<約束、の>

「やっぱ腐っても神羅だぜ」
ぷし、と軽い音がして銀色のアルミ缶が日焼けした黒い手に開けられた。
バレットが飲み干すビール缶には神羅のラベル。
それが日の光を受けてきらりとひかった。
少し遠くで水が勢いよく噴出す音が聞こえる。
しゃああ
しゃああ
水音は目を閉じれば世界の中心と言われた都市を彩るように飾った噴水のようだ。
目の奥に強い日の光を感じて、クラウドはゆっくりと瞼を開けた。
瞳を開ければ思い描いていたミッドガルの在りし日の姿はどこにもなく、
ただコンクリートが崩れた灰色の冷たい残骸とそこから伸びる蛇のような鉄骨が見えた。
かしゃん、と足の下から割れたガラスが自己主張する。
そして頭上には神羅ビルが壊滅したミッドガルとそこに住んでいた人への墓標のように
それでも天に向かって毅然と立っていた。


「ぷはあ うめえなあ。やっぱしよう、合成酒よかこっちの方がうめえなあ」
「あんなに神羅を嫌ってたのによく言うなあ」
「だってよう、こんなにいっぺんに無くなるなんて俺も思ってなかったしよ」
咽喉を鳴らしてビールを流し込むバレットを、クラウドは疲れた微笑を浮かべて見た。
今のミッドガルに人の姿はない。
生きているものも、死んでいるものも。
ライフストリームという得体の知れないエネルギー体がメテオからこの星を
救った後、ミッドガル市民の死体は忽然と消えてしまった。
これはその後各地で人と言わずあらゆる生き物に起きた。
「この星の命は一定総和量を保っているのかもしれない。だから‥‥」

だから、と今はリーブとなったケット・シーは言葉を濁した。
「ブーゲンハーゲン様の話を私達は聞いたな?あの話が本当なら、星は、星は命を糧としている。
 それをメテオに使い果たした今、治療に躍起になっているんだ」

星は人のかたちを崩す時を待てないほど疲弊している。
僅かの命の灯火さえも吹き消し、その身を癒す糧としている。
老人と子供は真っ先に命を奪われた。
あの災厄以来、世界の人口は目に見えて減少した。
一瞬の災害は免れたにしろ思わぬ事態に自らのエネルギーを差し出す事となった星は
もしかしたらこのまま自滅するのかもしれない。
否、星は強い。こんな危機をもう何億年も前から繰り返しているはずだ。
そう、星は一定の眠りにつくだけだ。だが、その世界に人は存在するのだろうか。
星の怒りを買い、ついにはウェポンなるものも発動させ、あまつさえその星の最終兵器たる
魔物を殺した人を?
(その答えを知っているのは、あの赤い獣だけだ)
クラウドは、ふとハイウインドに残してきたレッドXVを思った。


「なあ、クラウド」
「バレット、まさかレッドは500年も生きないよな‥」
「はあ?」
「アイツって長命な種族なんだよな‥あ、いやそんな気がしただけで‥‥ハハ」
だんだん訝しげになるバレットの視線を感じてクラウドは口を噤んだ。
変なヤツだぜ‥という言葉と共にぐしゃりと潰された銀のアルミ缶を、クラウドは不吉な気持ちで見詰めた。

空は呆れるほど綺麗に晴れていた。


暫く二人の間を沈黙が流れた。
クラウドは静かに流れる雲を眺めた。

「俺たちは‥」
バレットがぽつりと呟いた。ずっと黙っていた分声が低く、くぐもって聞こえる。
「俺たちは何も救っちゃいなかったな‥。この街も結局死んじまった」
やはり、とクラウドは思った。やはりバレットも同じ事を考えていた。
それが少し悲しくて、クラウドは俯いた。
「でも、マリンちゃんは助かったじゃないか。スラムの人達だって‥」
「マリンはカームに預けてあったからだ。俺は、この街を救いたかった。
 ティファの店も、エアリスの家も。‥上の住人も」
「‥‥」
「神羅でさえも」
バレットの声は決然としていた。一体、今までの旅と戦いの中バレットは何を思い何を感じたのだろう。
仲間といえどそういった事は、自分には何一つ分からなかった。
かちゃり、とガラスが足の下から鳴る。
どこかで建物が倒壊する音が木霊した。
二人腰掛けたコンクリート片が冷たい。
「ま、今更遅い話だぜ。それに、ミッドガルは無いが世界は生きてるもんな。終わっちまったもんは仕様がねえな」
わはは、と無理に豪快な笑いをしたバレットにクラウドは胸が痛んだ。


