「白い花そのものはからっぽかもしれない」
クラウドが話し終えると、男は静かにそう切り出した。
「でもその存在はからっぽなんかじゃない。その為に実際にこの場所があり、私がいるのだから」
 クラウドは男の自答に頷くでもなく、目の前のカップを見つめた。
半透明になった白い花びらは、見えにくいが確実にそこに存在している。
 誰かが手を差し伸べさえすれば「からっぽ」ではなくなるような気がした。
白い花びらに琥珀色の液体が、静かに染み込んでいったように。
 でも、そうしたら彼は変わっていってしまうだろうか。
この花のように、透明になってしまうんだろうか。
俺の英雄では無くなってしまうんだろうか。
初めから、彼はずっとそこにいる。
動かずに、俺の手の届かないほどの高みに、一人で。
「しかし、まあ、その友人の彼女とやらは辛辣だな」
唐突に再開された会話にクラウドは「はあ…」と間抜けな声を出した。
男はクラウドの心中を見透かしたように、すっかり馬鹿にした顔で続けた。
「確かにあいつは煮ても焼いても食えないが。せいぜい式典で観賞するくらいだ」
「セフィロスを知ってるのか!」
思わず立ち上がると、椅子がガタンと音を立てた。
先ほどまでとは全く態度の違うクラウドに、男は目を細めた。
「なんだ、お前もあいつの崇拝者か」
「俺は違う!」
ふうん?と男が楽しそうにクラウドを見上げた。その視線を切り捨てながら、憮然とクラウドは見返した。
「あんな奴らと一緒にするな。俺は絶対ソルジャーになってみせる」
 男は明らかにブランデーを入れすぎの紅茶を一口飲むと顔をしかめた。
「今の時点では同じだ」
クラウドにもそれは分かりすぎるほど分かっていた。
反論しようと開いた唇が何かを言いかけて止め、真一文字に引き結ばれる。
今の自分には反論する語彙よりも実際の戦闘がなによりも必要だった。早く実戦に出たかった。
訓練ばかりの毎日ではいつまで経ってもザックスに追いつけない。ましてやセフィロスになんて。
教官は見る目がなく、部隊の奴らは外見で自分を馬鹿にする。
今ここで男に反論するよりも武勲で見せつけてやりたかった。
故郷の母親や、幼馴染や、その取り巻きたちにも。
クラウドはぎゅっと自身の手を握り締め、固く押し黙った。
時間が静かに流れる。
白い服の男はからっぽの白い植物群を飽きることなく眺めている。
「クラウド」
「…なんだよ」
お仕着せの敬語をついに止めると、相手は意地の悪い笑みを零した。
「白が空なのはお前たちがそう思いたいからだ」
男はクラウドの例え話をずっと考えていたらしかった。
「セフィロスをお前たちはそれぞれの理想で彩っているが、それは彼が空の器を持っているからだ。
 あるいはそう見せかけているからだ。彼の人格を妄信しない方がいい。彼は危険だ」
男は饒舌だった。クラウドと同じように手は拳を作っている。
「忠告してやる。奴に関わるな。お前のためだ」
排他的なニュアンスがそこには含まれていた。
またか、とクラウドは思った。
セフィロスに関わる奴は多かれ少なかれそう言う。
「あんただってセフィロスをそう思いたいだけじゃないか」
その反論に男は無表情のまま答えた。
「お前と言い合うつもりはない」
裏を返せば、男は自分自身の弁明をしているのだ。
随分自分を過大評価する奴だ、とクラウドは思った。
 男は何かを為すには刹那すぎ、人格形成に大切なものが決定的に欠けているように見えた。
 机上のガラスが光に煌めく。
クラウドはぎょっとした。
一瞬、光の加減で自分と彼とが入れ替わったように見えた。
天板のガラスを撫ぜると、少しひやりとした感触が手に落ちた。
「お前、誰なんだ?」
クラウドは男を見据えて言った。
何かを考え込んでいた男はその一言に現実へと還ってくる。
茫洋とした瞳に光が宿る。
「質問は一つだけだと言わなかったか?」
得意げに鼻を鳴らすその様は子供らしい悪戯心に満ち満ちて
いる。高そうなスーツを着て、小奇麗な顔で理想を語っても、
所詮はその程度かと思うとおかしかった。
「あんた、友達いないだろ」
単刀直入に聞くと、男は虚を突かれたような顔をした。
「…それがなんだ?」
 思いもよらない単語に驚いたことを隠すように、男は再度髪に手を潜り込ませた。
以前ならば。
軟禁される以前ならば社交も交友関係もそれなりにあったが今は全くの一人だった。
男にとって円滑に物事を進める手段の一つだったそれは水物と同じで、時を失えばたやすく切れるものだ。
この状態に陥った事は外には漏れていないが、情勢に機敏な輩はさっさと自分から離れているだろう。
男は少し悔しそうに髪の隙間からクラウドを見た。
クラウドはそんな男の様子には全く気付かない様子で「名前」と言って片手を出した。
「いつまでもあんたって呼ぶのは聞こえが悪いだろ」
 面倒臭そうにクラウドは差し出した手をひらひらと振った。
これが今日限りの対面だろうと、クラウドはうっすら理解して
いた。男の素性は神羅に深く関わっていそうで面白そうだった。
業務の合間の暇つぶしのつもりでクラウドは何気なく尋ねた。
「私は…」



