中断された盤面は圧倒的な黒の有利だった。

白のキングは、もう何手かで詰めるような配置でそれとなく囲まれていた。
相手がどう動こうと、勝負に転換は訪れないような退屈な盤面だった。
 大人気ないな、とクラウドは前の黒を指した誰かを思った。
底意地が悪い、と言った方がいいかも知れない。

終わった勝負ならキングを一思いに取ればいいのに。
まるで白のキングを監視するように、付かず離れず絶妙の位置に黒はいる。
 白と黒の技量差は、明らかに大人と子供だ。
「最後まで付き合ってくれたら出口まで案内してやる。ツォンの奴、いつも途中でいなくなる」
 そりゃ、こんな弱い奴の相手なんてしてらんないだろうよ、とクラウドは心の中でツォンという人物に同情した。

勘だが、眉間に深い皺が刻み込まれた奴に違いない。
俺よりひどい。クラウドは急いで盤面を見、手数を計算した。
多分、そうかからないうちに決着はつきそうだ。
「負けてももう一戦とかはなしですよ」
「ああ、最後までやりたいだけなんだ」
「物好きですね」
 こいつ、寂しいのかな。
漠然とクラウドは男の顔を見た。
じろじろと遠慮会釈なく男を観察すると、男は突然いい事を思いついた、と言った。
「貴重な勤務時間を割いてくれるんだ。私に勝ったら一つだけどんな質問にも答えよう」
「はあ…?」
「私の名前でも、所属でも、この会社の機密でも、聞かれたら何でも答える。どうだ?興味あるだろう?」
覗き込むように男が身を乗り出した。
クラウドはもう少しで、自分が全く興味を抱かない事柄に相対した時の悪癖を出してしまうところだった。
曰く、興味ないね、と。
 辛うじて、それを飲み込む。
「頑張ります」
「決まりだな」
男は嬉しそうに微笑んだ。
 この局面から俺に勝つつもりなのかな、こいつ?
クラウドは再び駒を手に取った。

 


勝負は目論見通り、あっという間だった。
見ず知らずの闖入者を対戦相手に据えてまで拘った盤面に白のキングが横たわっている。
 クラウドはそっと相手の顔を盗み見た。
男は不可解な笑みを浮かべていた。
──よかった。単なる暇つぶしの相手なら構わない。
「黒が強すぎるんですよ」
「私もそう思う」
 男は勝負が終わるといささか上の空で紅茶をすすった。
青みが掛かった白い陶器の茶器は男の指によく似合う。
無言で見つめると男は「飲むか?」と、ティーポットを持ち上げた。
「それより、あの…」
出口は。言葉は勝手に注がれた紅茶の香気にかき消された。

こんなものもある、と男の手にはブランデーの小瓶が握られていた。
「勤務中ですよ」
「さて、次は賞品の君の権利だ」
 クラウドの言葉を無視して男は続けた。
 なにが聞きたい?楽しげに深く椅子に腰掛けた男は、自分の正体を明かしたがっている。
完敗に近い負けをしたくせに、王者然として笑う男に生来の反発心がうずいてくる。
「本当にどんな質問でも?」
「本当にどんな質問でも」
 男は自身の金色の髪に手を入れると、目に掛かりそうな前髪を軽く払った。
どうやらそれが癖らしい。
しかし、クラウドは男の自己陶酔的な癖の由来にも、出自にも、所属にも、もちろん名前にも、どれにも興味を持たなかった。
「じゃあ、聞きたいんですけど」
「どうぞ」
「どうしてここには白い花しか咲かないんですか?」
 質問した瞬間、男の目が数度まばたきしたのが分かった。

なんだ、そんなことか、と指が軽くテーブルを叩く。
「変なことが気になるんだな」
 瓶から直接紅茶へ琥珀色の液体を注ぎながら、男は呆れた声で言った。
ブランデーの芳香が鼻腔を刺激する。
「だって変じゃないですか。おかしいですよ」
「確かに外から見ると奇異かもな」
「おまけにあんたも揃えた風に真っ白だし」
 言われて初めて気付いたかのように、男は自身の白い襟を引っ張った。
「別に私の為じゃない。研究のためだ」
 てっきり男の趣味だと思っていたクラウドは出鼻をくじかれた。
「研究?」
「白変種やら、アルビノやらを持ち込んで育てているのさ。一種の遺伝資源収集だ」
 ますます意味が分からない。
「そんなことをして、なんになるんですか?」
男はくすりと笑った。
「君はもう少し自分の所属する会社が何をしているのか、興味を持つべきだ」
ムッとしてクラウドは、男からブランデーの瓶を奪った。
「じゃああんたがここの研究を?」
 ゆるゆると紅茶と同じ色をしたブランデーが底へ落ちてゆく。
それをスプーンで乱暴にかき混ぜると、もやのようだった琥珀色ははかなく消えていった。
「責任は科学部門だ。私はそこの科学者に気に入られてるんだ」
 銀色のカードキーを自慢げに男は振った。
何かの文言が彫られていたが読めなかった。
「その科学者の言い分はこうだ。『自然界における白の意味を考えたことがあるか?あるものは神聖視され、あるものは個体群から排除され、あるものは見世物にされる』」
 かつて注ぎ込まれた言葉をなぞるように男は続けた。
『私はそういうものを、自然が作り出した力ではなく、人間のものである科学で作り出したい。個体群から排除され、恐れられ、神聖視されるような圧倒的なものを』
「驕りだ」
 間髪いれずにクラウドは答えた。
胸がムカムカした。
「そういう奴なんだ。だから白いものばかり研究している。ここには植物しかないが」
 男は園を見回して言った。
虫も鳥もいない静かな空間に、白い植物がはびこっている。
 クラウドは、その科学者が白い植物たちを薄く削り取り、乾かし、一つずつピンで留め、標本にしていく過程まで見えるような気がした。
最初からの違和感は、その科学者の固執が奇妙な植物園の選定に透けて見えたからだったのだろう。
 ビルの屋内にこんな園を作っている事自体がおかしい。
「…私も、その科学力がどこまで到達するのか見てみたい」
 どこか遠い顔で男がぽつりと漏らした。
「俺には考えられないですね」
 ぐるぐるとティーカップを掻き回していたクラウドは憮然と返した。

