かさぶた

 

 
「昔、重い本をちょうだいって頼んだ事があったわ」
「なに?なんだって?」
鳥の声が真上で聞こえる。
言葉初めをそれにかき消されたクラウドは唐突な打ち明け話に戸惑った。
「神羅の人がなんでも好きなものを買ってあげるよって言ったの」
エアリスはちょっと笑った。何がしかの光景が頭の中をかすめたような笑い方だった。
「それで、わたし、重い本を。神羅の人困ってたな」
エアリスの指は桟橋の木目の上を意味もなくなぞっていった。
クラウドは白いその指を黙って見詰めた。
エアリスの声は高く澄んで優しく、細い。
でも何故か、海から吹く風には少しも紛れない。
「なんの本が欲しかったんだ?」
「なんでも良かったのよ。何でも。ただ困らせてみたかっただけ」
同心円状に広がる木目を辿る指を止め、エアリスはクラウドを見た。
「そういうのってクラウドはない?」
クラウドは黙って首を振った。
「そうね。クラウドはそういうのってないよね。でもわたし時々やるの。そういうこと。
神羅の人は結局分厚い花の図鑑を持ってきたわ。私がやっと持てるくらいの重い本。
多分とても高い本。箱に収まって、綺麗な糸で編んだ栞が何本も出てる本。
『これでいいかな?』なんて彼は言うの。私は「何でもいい」って言ったのに。
それで二人で本を部屋に運び入れて押し花を作ったの」
「押し花…」
「そう、押し花の重石に本を使ったの。とっても綺麗に押せたのよ。
神羅の人はどうしてこの本なんだって聞いてたけど、そんなの私も一緒よね。
どうしてあなたたちは私なの?って」
エアリスの混じりけのないみどり色の瞳が俺の人工的な青の瞳を覗き込んでくる。
俺の中には何もないのに。
「…ティファ達が帰ってくる」
「そうだね」
エアリスは俺に何かを伝えたがっている。一途に、切実に。
俺が気付くのを待っているように俺の中を覗き込もうとする。
でもそこに答えがないのをエアリスの緑色の目は見てしまう。
俺が何かを言う前に、エアリスはスカートについた砂を払い歩き出した。
海へと降りる階段の上でユフィのはしゃぐ声が聞こえ、飛び跳ねた髪の毛が見えた。
「わたし、まだあの押し花をあの人が持っていると思う」
風に紛れない声は返事を期待しないものだと分かっていたが、過ぎった黒服の男の
冷たい黒い目を思い出したクラウドはつい返答していた。
「あんな奴が?」
クラウドの一歩前を歩いていたエアリスはふと歩みを止めると振り返った。
「そういう小さい事は信じてあげようと思って」
神羅はぜんぜん信じてあげないけど!
ばん、とエアリスはそれまで手に持っていた靴裏を合わせて砂を落とすと、
仲間の方向へ裸足で駆けていった。

 笑顔のエアリスとは対照的に、心配そうな顔のティファがユフィと一緒に遠くに見える。
みんなが何かを俺に聞きたがっている。
昔の事。これからの事。自分たちの事。ほんとうのところを。
でも俺はそれに何も答えられないでいる。
どうして俺なんだ?
なぜみんなそんな目で俺を見るんだ。
エアリスの言う重い本で押した花のようなものが自分にもあればよかった。
実際、暗闇の中で針を探すようなものだ。
姿も形も分からない「それ」は手に入れればみんなが納得する代物だろう。
それを手に入れればみんな俺に質問しなくなるし、心配もしなくなる。
俺の目の奥も覗き込まなくて済む。
それがあれば、こんなに苦しい思いをしなくて済むはずなのだ。
得体の知れない重みに潰される前に、成さなければならない。
それが終われば全てが変わるのだ。
頭の中の声にも、胸の痛みにも煩わされない。
ただ、それのみを望めばいいのだ。