譫言



「宝条先生、薬は嫌です」
「何故」
幾分苛ついた声音でそれでも白衣の男は返す。
「だっていうでしょう…譫言を言うって」
そんな男の態度には全く頓着せずに少年は楽しげに言う。
「それが嫌なんです」
うっそりと笑みをその瞳に宿らせた彼はまるでこの世のものではない程ひどく美しい。
このまま病室に差し込むひかりに溶けてもおかしくはない。
その薄い背も白い肌も金の髪もまるで存在がないのだ。
唯一の青の目はよく出来たガラスのようで。それを縁取る長い金の睫毛も額縁のようだ。
人形の方がよほど生気がある。
そして人形以下の目はツォンを映さない。
「何故?」
その透明な膜に少しでも自分を映さないか、とツォンは問いただす。
しかし彼がその瞳にツォンを映し出す前に白衣の科学者は吐き捨てるように言った。

「どこかで聞いたような話だ」

再び宝条に向き直ると言葉を紡ぐために開きかけた口を笑みで閉ざして、
「あなたのためですよ」
と、ルーファウスは笑う。
宝条は彼を見ようともしなかった。
ツォンはふいに、この秘密めいた病室に3対の目は不必要だ、と感じた。
全く自分たちの目は不必要だ。
何かに駆られて自分の主の青い目を抉る事ぐらいは出来るかもしれない。
そうだ、そうするべきだ。
そうすれば彼の目は永遠に自分を映し出さないかわりに他の何者をも映さない。
そうして閉じられた瞼はいつまでも彼を静謐な空間に閉じ込めてくれるだろう。
彼の澄み切った青い絵の具を見れなくなることは残念だが、今の状況よりは幾分ましだろう。
だがこの科学者は。
ツォンが奪った彼の目をいとも容易く作り出す。
彼の心を気紛れに幾度も幾度も容易く作り出す。
科学者が(その態度に反して)ひどくルーファウスを気に入っている事は分かっている。
だがそれは愛情や所有欲ではない。
どう扱おうが彼のその身分にも身体にも心にもおかまいなしで。
だがルーファウスが自身に懐くのは何にも増して鬱陶しいらしい。

感情に任せてこの科学者を殺したら?ツォンは昏く考える。
しかし、今ここでその胸に鉛の弾を撃ち込んでも、この男は決して彼を離そうとはしない。
どこまでも彼を連れて行ってしまう。
ルーファウスはそれを否定するだろう。あるいは潔く肯定するかもしれない。
そしてこの神羅にとっても彼ほど替えの利かない人材はいない。
全ての研究結果をその頭に詰めた科学者が死ぬ時は恐らく神羅も道連れだ。
何故なら彼は自らが築いた高い、愚かな塔を倒すのが何より好きだからだ。

私は知っている。
私の主もそれに無意識下で同調している事を。

ある意味どこまでも似た者同士の二人はツォンには理解不可能だ。
ルーファウスは昨日の科学者の痕を付けたまま平気で今日、自分に抱かれる。
顰められる蔑んだ感情と嫉妬さえも彼のお気に入り。
辛辣な部下の暴言にも心底笑い声を上げる。
そうしてこの腕の中にいると思ったら今度はもう別のお気に入りと遊ぶ始末だ。
どこまでも自分に本気のように、きっと他の奴らにも同じ言葉を同じ気持ちで吐き散らしているのだろう。
貪欲で、しかもその資格も持ち合わせている彼は、いつでも誰かを欲している。
…勝手なものだ。

狭量な自分はそんなガラスの目の少年がどうしても許せない。
つくり物より劣る目を持つならば見せ掛けだけの心なんてあるだけ無意味だ。



白い部屋にはどの視線も素通りばかりで、白い壁がむなしくその思いを押し止めていた。
いつかこの均衡が崩れる時、それはおそらく誰かの目が潰れる時だ。
いや、もっと早く…
あるいは…



送り主の存在を示すように広がる病室の花、花、花…
明日にはその美しい花弁と鬱陶しい花粉でこの部屋が埋まらない事を願う。
そんな隠喩の中ひっそりと息を引き取る貴方は確かに絵のように完璧だけれど。

ー…あまりにも滑稽だ。


うだるように濃いその芳香に脳髄が酔う。
頭が、熱い。


悲鳴は─…


「痛むのか」
 ─科学者。
「いや、」
 ─私の主。



しかし私は私の美しい人の姿を見詰めていたいが為に、未だその目を閉じようとはしない。




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