爪切り


 

ぱちん ぱちん


けっして広くはないアパートに音が響く。


ぱちん


白く伸びた爪を切り落としていく。

ぱちん

高く響くその音。

「なにをしているんだ?」

頭上から声がふる。
俺は顔を上げずに短くそれに答えた。
「爪切り」

ぱちん

左手が終った。

「爪切り?」

右手に取り掛かる。

「そう」

左手で親指の爪を挟み込む。

「爪切りってそれのこと?」

…思わず予定していた所より大幅に爪を切ってしまった。

「え」

信じられない。

「なに、あんた爪切り知らないって言うの」
「ああ…、なんだそれ初めて見た」

マジで!

「うっそ、じゃあ今まで爪切りってどうしてたの?」
「磨(と)いでもらってたが…普通はそれで切るものなのか?」

ルーファウスの女の爪のような手指を見る。
きちんとケアされていて俺みたいにささくれなんて一つも無い。
爪なんか俺の家の安っぽい照明でもピカピカ綺麗に光っている。




所得格差って…
こんなとこにもでるもんなんだなあ…




なんだか少し落ち込む。
母親もティファもエアリスも、それぞれ綺麗な手指をしていたがそれとは全く違う。
この手は冷たい水にあかぎれた事も、厳しい修行に怪我した事も、土を混ぜて汚れた事もないんだろう。

「うちにはやすりなんてないよ」

俺はことさら素っ気無く言った。

「それにあんたの爪磨いてやるような趣味、俺にはないから」


ぱちん


人差し指も完了。

「俺ここまで爪伸びたの、初めてかも知れない」
しげしげと自分の爪を見ながら彼はそう零す。

…言ってろ、ぼんぼんめ。


ぱちん ぱちん


どんどん爪は切られて、くずかごに落ちていく。

ルーファウスは別段困ったようではなく、さらりと言った。

「じゃあ、爪切りの仕方を教えてくれないか?」


ぱちん
最後の小指も終った。丸く綺麗に切れた事に俺は満足する。

「…いいけど。でもこんなの、教えるほど難しくない」
「悪いな」

仕事中の時は上げている髪が今は下りている。
その上彼にしては珍しく愁傷なセリフを聞けたので再度俺は満足した。

「じゃあここ座って」

ぽん、と自分の隣をたたく。
素直にそれに従った彼の腕を取る。

「手、貸して」

しっかりと彼の手を取る。
手始めに人差し指一本を捕まえると指先が動かないようにぎゅ、と
自分の指を絡めてそれを握った。

「…なんか」

不意に彼が口を開いた。お互いが妙に密着したまま動きが止まる。

「あ?」

神羅社長に深爪させまいとして、俺は結構必死だったので
彼が言わんとしている事がいまいちわからなかった。

「…いや、なんでもない…」
「なんだよ。嫌なら自分でやって」
ルーファウスは再度なんでもない、と言った。

「?」
至近距離で下から見上げるとほんの少しだけ耳が赤く染まっていた。
「?」
まあ、とにかく爪切りだ。
俺は愛用の爪切りを持ちかえるとそれをルーファウスの整った、しかし伸びすぎの爪にあてがった。
俺よりも柔らかい爪は少しの力でぱちんと切れる。

「ほら、別に難しくないだろ」
「あ、ああ…」
「ここでホラ、挟むように持って」

彼の左手を掴んで爪切りを持たせる。
そのまま上から包みこむように握ると、今度は彼の右手の親指を持つ。
「やってみて」

ぱちん

「さんかくにしてくみたいに切ってくの。真ん中最後に切って、あとは全体を丸く
 整えて…うん、ちょっとずつ切って終り」

ぱちん ぱちん

左手の彼の指を動かしながら説明していく。
ぱちぱちと手際よく動く自分の手にルーファウスの手はただ添えられているだけだ。

「わかった?」

ぱ、と彼の両手を離してやる。

「わ、分かった…」
「左手で右手の爪切るの、最初ちょっと難しいかもしんないけどすぐ慣れるよ」

じゃあ、と言って立ち上がる。

「頑張って。そんな年で爪切り一つ使えないのって恥ずかしいよ」
ぽりぽりと面倒臭そうにうなじを掻きながら俺は言った。
実際、ガキじゃあるまいし、いい大人にこんな事を教えるのは
なんとなく気恥ずかしいものがあった。
そのまま台所に行こうとしたクラウドを白い手が引き止める。

 

そしてその整った唇が言葉を紡いじゃったりするんだ。

 

「すまないが、もう一回やってくれないか?」

 

… 
はあ?すいませんけど なんですって?

…と、言えば良かったんだけどなあ。



 


 覚えの悪い生徒に、俺はすっかり騙されて10本の指の爪全部を切る羽目になってしまった。
ルーファウスは初めての爪切りとすっきりと綺麗になった爪を見て満足気だ。

…今度はスパルタにしよう…

足の爪も切れ、と知らぬ間に上手に強制されないうちに爪切りだけは覚えさせよう。
クラウドははあ、と溜息をついた。