つまらない喧嘩をした。
そういう日に限って夜は歩哨の当番が回ってきたりする。

───最悪だ。





 

耽溺





 

 ジュノン基地正門から数メートル離れた高台にある見張り場所から通用門を見下ろしていると
夜間だと言うのに数台の軍トラックが列をなして進んでいるのが見えた。
肩にかけたサブ・マシンガンを抱え直したついでに、わずかに踵を上げると
ヘッドライトに照らされた兵士らが守衛と掛け合っている姿が裸眼で目視出来る。
 多分、今度の合同演習の先発隊だろう。
クラウドは眩しく視界を流れる車列のヘッドライトに目を細めながらそれを眺めた。
迷彩の幌に隠されたトラックにはミッドガルからの神羅兵が大勢乗っているんだろう。
自分があの神羅ビルの警護をするくらいになれば、果たしてソルジャーになる資格へ
近づけた事になるのだろうか。神羅軍最大の基地正門の歩哨に立つ、その事だけで
血の滲むような努力をし、今の地位に上り詰めたというのに対外から見れば見張りの一兵士に
過ぎない事に今更ながら思い当たったクラウドは、同僚に見咎められないように溜息を吐いた。


ソルジャーになりたい


 ただその一心で辛い訓練に耐え、泣きたいような新兵苛めにも折り合いをつけ
軍隊生活を続けていたのに、時折押さえつけた精神が爆発する時があった。
今日の一件で営倉入りにすらならなかったのは、ただ単に嘘が上手くなってきただけだ。
以前に比べて手を出す前に『この後どうなるか』を考えるようになったのも、
軍に入って学んだ事の一つだった。
それにしても。
(あの野郎、上官の見えない所で一発蹴るくらいすれば良かった)
今、思い出しても腹が立つ。

故郷のニブルヘイムとは違い、厚い装甲に守られた岸壁に建ち背後に海を湛えるジュノン要塞は
真夏の夜には付き物のカエルの合唱も聞こえなければ虫の鳴き声さえも聞こえないが
繰り返し打ち付ける波音がクラウドの思考を何度も何度も混ぜ返した。
蒸し暑い夏間の歩哨は昼に比べれば断然夜の方が人気だったが、クラウドはこの
波音しか聞こえないジュノンの夜が好きではなかった。
ニブルには海がない所為もあり田舎だった所為もあるが、毎夜うるさいほどの虫、カエル、
鳥、梢のざわめきに慣れた耳には、このただ一つ轟音と響く波音は不気味でしかなかった。
何か大きなものに飲み込まれてしまいそうな、一定のリズムで岸壁に打ち付ける波音。
昼間とは違い寝静まった夜に、それは押し潰されそうに大きい。
(今日はほんとに最悪だ…)
背筋だけは日頃の訓練で定規を当てても合格点が貰えるくらいピンと伸びていたが
しつこく鳴り響く波の音に心は静かに怯えていた。

「クラウド・ストライフ!」

びくり、と背が波打つ。
同僚が不審そうにちらりとこちらを見、すぐに自分の持ち場へ視線を戻した。
遅いお咎めだろうか。

「ストライフ!来い。持ち場変更だ」
顎でしゃくられて言われるままに上官の元へ走る。
任務途中に持ち場変更なんて珍しい。
「はい」
「先発隊がこんなに早く着くとはこちらも思ってなかった。
 今更だが兵舎の確認と運動場周辺の見回りを」
上官はテキパキと何かのリストに連なるクラウドの名前の上に横線を引くと、
彼に懐中電灯と鍵束を手渡した。その持ち場は別の兵士がやっているはずだ。
訝しげに返事を返す。
「それが病欠だ。悪いな」
上官が苦い顔で笑う。珍しい。
同期の兵士を思い出してみると確か夕飯の時は元気にしていたように思う。
それに軍が病欠扱いしてくれた事も珍しいといえば珍しい。
(腹でも下したのかな)
あまり深く考えずに「では」と命令を了承して次の持ち場へと移動する。
ただ突っ立ってるだけよりは歩き回れた方が楽だ。
そんな気楽な気持ちだった。

 


 首尾よく夜の兵舎の見回りを済ますと、重く水分を含んだ海からの風を体に受けながら
運動場に続く鉄扉を開けた。兵舎に面して丁寧な整地をされた運動場は、
昼間の喧騒が幻のようにひっそりとして毎朝毎夕、神羅の軍旗を掲げる銀色のポールが
旗の無いまま寂しげに月光を浴びてひっそりと立っていた。
あとはこの運動場の見回りで終りだ。
遠くで先発隊の連中が荷を降ろす物音と聞き取れない話し声が響いていた。
夜間作業の為の強烈なカクテル・ライトが中空に掛かった半月を霞ませ、
クラウドの瞼を閉じさせるかのように凶悪に光り輝いている。
クラウドは、特に不審者が隠れようもない運動場の外周を懐中電灯を持ちつつ進み、
そして回り終わった。相変わらず何の物音もしない運動場だった。
いや、音は鳴り続けていた。波の音だけは。
クラウドは懐中電灯を右手に持ったまま視線を宙に漂わせ、カクテル・ライトとそれに照らされた
自分とは無縁の兵士たちのさざなみのような物音に耳を澄ませていた。
『ソルジャーになる』そう言って村を飛び出して来た自分と、あの眩しい光に包まれた奴らには
一体どれほどの隔たりがあるのだろう。
それを考えると自分の持つちっぽけな懐中電灯がたまらなく情けなく、そして悔しかった。
…お前は筋がいい、そう言ってくれた上官もいたし、それを理由に執拗な嫉妬を受けた事もあった。
だが試験に臨んでみるといつも結果は「不採用」、その一言だった。
 
