風が耳の横を通り過ぎる。
後ろに病み上がりの男を乗せていながら、クラウドは構わずアクセルを踏み込んだ。
ゴーグルもヘルメットも被っていない彼は上限無く上がるスピード、狂気のモンスターバイク「フェンリル」にきっと蒼白だろう。
その光景を想像してクラウドは人知れず笑った。
ルーファウスは最後まで車両での移動を希望したが「湿地帯をどうやって抜ける気だ」という鶴の一声で押し黙った。
次いでヘリでの移動を希望したが、あいにく二人ともヘリの操縦技術は持ち合わせていなかった。
あの時のルーファウスの顔は見物だった。
「もうすぐエッジ郊外だ」
エンジン音に負けないように怒鳴ったが、聞こえているかは定かではない。
背に回された腕が勘弁してくれとばかりに力を増した。
クラウドは「死ぬ…」とかすかに聞こえたルーファウスの断末魔を聞こえないふりをした。
「ずいぶん、荒い、運転だ」
適当な場所でうるさい荷物を下すと強がりのようにルーファウスは開口一番そう言った。
案の定顔面蒼白。
「タークスの安全送迎みたいにはいかないからな」
「ヘタクソ」
エッジ郊外、ミッドガルエリアに広がる原野は北に世界最大の都市を頂いているとは思えないほど荒涼としている。
乾いた大地は風雨に削られ、奇妙な巨岩石を形作っている。
時たま丈の短い草が足下をそよぐ。それすらも貴重だ。
今ならこの荒廃が金と豊かさの為に吸い出されたライフストリームの枯渇のせいだと判断できる。
遠くに元凶のミッドガルと、それを囲むように建築されたエッジの遠景が見える。
「遠いな」
独り言のようにルーファウスが呟く。
遮られるものはない風が強く吹いた。
「さっさと済ませよう」
ゴーグルを額に持ち上げ、クラウドが促す。
強い風に二人の白と黒の衣装がはためいた。
同じ身体的特徴を持っていながら、二人の纏う色は対照的だった。
この光景には既視感がある。
「チェスはあれからどうなった?」
言いながらクラウドは、バイクに積んである剣の一本を取り出した。
バイクバッグから火炎のマテリアを引っ張り出すと、剣に付属するマテリア穴へそれを押し込む。
「どう、とは」
「少しは強くなったのか」
ヘタクソ、と先ほどの仕返しに小声で付け加えると、さすがにルーファウスはむっとしたようだった。
「もう止めた。あれは時間が掛かりすぎる」
「またやれよ。タークス相手にでも。どうせ暇なんだろ」
精神を集中する。短く詠唱を唱えるとマテリアが淡く輝いた。
マテリアの力は星の記憶だ。
全てを終わらせたいと願う時、その力はいつでもクラウドの助けとなった。
「私はこれでも多忙なんだ。遊戯に興じている暇は無い」
「だからいつまで経ってもそのままなんだよ」
クラウドが言い終わるや否や、ルーファウスの手に乗っていた小さな種に青い炎が点った。
静かな炎は熱さを感じさせず、はらはらと種子の外皮を壊していく。剥がれる殻を、ルーファウスは手助けするようにそっと押し潰した。
「もうやらない」
七年前よりも長くなったルーファウスの金色の髪が、風にかき混ぜられて目元に当時の影を作っている。
風の音が強く聞こえた気がした。
クラウドが呼び出した青い炎は、蛇のようにルーファウスの手のひらの上で踊り、幻の種を焼き尽くしていく。
少しずつ壊死していくその外郭は名残のように骸炭化し、煙も出さないまま長く燃え続けた。
これがこれからの自分たちの指標の光になりはしまいかと、クラウドはその最期を見詰め続けた。
日はすっかり傾き、西日は地平線に沈もうとしている。
赤く照らされた地面と、手の中で青く踊る炎と、輝く金髪は光に溢れていた。
これでいい。
胸の内で繰り返すと、クラウドは溢れる光で霞みそうになる彼の手を取り、その中の種を砕いた。
ルーファウスは何かを言いかけたが、結局それを無言で眺めただけだった。
日はゆっくりと一日の終わりの光を強める。
ルーファウスの白い服が濃い光に赤く染まる様を言葉もないまま、二人は黙って立ち尽くしていた。
様々な思いが胸中に去来し、口を閉じさせ、目を開かせた。
耳はただ風の音だけを伝え、繋がる手指はお互いの鼓動を知らせてくれる。生きている証、規則正しい熱い血の巡る音だ。
その音を確かめると、クラウドはふと気付いた。
別れを告げる時が訪れたのだ。
実際それは一瞬で済む。
ルーファウスは無言でクラウドを見据え、その時を待っていた。
クラウドは剣を握り締めた。
長い一瞬だった。
葛藤は既に過ぎ去ったものなのに、まるでお膳立てされたこの状況に、敢えて乗ってやってもいいとさえクラウドは思った。
落日は二人を赤く染めていた。
気付けば、辺りの風景は半死半生でミッドガルに辿り着いたあの頃と何一つ変わっていない。
切り立った崖と大岩、遠くに見えるミッドガル。強い風に揺れる雑草。
何の意図もなくバイクを走らせたのに、ここに辿り着いたのはもう一度ここから始める為の準備なのかもしれない。
ではまた友人を失って俺は新しく生まれ変わるべきだろうか?
馬鹿げた自問に首を振る。もう七年前とは違う。
自分を生かす為に死んだ友の為にそんなことは出来なかった。
七年前は星に蔓延する死の影が、幾人もの人々を出会わせていた。
今は光が、これから生きる人々を、それぞれが生き続けるために別れさせようとしている。
自分がその途中で得、そして失ったものはあまりに大きい。
長い旅の果てに知った真実と、この星の理(ことわり)は自分の範疇を越えていた。
その事実を思い返す度に打ちのめされそうになる。
自身の境界線を保てないほどの煩悶は、長くクラウドを苦しめた。
それでも自分には待ってくれる人たちがいる。
帰る場所はある。
この男の中にも。
神羅最高権力者の中にも、クラウドが知らない人々の中にも、きっとそれはある。あると信じられる。
この星の最後の古代種は、それを教えてくれた。
彼女の願いも無駄にはしたくない。
クラウドは不穏な空気を仕舞い込み、剣を収めた。
そして深い深呼吸を二度した。
心の奥の複雑な感情は紐解かれるように整列し、クラウドの前に不思議そうに並んだ。
いつかはそれらをひとつひとつ認め、受け止められる時がくるだろうか。
クラウドは顔を上げた。
ルーファウスが微笑む。
「こんなチャンスは二度とくれてやらんぞ。馬鹿な奴め」
彼は空いた片手で、ばさりと髪をかき上げた。
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