「そんなとこにいたのね」
声が響いたと同時にぱりん、とガラスが割れた音が響いた。
見事な身体能力であちらこちらに散らばる排水管や蒸気パイプを避けながらテイファが大荷物を持って戻ってきた。
「もうそんなに集めたの?凄いわね」
「ティファ。大丈夫だったか?」
ティファの両手の袋にはたくさんの缶詰やら保存食が詰まっている。その上背中のザックにも溢れ出しそうに瓶や箱が入っていた。
持てるだけ持ってきた、という感じだ。
「一気にそんなに持って、危ないだろ」
「あら、バレット程じゃないわよ」
危険だからレッド達といろ、と言ったのにも関わらずティファは食料調達に付いてきてはミッドガルを一人で歩いた。
彼女に言わせると腕力が必要でしょ、ときた。
若い女性が言うことかな、と一瞬考えたがなるほど他のメンバーでは期待出来ない事は確かだ。
クラウド達の食料調達は孤児やミッドガル市民へのせめてもの供給の為だ。
星が傷の治療に専念している為なのか土地は痩せて往年の実りを期待できない。
「あー!バレット!お酒!!駄目じゃない」
「一本だけ。な、一本だけ飲みたかったんだよ」
もう!と怒ったティファの目は少しだけ、赤かった。
だから、だからティファもあんなにミッドガルに来たがったのか。
バレットも気付いているはずだ。
その証拠にバレットはティファからおどけて逃げるふりをして、もう一度食料を集めにいった。
バレットにとってもう一人の娘のようなティファの涙の跡は辛過ぎたのだろう。

空は相変わらず綺麗だ。


「ねえ」
先程バレットが呟いた時のように、ティファが呟く。
「ねえ、もう、思い出したんでしょ」
「え?何を?」
ティファがもじもじと足を動かす。その度にガラスの破片が甲高い音を立てては重なり、崩れた。
危ないな。今に怪我してしまう。
止めさせなきゃ。
「神羅の副社長の事よ」
びく、と制止の言葉が咽喉に詰まる。言い終わってもガラスをかき混ぜる行為をティファは止めない。
「友達だったんでしょ、昔。ルーファウス・神羅と」
「‥‥知ってたの」
どきん、と胸が大きくその名に鳴った。ティファに聞こえそうな程。
「私、見たの。昔、スラムでクラウドと、ルーファウスが一緒に歩いてるとこ。楽しそうだった。
 私、あんまり楽しそうだったから声も掛けられなかった。だって、クラウドじゃないみたいだったんだもの。
 あんなに楽しそうなクラウド、ニブルでは見たことなんてなかった」
ティファの口調は責めてはいなかった。ただ、哀れんでいるようだった。
「その時は気付かなかったんだけど、ヘリポートで。あの時分かった。あの人はルーファウスだったんだ。
 でも、クラウドはクラウドじゃなかったし。混乱してて。クラウドを責める気もなかった」
「‥‥」
「ねえ」
ぴたりとティファはガラスを混ぜる事を止めた。最後の欠片が小さな音を立てて割れた。
「弔いに行かなくていいの?友達だったんでしょ?」
「だって、神羅は‥」
その時は知らな過ぎた。神羅の凶行を。一体ルーファウスはどこまで知っていたんだろう。
何度も過ぎった考えをティファによってまた呼び起こされるとは思っていなかった。
「神羅が何よ。関係ないわ。そりゃあ私だって神羅は許せない。でもそれとこれは別だわ」
ティファは誰の為に今日、涙を流したのだろうか。そして、自分は誰の為に今、涙を堪えているのだろう。
「友達だったんでしょう」
「‥ああ」
クラウドは顔を上げた。空はどこまでも青く、あの人の目を思い出させた。
約束の地はここだ。あいつの望んだ魔晄。マテリアの素が今、ここに過剰な程集まっている。
灯台下暗し。あいつ、口惜しがるだろうな。
「あいつは馬鹿だ‥馬鹿だったんだ‥‥」
胸が熱くなるのを感じた。
空は、優しく水のように揺らめいた。

おわり