二年。
二年間死んだと思い込んでいた人物が目の前に現れたら、一体どういう顔をすればいいのだろう。
声が響く。
扉が開く。
彼が現れる。
「さすがだ。自称元ソルジャー」
皮肉気な言葉の内容。その一言だけで分かる。本物なのだ。
「腕は鈍っていないようだな?」
本物なのだ、彼は。
 途端に虚脱したかのようにクラウドは尋ねた。
「ルーファウスなのか?」
 その事実が胸に落ちてくる。生きている。
二年間、生き延びていた。
理由や説明はいらなかった。
彼はあの災厄から逃れ出ていた、それが全てだ。
彼が存在しなかった世界から、彼が存在する世界に素早く頭が切り替わる。
混乱や、これからの事態を頭の中から追い出すようにそうした。
この二年間、彼は死人として記憶のはるか彼方に追いやられていた。それを引っ張り出すだけだ。
 そうしてクラウドはお互いの間に横たわった二年の歳月を無かったものとした。


「一体、星の危機は何回あるんだ?」
 ヒーリンロッジの柔らかな弱い光の中、クラウドは少し怒り気味の声で問いただした。
目の前には白いベッドが置いてあり、その上にすっかり星痕が癒えたルーファウスが点滴を刺したまま横たわっている。
あの日彼を覆っていた白い布は見当たらず、清潔な白いシーツは膿の跡を残していない。
 クラウドは自分の左腕を見た。そこにも星の蠢きは無い。
「…レノか?」
僅かに身じろぎながらルーファウスが天井を見つめて言った。
クラウドはため息を吐きながらベッド脇の小さな椅子に腰掛けた。
簡素な椅子は以前の彼の境遇を考えれば信じられないことだ。
「くだらない用事で掛けるな、と言っといてくれ。星の危機だ何だって、あんたが倒れただけじゃないか。大袈裟だ」
 ルーファウスはくすりと笑うと、かつてあった星痕を探すように左目を手で覆った。
「よく言い聞かせておく。あいつはあれでお前の事を尊敬しているからな」
だが呼び出したりしたのは悪かった、とルーファウスは謝った。
「尊敬?」
赤毛の男を思い出す。
今も昔も、とてもそんな風には見えなかった。
「してるさ。今度、」
ルーファウスは言葉を切ると顔を背け弱い咳を二三度した。
「聞いてみるといい。レノは人の序列をはっきり言うから」
そのままゆっくり目を閉じる。
倒れたのは確かに失態だった。
 星痕症候群罹患中も、その前後も、自ら動き回ってた事も手伝い症状は芳しくない。
本物の星の危機には高ぶるほど感情が満ち、全身が充足に満たされるのに、それが過ぎ去った後は穏やかな日々に調子が狂う。
胸腔にぽっかりと穴が開いた気がする。
それは実際二年前のあの日からずっと感じていたことだった。
そこにある心臓が跳ねることもなくただ機械的に動いている。
ルーファウスは、争いの中に生きてきた人間にはよくあることだと自分を諭した。
そうでなくても諸悪の根源の神羅代表として、平和の構築に自分の腕は不必要だった。
かつての部下だったリーブならうまくやるだろうと思い、その動向を影に援助しようとしたが、
実際リーブは神羅時代の時よりもはるかに上手く立ち回り、世界の秩序回復に貢献している。
精力的に活動するリーブを横目に、懸案が終わった途端に倒れてしまう素直な自分の体が情けなかった。
再び目を開こうとすると、皮手袋を外したクラウドの手が目の前に降ってきた。
「風邪か?あんたが倒れるのも、死ぬのも、俺には関係ないけど、それでタークスの奴らを慌てさせるのはやめろよ」
俺も今日みたいにとばっちり受けて迷惑だし。
クラウドの手はそのまま額に滑った。冷たい。
エンジンを掛けたままのバイクの排気音が微かに聞こえる。
「仕事中だったか」
その手の冷たさに任せて再び瞳を閉じる。
「仕事中だ」
「そうか」
「寝るなよ。俺の話聞いてた?」
「聞いている。もうこんな事はしない」
「違う。あんたが倒れても俺の知ったことじゃないけど、急に黙って倒れるなって事。イリーナが死にそうな顔してた」
 イリーナの表情が容易に想像出来る。
「では先に遺言でも書いておこう」
「冗談じゃなくてほんとにあんたは後のこと考えておいた方がいいんじゃないか?どうするんだよ、これから」
何故かクラウドの方が苛立っているようだった。
その不可解な気持ちは本人にも分かっているようで、思わず目を見開くと視線が明後日に彷徨っていた。
「また連絡されても困るし。人知れず星に還るつもりなら、どっか遠くの山の中とかにしてくれ」
「あいにくタークスの携帯は衛星電波受信だから、ミッドガルの裏からでもお前の店に届くぞ」
「すごく迷惑」
額の上に置かれていたクラウドの手が離れ、行き場をなくしたその手は呆れたように胸の上で組まれた。
「でも星の危機ならば、お前はいつでも参上するんだろ?私の依頼を引き受けるか否かは別として」
「すごく迷惑」
眉根を寄せて睨まれる。
満足したルーファウスは再び細い窓の外を眺めた。
体の不調は星痕症候群の比ではなかったが、その時とは明らかに違う要因が身体の内側から何かを訴えていた。