 ──不意に熱い塊が頭の一部分を占め、自分でも分からない獰猛な気持ちが湧き上がった。
プラスチックの懐中電灯が突然増した握力に悲鳴を上げる。
昼間と同じだ。自分でも抑えられない。
凶暴な感情の嵐が過ぎるのをしばらく待った後、おそるおそる懐中電灯に食い込んだ手を緩める。
ぱきり、とプラスチックの角が歪む音がしてあっけなく指とそれは離れた。
緊張して張った肩の力を少しずつ抜いていくと、身体が安堵のような吐息を零した。
最後に大きく息を吐いて、痛い程の光を投げかけるライトに焼かれた目を閉じると
白い骨のような残像が瞼の裏に残った。
(戻ろう。考えたって仕方のない事なんだ)
ちかちかと痛む目をこすり、踵を返す。
そして、ずり落ちそうなサブ・マシンガンを肩にかけ直した。

 

 その時ぱたん、と微かな音がクラウドの耳朶を打った。
ともすれば波音にかき消されてしまいそうな微かな音は、それでも波間の間に同じ音を響かせた。
ぱたん、…ぱたん、ぱたん。
軽い打ち付ける音は少し遠く、そして近い所から聞こえる気がした。訝しげに音の方を見やる。
田舎育ちで夜目がきく彼はすぐに音の原因を探し出した。
運動場隅の訓練用プールへ続く木戸が風で鳴っている。
蝶番が海からの潮風で大分錆ついて駄目になっていた。取替えが必要だろう。
せめて片側にくくりつけて音を止めようとドアを押さえつつプール・サイドへ足を踏み入れたクラウドは、
そこに思いがけない人物を認めて思わず懐中電灯を取り落としそうになった。

「セ、セフィロス!」

と同時にがたん、と大きな音を立てて今度こそ本当に蝶番はぼろぼろと崩れてしまった。
柔くなった金具はクラウドがちょっと力を入れただけで木戸から外れて地面に落ちた。
「お前が止めをさしたな」
セフィロスは銀糸のような髪を肩に流すように払うと、そう言って少しだけ口の端を歪めた。
「え、あ…すいません…」
クラウドは上官を呼び捨てにしてしまった気まずさと蝶番を完全に壊してしまった事の
どちらを先に謝ろうか、咄嗟にわからなくなって取り合えず頭を下げた。
二人の時ならば呼び捨てでも構わないとセフィロスは言うが、彼が一人だと分からない内に
いきなり呼び捨ててしまったのは明らかに失態だろう。
それにしてもどうしてこんな場所に彼が一人でいるのか、わけがわからなかった。
プールサイドに一人立つ神羅の英雄は、張られた水の乱反射を受けてぼんやりと淡く光っていた。
重なり合う水の紋様の影が、遠くのカクテル・ライトに更に照らされてセフィロスの
銀色の髪や、漆黒のコートや、その肌に落ちていた。
なまめかしくその全身を覆う光の狂乱にクラウドがぼうっと見とれていると、
セフィロスは少しく強い声で少年に尋ねる。

「今日、同じ隊の者と小競り合いをしたそうだな?」
「どうしてそれを?」
ぼうっと惚けていたクラウドはびっくりして目をしばたいた。
「先に私の質問に答えろ。今日、同じ隊の者と喧嘩したそうだな」
憮然としてクラウドは答える。
「喧嘩まではいってない。手はお互い出してないし、喧嘩なんてものじゃ…」
弁明を皆まで聞かずに、セフィロスは不審そうにクラウドを見た。

「お前は最近何を焦っているんだ?」

セフィロスの冷たい眼光を受けて平然としていられる輩はそう多くはいない。
しかしクラウドはその少ない一人だった。
「…あなたには関係のない事です」
セフィロスの手は借りたくなかった。いくら親密な仲だと言ってもそれを打ち明けて
どうにかしてくれるとも思えなかったし、叱咤激励は彼の得意とするところではないのは
これまでの付き合いから十分分かっていた。ただ、いつもならもっと上手く言い逃れる事が
出来るのに、あいにく今日は自分でも驚くほど刺を含んだ言葉が出た。
何もかも予想外だった。

「たいした言い草だ」
セフィロスは呆れたような声音でそう言うとクラウドから視線を外した。
それきり押し黙ったセフィロスにどう接していいのか分からなくなったクラウドは
手持ち無沙汰に右手に持った懐中電灯をプールの波紋の中に投げかけてみた。
冷たい銀色の光と暖かい金色の光がプールの奥底で戯れてはほどけていく。
一番遠くの方まで光は届き、届いたが、しかしそれだけだった。

