ノイズ




意味を成さない彼の言葉は心地のいいノイズ。
字面と音の響きだけで脈絡なく構成される文脈を乗り越える事は
確かに億劫だけど聞き流す分にはこの上ない音楽だ。
垂れ流される言葉の洪水を堰き止める事は本人にも不可能なんだろう。
彼の隣で濁流に流されぬようにしっかりと白衣を握るのはその所為かもしれない。
ノイズにたゆたいながら君の水底のような冷たい体温に触れて眠ると夢を見なくて済むから
僕は君が好きだった。

「話をして」

強請ると意気揚々と男は話し始める。
もう男はこちらを見ない。自分の操る韻律に夢中なのだ。
時々自分でもお気に入りの言葉を探し当てるとふいに押し黙るから、
見上げると馬鹿みたいに抱き締められた。
全く、ろくでもない話を次から次へとよくもまあ作り出すもんだね。
少々呆れ気味の僕の視線を受け流し報告書を繰りながら男は続ける。
でも男の言葉も声も耳朶には優しい。
柔らかく打つ鼓膜への振動はそのまま身体を包み込む波になる。
ちっとも効かない致死量ギリギリの睡眠薬よりは、よほど手軽で健康的だ。
今日も男は気ままに一人で行間の散歩をしている。
ブラブラと手近な小石を蹴ってみたり、そこらの子犬を可愛がって溺れさせてみたり、
ふと隣の恋人を抱いてみたりしていた。
多くは道草で潰されはしたけれどそれでも確実に男は歩いていた。

「愛しているよ」

「お前の事は愛しているよ」

でも時々繰り返される言葉は嫌いだ。それはいつも変わらず、その意味も普遍で
君らしくもない。それでも君は壊れたようにその言葉を好んだ。
それは本心じゃないからなんだろう?
壊れた言葉と慣れた指先が身体を辿れば、ロマンチックな科学者は口を閉ざし
僕は途切れる事もなく啼かなければならない。
嫌だ、黙らないで。こっちを見ないで。君のノイズが聞きたいだけなんだ。
昏い深遠にどこまでも落ちていくような瞳は底がなくて動けなくなる。
時折さかなの様に跳ねる正直な身体を男は声も出さずに笑った。
散々に嬲られても、君のノイズは全てを忘れさせてくれるからやっぱり僕は君が好き。

 

                        :::::::::::::::


 夢を見る事を恐れる僕は君のノイズが必要だ。
 この赤い星が堕ちる前に君の頭から全てのノイズを引きずり出して、聞き終えなければならない。
 そうでなければとても恐ろしくて心臓が潰れた今も両の瞼を下ろす事は出来ない。 
 長い年月をかけて編纂している君の物語は今どこにあるの?
 
…君は今どこに?


シュールレアリスムの巨匠がミシンとコウモリ傘を手術台の上で
出会わせたんなら、この”腐った”場所で君と僕が出会うことも出来るはずだ。
(残念ながら僕らの再会には、詩人が喜ぶような美しさはちっともないだろうけれど)
でも、そうだろう?
僕はそう信じている。
…それくらいには僕だって、君の事を愛していたんだ。

 

 


ねえ、全ての血が流れ堕ちてしまう前にどうか還ってきて。
この 僕のもとに。



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