喪失


 

黒い銃口が俺を見据えた。
よく走馬灯、なんて言うけどそんな余裕あるもんか。
俺の眉間を狙う凶器から目をずらせば見知らぬ男。
瞬間、重力が何倍もの圧力で俺に襲い掛かる。
がち、と音がしそうなほど男は強い目で俺を見ていた。
一言、脳に面白くもない文字が浮かんだ。 


‥破裂音は反響の所為か思いの外大きかった。
瞬きする時間もなかった。
鼓動も息を忘れた。
だが衝撃はいくら待ってもやってこなかった。
そのかわり大きく見開かれた目は、見知らぬ男が奇妙に跳ねるのを見た。
男の頭は見えない力で殴られたように大きくブレた。
赤と白が、まるでそこに命中したのを祝うかのようにぱっと爆ぜた。
液体が床に落ちきるまでは誰も呪縛に動けなかった。


‥男の近くにいた青いドレスの女は顔を朱に染め上げられていた。

 

「ルーファウス様!」
タークスが駆け寄る。
その怒鳴り声に触発されて、誰かが悲鳴を上げた。

それがレースの合図のように客達は我先にと扉に殺到した。
一瞬の内にパニック状態になった室内を狙われた張本人は虚を突かれた
ように見ていた。
詰めていた息を吐く間もない内に周りを黒の制服が素早く取り囲む。
歩ける、と抗議しているのに殆ど抱き抱えられるようにしてルーファウスは部屋から連れ出された。

もう一度返り討ちにあった男を見ようと、タークスの面々の肩越しに振り返った
ルーファウスは阿鼻叫喚の体に陥った室内の中で唯一静かに佇む青年を見た。
悲鳴と怒号の中、青年の握る銃口からは細く硝煙が立ち昇っていた。

 


               ::::

 

そういえば。
人が殺される所なんて初めて見た。

 

無事屋敷に送り届けられるまでルーファウスは幾分興奮状態にあった。
自分の命を知りもしない男に狙われた事に身体は細かい震えを隠せなかったが。
ぎゅう、と傍にいたタークスのスーツの端を掴むといつもは笑いかけてくれる男は
常になく真面目な顔で「大丈夫ですよ」と言った。
「あの男は死にました。ルーファウス様は私達がお守りしますから」
「誰?誰が撃ったんだ?」
「ツォンでしたね、あれは。最近入った者です」
「ツォン?‥‥タークスの中で一番若いじゃないか。俺とそう変わらないのに」
「十歳は違います…」
「そうか?もっと若いかと思ってた。それにしてもお前、新入りに遅れを取ったのか?」
震えを隠そうと身体を上下に揺らしながら、詰るようにタークスの失態を上げる。
「すみません…」
「功名心からか?それとも死にたがりかな?何故タークスでも分からなかった奴を撃てた?」
「彼は優秀ですからね」
躁状態から口を突いて出る独り言に黒服の男は律儀に答える。
その答えにルーファウスは眉根を寄せた。
「優秀といえるか?発砲後奴は呆けたように突っ立ったままだったぞ」
「……罪悪感にでも苛まれてたのでしょう。初めは皆そうです」
男のあからさまな嘘に笑おうとしたが顔が強張って笑みを作れない。
自分は案外小心者かも知れない。
今更皮肉に笑う事も馬鹿らしくなってルーファウスはまじまじと男を見詰めた。
「……そうだろうか…」
男はいつになく複雑な表情をしてルーファウスを見下ろしていた。

なぜだろう
なぜあの青年はタークスよりも先に行動出来たのだろうか

「まさか…」
いつのまにか震えは収まっていた。
一つの考えがルーファウスを捕らえて離さない。
常ならば決して下手な憶測を口にしたりはしないのに不安から勝手に言葉が飛び出す。
それは否定してもらう為に。
見知らぬ誰かに間近に銃口を突きつけられる事がこんなにも怖い事だとは思わなかった。

「ルーファウス様」
しかし、ぴしゃりとタークスの男は遮った。
「明日になれば分かる事です。推測でものを仰らないで下さい」
「……」
「この件は私が責任を持って処理致します。私を信じて頂けますか」
「…事後報告はしろよ」
「それはプレジデントのご意向次第です」
決然とはね付けられてルーファウスは驚いて隣の男を見上げた。
「何故だ?」
「この件は私どもにお任せを」
「どうして」
「ルーファウス様、」
男の鋭い目とかち合う。
男の恐ろしく強い有無を言わせぬ眼差しに、思わず瞬間走った自身の怯えを隠そうと、ルーファウスは目線を外した。
「私にはまだなんとも言えません」
「……」

 

仕方なくルーファウスは流れる車外の街頭に視線を彷徨わせた。
遥か遠くまで続く夜景は権力の証。輝く電光は神羅のたまものだ。

タークスの男の言う事は尤もだった。ただ自分が父にとってまだ役不足なだけのことだ。
だが、一代でこの街を作り上げた父には何時まで経っても自分は役立たずに写るだろう。

ミッドガルは闇に溶けて、ただ人工の光だけが瞬いている。
神羅が作り出した巨大都市。この光も、闇も、今目にしている全ては神羅のものだ。
光に都市の骨組みが浮かび上がる。

その美しく不気味な光景に、ルーファウスは先程黒服の男に遮られた思考を思い返していた。


自分を狙った男と、それを撃った新入りの青年。
2人はとてもよく似ていた。
神羅ではあまり見ない黄褐色の肌、切れ長の目…そして…
この闇よりも暗い漆黒の髪。


(あの青年もこの街と同じだ…)

そうだ…
彼もまた。

おそらくはその故郷を捨てて。

今日、真にこの自分のものに……

 

 


いや、
「神羅」のものとなったのだ。

 

男を撃った後、呆然と立ち尽くしたあの青年の姿を何度も思い返したルーファウスは、
自分でも分からない高揚とした気分に何故か泣きたいような感情に襲われた。

しかし、涙は案の定流れなかった。