洗面台の話

 

 

 家の洗面台は狭い。
力説するほど狭い。
部屋の設計図に棒切れを立てて、そこから寝室、キッチン、風呂、トイレ、必要最低限の設備を引いていって
一番最後に棒のまわりに残ってる砂を一列に並べたみたいな狭さだ。
 顔を洗う際に一番大事なコツは肘を閉じることだ。
そうして手に溜めた水をそうっと顔に擦り付けるようにして洗わなければ、そこらじゅうが水浸しになってしまう。
クラウドが最初にその洗面台を見たときに発した言葉は「ひどい」以外の何物でもなかった。
先人たちの失敗のせいで毎朝水を被った洗面台の床は、踏むと申し訳程度に敷かれた防水マットを挟んで柔らかく沈んだ。
まるで朝露に濡れた苔の上を歩いているようだ。ここが前人未到の大森林であれば、の話だが。
「どうするね?」
 長年の労苦を全て顔に降り積もらせた老婆が促した。
クラウドはため息を吐いた。
スラムでまともな部屋を見つけられるかどうかは全て金とコネにかかっている。
それ以外で見つけるとすれば足しかない。
幸い、その狭い洗面台以外、部屋はまともだったのでクラウドは妥協した。

 

 だが、この狭さは特筆に価する…。
日頃クラウドが何かにつけ愚痴っている噂の棒倒しゲームに生き残った洗面台を目の辺りにしてルーファウスはそう一人ごちた。
これでは一世紀前のように洗面器に水差しの方がまだマシだ。
「忘れてた」
背後から声がした。困惑を貼り付けたままルーファウスが振り向く。
「お前んとこの洗面所って俺の部屋より広いんだった」
訴える相手を間違えた、と声が続くがルーファウスは返す言葉がなかった。
 この狭さに加えて毎朝クラウドが整える髪の整髪料の数が凄かった。
ワックスやジェルにムース、スプレーにローション。怪しげな植物や動物由来の油まであった。
それらが押し合いへし合い、ひしめき合って狭い洗面台の棚は立錐の余地もない。
窓の外をうるさいバイクやトラックが地響きを鳴らして通り抜けるたびにそれらが互いに身を震わせてちりちりと鳴った。
プレート上の都市とは違い地面に直接接しているスラムに地震が起きたら、機械塔の地震計よりも
ここのスプレー缶の揺れ具合を見たほうが正確なんじゃないかという気さえ起きる。
そのありとあらゆる整髪剤で、クラウドは自身の髪の毛を毎朝こちらの眠気が吹っ飛ぶくらい派手に逆立てた。 
 あの柔らかで見事な金髪をどうして必要以上に固めるのかルーファウスにはさっぱりわからなかった。
生まれたてのヒナだってあんなにほわほわの羽毛はしていない。
 例えられる対象がすべてチョコボなのにルーファウスは気付いていなかった。
まさにそのためにクラウドは自分の髪型に苦心していた。
「うるさいな。俺はこれが気に入ってるんだ」
「でもそのお陰であの洗面所はますます狭く感じるぞ」
風呂から出た後、珍しく濡れたままの髪をルーファウスが引っ張った。
「触るな。それは両立出来ない問題なんだ」
「ほう」
ドライヤーの音が部屋に響き渡る。
濡れて輝く金髪はチョコボの後ろ毛のようにぴんぴんとあちらこちらに跳ねた。
 ルーファウスは躍起になって、昔図鑑で見た膨大な項目からチョコボの生態解説を思い出そうとしていた。
──チョコボは他の鳥のように綺麗で純粋に愛でられるものではなく、生活に根ざした鳥だ。
魔晄が人々の助けになる前は乗り物として世界を跋扈していたし、ギャンブルの為に飼育されたり軍用に調教されてもいた。
人間に利用される前、遥か昔は大空を自由に飛べたと聞くが、今は品種改良され飼い慣らされた飛べない大型の鳥だ。
 クラウドはドライヤーを髪にことさら押し付けながらルーファウスをじろりと見た。
「なに考えてるんだよ」
「別に」
勢い良く流れるドライヤーの轟音に返事は届いたかさだかではない。
不審そうにクラウドはもう一度ちらりとルーファウスを見た。
(その努力は感心だと思うが…)
自身もクラウドと同じような金髪だが、愚直なまでに真っ直ぐな髪質はチョコボと似ても似つかない。
父親と同じ髪はルーファウスを不快にさせたが、それも人によって評価は違うのだろう。
だから、あんなにも狭い洗面台で必死に整髪剤片手に鏡に向かうクラウドが好ましかった。
「時々お前には敵わないと思うよ」
「はぁ?馬鹿にしてんですか?」
「褒めてるんだ」
構わずクラウドは手にあるドライヤーをルーファウスに向けてきた。
風量:強、に入っている熱風が顔面に容赦なく吹き付ける。
「わっ」
「はは、お前も少しは髪型変えたら?」
唸りを上げるドライヤーの轟音が耳元で聞こえる。
いつもは額を覆っている金の髪が風に巻き上げられて後ろに倒れていた。
「プレジデントそっくり」
「うるさいな。チョコボ頭!」
 底辺の言い争いを狭い洗面台で繰り広げているとこの狭さもちょっといいかな、とクラウドは心の片隅でほんの一瞬だけ思った。