 もう一度、包帯の取れた自身の首筋を何とはなしに触る。
あんなにも異質なものを抱え込んでいた為なのか、それが一瞬の奇跡の後に消えてしまうと奇妙な喪失感があった。
目に見える形で存在していた星の罰が、今はもう見えない。
それを望んでいたはずなのに、どこかで再来を待ち望んでいる自分がいる。有り得ない感情だった。
自分に未だに付き従っているタークスの為にも。
何よりもまず世界は未だ再建途中なのだ。
「クラウド…」
囁くような声が漏れる。
聞こえるまいと思ったのに、クラウドは振り向いた。
「なんだよ」
七年前とあまり変わらない声。
魔晄を浴びてしまった為に変色した瞳の色こそ当時と違うが、
あの二度の災厄を乗り越えてきたとは思えないほど彼は初めて会った時と変わらない。
「お前は相変わらずだな」
 少し斜に構えて見やると、幾分緊張気味にクラウドは姿勢を正した。
「何の事だ」
「さて、何の事だろう?」
茶化すとクラウドは顔に朱を上らせて反論しようとした。
褒めたつもりだったが、侮辱されたと思ったらしい。
クラウドは変なところで生真面目だ。
だがその時、隣室のドアが全く何の脈絡もなく怒涛の勢いで開いた。
「せ、先輩…重いです」
「イリーナ、手!手!ドア開いてるじゃん!」
見るとコンソールに手を掛けたままイリーナが突っ伏していた。その上に折り重なるようにレノが被さっている。
まるで緊張感のかけらもない。
クラウドは居心地の悪さに思わず咳払いをした。
タークスらしからぬ二人の失態にルーファウスが優しげな声音で二人の名前を呼ぶ。
「レノ、イリーナ。二人とも何をしていた?」
 恐ろしい事に笑顔もおまけだった。
「はい!自分は社長の警備をしていました」
健気にもイリーナは律儀に答えた。
レノが馬鹿、と小声でたしなめる。
「馬鹿はどっちだ。盗み聞きするくらいなら私に黙って連絡なんてしなければいいじゃないか」
ぴしゃりと叱責するとレノは観念したように肩をすくめた。
「だって、あんたさ…」
「まだ私に言いたい事があるか?レノ」
ある種の笑顔は武器になり得る事をクラウドは改めて思った。
しかしレノは慣れたものなのか、それを軽く受け流すとクラウドに近付いて来た。
「外のバイクってお前のだろ?」
「……」
クラウドは無言のまま赤毛の男を見上げた。
「ちょっと貸せよ、あれ。一回乗ってみたいぞ、と」
これのどこが尊敬なんだ。
クラウドはルーファウスを再度睨み付けたが、当の本人はレノの背後の人物に気を取られ気付いていなかった。
上機嫌で喋り散らしていたレノが不意に押し黙る。
クラウドもつられて振り向くと、死んだと思っていた人物その二がいつの間にかレノの後ろに佇んでいた。
「あ…ツォンさん…」
「レノ、話がある。ちょっと来い」
かつて敵だったタークス主任は赤毛の男を気配だけで黙らせ引きずっていった。
その後ろではルードがイリーナを甲斐甲斐しく抱き起こしている。
「お前の所も相変わらずじゃないか」
 騒々しい一団が嵐のように去っていくとクラウドはルーファウスの顔を覗き込むようにして言った。
言い訳も出来ない状況だ。
「全く」
ルーファウスは苦く笑った。


5→