「…心配してくれたんですか」
「そうじゃなければこんな真似はしない」
フェンスに凭れたままセフィロスは淡々と答えた。
その所在無げな様子に、クラウドはふと脳裏を過ぎった疑問をぶつけてみた。
「もしかして、俺の同僚を病欠扱いにしたのはあなたですか」
セフィロスは答えなかった。
クラウドはやれやれ、と思い、自分は見くびられてるな、と思った。
そしてこの持ち場へ自分を回した上官の困ったような、それでいて下卑た笑みを
思い出して再度気が重くなった。


「確かに、最近自分は焦って余裕がないと思いますよ」
ふと、手元の懐中電灯遊びを止めて、思い切ってクラウドは言った。
「でも大丈夫です。今度の試験には合格して見せます」
クラウドは一息にそう言うと、振り返ってセフィロスを見た。
彼はまだ光の消えた辺りをぼんやりと見ていた。
「…セフィロス?」
相変わらずゆらゆらと揺らめく水の波紋を受け、そしてそれを銀の髪で吸い込むように
取り込みながら、夜のプールサイドに彼はまるで幻想のように立っていた。
一種侵し難いその硬質な雰囲気はクラウドにそれ以上立ち入る事を恐れさせ、
同時にその神聖な空気にクラウドはどうしようもなく魅かれた。
「私らしくないか」
不意に何の物音もしない(もうクラウドには波音も、遠くの喧騒も聞こえなかった)プールサイドに
夜の静けさに似合いの低い声が響いた。
ぽつりと呟いたセフィロスは、一拍置いてゆっくり瞼を閉じると闇にも淡く光る
魔晄色の瞳をクラウドに向けた。心臓が高鳴る。
そして何の前触れも無く、クラウドの僅かに染まった耳の際からその金の髪に手を伸ばしてきた。
初めは驚きにわずかに身を竦ませていたクラウドだったが
その手がただ髪を梳く気持ちよさに誘われるようにその手を掴み
「セフィロスらしくないよ」
と妙に泣きそうになりながら、それでも笑いながら言った。

 セフィロスに光の影が何層にも漂っているように、クラウドにも同じ波紋が幾重にも取り巻いていた。
それはまるで光の網の目のように広がり、そうして彼を優しく縛っていた。
セフィロスはその光景に一瞬虚を突かれたかのように立ち尽くすと、次の瞬間強くクラウドをかき抱いた。




からんからん、と懐中電灯が陽気な軽い音を響かせてタイルの上を転がっていくのを目の端に
クラウドはそれをどこか遠い出来事のように感じていた。
息も出来ない程強く抱きすくめられ、身長差に爪先立つ。
自分の金の髪とセフィロスの銀の髪が顔に交じり合いながら落ちて来て、クラウドはぼんやりと
ああ 自分たちはあのプールの底にいるのだ、と思った。
遠い水面を前に音もなく沈んでいく。波が平面に揺れる水裏の海。
故郷には無かったものだ。故郷では見られなかったものだ。
クラウドは唐突に、自分が初めてジュノン行きの連絡船に乗船した際
天地が逆転する程のひどい酔いに襲われた事を思い出した。
コスタ・デル・ソルで見た初めての海に今のセフィロスと同じ憧れと恐れを抱いた。
そしてその真っ只中へ揺さぶられて進む海原に自分を見失うのが怖かった。
だってこの海に比べて自分が乗る船はあまりにも小さい。
今も同じだ。セフィロスに抱かれて、故郷の山から遠く引き剥がされ流されてゆく自分。
彼に溺れるのではなく、彼と一緒に溺れてゆくならどんな事も怖くはないのに。

───酔っているのかもしれない。この夜と彼に。
また海のような彼を前に、自分の存在を揺さ振られるような酔いに
前後が分からなくなっているだけかもしれなかった。
もう何も分からない。しがみつけるのは彼しかいない。
セフィロスの唇が耳元で囁く。
クラウドはそれに「セフィロスらしい」と、くすぐったそうに答えた。


遠くで兵士たちの喧騒が聞こえる。カクテル・ライトが相変わらず凶悪な光を放っている。
冷たいプール・タイルに背中を押し付けながら、クラウドはどこかへ落ちていった
懐中電灯の心配をしたが、セフィロスに器用に外された襟元へキスを受ける段階になって
次々と襲い来る快楽の波に全て押し流され、綺麗に忘れた。







              



クラウドが同僚と喧嘩しそうになった理由が「セフィロスを侮辱されたから」なんて言えないよ…言えやしないよ…!



ワレモ恋ウ」のるいかさんと、「NightFlight」のユイさんに捧げました。お二人のセフィクラトークとMOEに触発されてセフィクラ書きます!と
言ってみたものの、新しいカップリングに四苦八苦でした。セフィクラ初心者の作文を貰って下さったお二人に感謝!
後日お二人もプールサイド的な作品を作ってくださるようです。もし出来たらここにお迎えする予定です。楽しみ!

ユイさんが絵を描いてくれました〜!→こちらからどうぞ。