「ルーファウス様!」
 そのとき、男のためらった声音に被さって低い声が響いた。
顔を上げると後ろで髪を束ねた長身の男が駆け寄ってきた。
誰かの葬式の帰りのような、真っ黒なダークスーツに黒いネクタイは、その日葬る者のためと聞いた事がある。
タークスだ。
 何となくクラウドは身構えた。
タークスとクラウドの所属する軍本部は、同じ部内だが長年いがみ合っている。
「君は?」
タークスはルーファウスと呼びかけた青年の椅子に手を掛けると身体を盾にするように前へ出た。まるで不審者扱いだ。
「彼はお前がいない間、私の警護をしていた。それより、お前こそどこへ行ってたんだ?」
クラウドが口を開く前にルーファウスは非難を込めてタークスの男を揶揄した。
とすればこいつがツォンだろうか。
「申し訳ありません。業務規定違反に当たりますので申し上げられません」
「タークス同士で何をこそこそと…」
ルーファウスは腕を組んで零したがそれ以上追求する気はないようだった。日常茶飯事なのだろう。
機嫌斜めなルーファウスと呼ばれた男は神経質に指を動かしている。
タークスの男はそ知らぬ顔でその後ろに佇んだ。
 なるほど勝てないわけだ。
クラウドはチェスの譜面を頭に思い描きながら二人の顔を見比べた。白と黒。
不意にルーファウスの指が止まり、にやりとクラウドに笑いかけた。
また変なこと思いついたな、とクラウドは直感した。
「ツォン、任務で疲れたろう?飲め」
 先ほどの自分のカップを掲げる。
「結構です」
ツォンと呼ばれた男は襟を正しながら答えた。
服装と揃えたような漆黒の髪の毛がところどころほつれている。
それが急いでこの場所に駆けつけていた事を裏付けていた。
能面のような顔は生気が無い。予想した通り眉間の皺は深かった。
「飲め」
 ルーファウスは返答に構わずカップを押し付けた。
ツォンは僅かに眉を顰めたが、覚悟したかのように礼を言って一気に中身を飲み干した。
そして硬直した。
「なんですかこれは」
 その瞬間ルーファウスが爆笑した。
息も続かない発作的な笑い方で、見ているこっちが不安になる。
「お前の、そんな顔、はじめて、見た」
 笑い声の間に甲高い声が響く。
ルーファウスは身体を折って笑い続け、目には涙が滲んでいる。ツォンは呆れたようにそれを眺め、クラウドに視線を向けた。
「これ」
クラウドは空になったブランデーの小瓶を振った。
「あんまりこいつを遊ばせておかないほうがいいんじゃないの?」
「君には関係の無い事だ」
 ツォンは簡潔にそう言うと静かにカップを置いた。
「あんたが来たなら俺は任務に戻らないと」
「案内しよう」
 タークスは迷い込んだ事も承知しているようだった。
おそらく、ここは容易には入れない場所なんだろう。
「クラウド」
席を辞する時、ルーファウスはいまだ笑いを顔に残しながら呼び止めた。
「なんですか」
「お前、敬語似合わないよ。無理に使うな」
「なんだよ」
ルーファウスは不意に微笑んだ。
笑うと険が取れ、人形めいた表情が意外なほど柔らかく見える。
今まで気付かなかったが、そうすると年齢も自分と近そうだった。
 礼が言いたかったんだ、とルーファウスは言いクラウドの持ち回りだった黒のキングを戯れに指で倒した。
知恵で謀るようりも、力で無理矢理ねじ伏せる方が彼にとってよほど簡単そうに見えた。
彼は盤上の遊戯を余暇として本当に楽しんでいるのだろうか。
「さようなら」と、彼は言った。
「さようなら」
クラウドはガラスに映った自分たちをを見、胸に去来する予感を打ち消すように努めて明るく返した。