クラウドの故郷は寂しい山村だったが、その自然の中では今の軍隊生活よりも多くのことを学んだと自負している。
 生まれた時から父親がいず、村内の子供たちのなかでも孤立したクラウドの最大の遊び場所はニブル山の裾野だった。
ニブル山は死の山と言われるほど荒廃した山だったが、その裾野は打って変わって緑に溢れていた。
老人たちは山の荒廃は魔晄炉のせいだと口々に言ったが、魔晄による豊かな生活にやがて皆が慣れていった。

 でも、とクラウドは思った。

たまに持って帰る色とりどりの花や果物を、母親はとても喜んでくれた。
一人ぼっちのクラウドに、それはわずかのなぐさめだった。この男には一生分からない事だろう。
「俺も白い花についてなら、面白い話を知ってます」
何かを考え込んでいた白い服の男は、クラウドの言葉にむしろ優しげな顔で向き直った。
「ほう」
「俺の友人の彼女が花を育ててるんです。それで、俺の友達、ザックスって言うんですけど。
 そいつ、花のことなんか全然わからないから色々彼女が教えてくれるんです」
「羨ましいな」
「あいつには勿体無いくらいです。それで、ある日聞いたんです。花ってどうしてこんなに色んな色の花が咲くのかって。
 彼女だって花の専門家じゃないんだから、すぐには答えられません。でも一つだけ分かるって言ったんです。白い花の色の秘密です」
 クラウドはそこで言葉を切ると、四阿(あずまや)のすぐ傍に咲いていた白い花弁を一枚ちぎった。
花びらのふちはうす青く、陶器のようだったが、もう花の名前を知りたいとは思わなかった。
「それで?」
「白い花はからっぽなんだってその子は言ってました。ほら、よくあるじゃないですか。綺麗な色の花をすり潰して絵の具にしたりって。子供の時になんか…」
 ちら、と男を見る。経験が無いのだろう、男は黙っていた。
クラウドは構わず続けた。
「白い花には特別な色素とかは、なんにもないんです。つぶしてみても、混ぜてみても、却ってぐちゃぐちゃに汚くなるんです」
男は黙ってクラウドを見詰めていた。

「見て」

クラウドは親友に聞いた通りに、白い花の花弁をあたたかな紅茶の中にゆっくりと沈めていった。
白い花びらは、琥珀色の液体の中に馴染むように落ちていき、水面を境に半透明色に輝いた。
からっぽの細胞の中に液体が染んでそう見えるのだ。

─彼女、その後なんて言ったと思う?
ザックスの明るい声が、クラウドの脳内にこだました。
─『ザックスの上官さんは、このお花に似てるね』だって。
聞いたか?あの英雄を掴まえてお花だって。夢見るにも程があるよなあ。
ザックスはそう言って笑ったが、クラウドは笑えなかった。
自身が憧れ、目標とする上官と初めて演習で合間見えた時、クラウドも程度は浅かれ同じ事を思った。
 達観と言うには厭世すぎ、
 超越しているようで人形めき、
 全てを諦めているように見えた。

初めて見る神羅の英雄は「からっぽ」だった。
 人とは思えない程強大な力を持ちながら、思想も無く、信念も無く、主張も、傾向すら無い。
ただひたすらにあらゆるものを一刀の内に消し去る神羅の英雄。
迷いのない太刀筋は惹きつけられるものがあったが、その分本能的な恐怖を抱いた。
 陽に輝く銀髪、白い相貌は色が無い。
だが、ただ一つ魔晄によって輝く瞳だけが彼を彼たらしめていた。
話したことも、ましてや同じ部隊になった事も無いのに、その印象はクラウドから離れなかった。
逆に、尊敬の念が深まったくらいだ。

…だけど。

妄信的な憧れと期待と共に胸の奥に黒いもやが翳った。

3→