 


 そして二度と彼には会えなかった。
 後日、おそるおそる警備室に戻ると、二時間の遭難は要人警護という名目で処理されていた。
上官は、クラウドに何か変わったことがあったか?と尋ねた。
何も異常はありませんでした、とクラウドは答えた。
それから二週間に渡る地獄の警備を完遂し、ジュノンに戻ると彼の指導教官は変わっていた。
新しい指導教官はクラウドの精神訓練の脆弱さを指摘し、射撃訓練の際に腕がぶれる癖を根気良く直してくれた。
相変わらず厳しい訓練は夢を見る暇もないくらいだったが、クラウドは心地よい疲労感に満足していた。
 ─次こそは。
次のソルジャー試験には受かる自信があった。
ライフルの分解掃除をしながら、クラウドは時々61階の奇妙な庭とその主の事を思った。
 あれからいくら調べても、友人に尋ねてみても、61階の庭と白い男についての情報は得ることが出来なかった。
そもそも、そんな場所自体が無かった。
ザックスは白昼夢だと言ってまともに取り合ってすらくれなかった。
実際に61階を訪れたくとも本社IDを持たない一般兵の自分には、到底行く事が出来ない場所だ。
しかし、ソルジャーになれば別だ。
ソルジャーになりたい
 こうしている間にも、セフィロスは連日のように新聞を賑わせている。ザックスも、少し前にジュノンを発った。
クラウドは手馴れた順序でクリーニングし終わった銃身を組み立てていった。驚異的に早くはないが、正確だ。
以前はタイムだけを気にして焦っていた。
今はもう焦りはない。
 それが新しくなった指導教官のお陰なのか、自分の成長のお陰なのか、環境の変化のせいなのかは分からなかった。
しかし転換点は明らかにあの警備任務の時からだ。
すべてが終わると、クラウドは机にそっとライフルを置いた。
弾倉に弾は無い。だが、その準備は出来ている。。
黒光りする銃はようやく手に馴染み、目的の為に研ぎ澄まされている。
─いつでもやれる。
もし、今度の試験で合格したら、故郷に一度帰るのもいいかもしれない。クラウドは思った。
ずっと家にひとりぼっちで置いてきた母親に、今度こそ胸を張って会える気がする。
 あの植物園で踏んだ土の感触が忘れられなかった。
それは幼い子供時代の象徴だった。
「ルーファウス」
その名前を声に出してみる。
自分の耳で聞くと本当に現実にあったことなのか判断がつかなくなる。
彼は今もそこにいるのだろうか。
白い存在の可能性を信じたまま、白のキングを手に、勝てないチェスをあの男と指しているのだろうか。

今のところ、クラウドにそれを確かめるすべは無い。

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