2009/9/27
gnosis.bc00
小説
「シルバーピンク」
シルバーピンク (1)
それは、ある音楽サイトで知り合ったメールフレンド からの便りだった。
その女性からメールが届いたのは、私がいま進行中のガールフレンドのことを、その女性に同意を求めていたのかも知れない。
年齢は多分同じくらいだろう。といってもバーチャル世界では確かなことはいえない。
肝心の、そのムスメは私にとって果たしてガールフレンドとしての関係であるのかどうか、私自身決めかねる。
こんばんは〜、メッセージありがとうございます♪
ブログ、見させて頂きました。
これっ、フィクションなんですか? ・・・ 物語は。
恋は いくつになっても、していいと思います。
ブログにはそう書かれていた。
差し出した手紙には、お伽ばなし的な内容の民話を題材にした物語を借りて書いてある。まったく架空な、それでいて訊いたことのあるような、ないような虚ろな時間のなかで。
娘は「布を織りたいので糸を買ってきて欲しい」と言うので、私は娘のいうまま糸を買ってきた。作業を始める時、娘は「絶対に部屋を覗かないで下さい」、と私に言い訊かせたのだが・・・。
布を一反織り終わると、娘は「これを売って、次の糸を買ってきて欲しい」と私に託した。
その私が買った「糸」は一体何色だったのか。
糸の素材は絹かそれとも木綿かと、スーパーの豆腐みたいな分類ではない。それでもカーボン繊維でないことは確かだった。
今の私に、時代の言語が思い浮かばない。完全なボカの欠如か、それとも時代が狂っているのか。パソコン画面に寸文の狂いもなくびっしり並べられたデジタル文字であっても意味が素通りしていく。[EOP]
その私が差し出した恋文の相手のムスメと、作家「太宰治」が小説の中で真面目に書き表したオンナを比べても意味はないが、その中でも唯一、このムスメなら全部の筋に通じると思える小説があった。
いまだに女性の人気を集めるという稀有な作家、太宰治の「津軽」「晩年」などはむしろ淡々とした人間世界を描いているが、太宰の真骨頂はなんといっても「女」。
オンナにまつわる小説が彼の原点で、じっさいに女と何度も自殺未遂、そして自殺で命を絶つ。多くの名著を遺したが、その中に「漁服記」という短編があり私はとくにそれが好きだった。
その短編は太宰の作品の中でもほとんど知られることがなかった。ごくごくありふれた民話をモチーフとした御伽草子の物語である。
その太宰治の「漁服記」、巻末の解説にはこう書かれている。
「魚服記は、昭和八年三月『海豹創刊号』に発表された。故郷津軽の自然や伝説を背景にして孤独な野性の少女スワの無邪気さ、無垢の憧れ、女のめざめ、絶望、変身を童話的に描いている民話が作家の発想と文体により見事に現代文学として生き返っている。スワが大蛇に変身せず、小鮒になったのは愛らしくもありあわれである。」
名著を遺し死んでも、今なお若い女性たちの人気を集めるという悲運の作家「太宰治」。その豪放磊落なエピソードとは裏腹な繊細でナイーブな一面も覗かせる。
津軽のいなかもの、そんな印象さえささやかれた昭和の文豪。この「漁服記」という短編は、数ある遺稿のなかでもほとんど注目されることもなかった。そうした御伽草子に太宰の真骨頂が秘められているのかもしれない。
小説の終わりに、「少女スワ」が大蛇に化身するシーンが登場する。フナがどうして大蛇か、と訝ってしまうが筋が民話仕立てだからそれでいいのだろう。[EOP]
ラストシーンに、こんな描写がされている。
「ふと両脚をのばしたら、すすと前へおともなく進んだ。鼻がしらがあやうく岸の岩角へぶっつかろうとした。大蛇 ! 大蛇になってしまったのだとおもった。うれしいな、もう小屋へ帰れないのだ、とひとりごとを言って口ひげを大きくうごかした。小さな鮒であったのである。」
この小説は後の昭和十一年に刊行された゛晩年゛に収録されており、そのとき太宰はニ十七歳である。晩年は、十五編を集めた創作集として付けられた名であり、晩年という小説はどこを探してもない。その風景描写がとてもいい。といっても事細かに樹々の一本一本をスケッチしているわけではない。昭和初期さらに昔の日本の原風景の津軽を語り、その風景の中で埋没して生活している炭焼き父親とその幼子「スワ」との危険な生活。
作家太宰治はもともと女好き、である。だから太宰の目から透かした女をどう描写すべきか、本人は腐心していたことだろう。その中に、こんな女も欲しい、というのが「スワ」であった、と私は想像した。それは究極の性、近親相姦であり不倫などという軽薄さをさらに超えて親子がセックスするという許されざる人間の性である。神の教えに叛いて性行為を犯すという犬畜生のセックスそのものである。それは一歩間違えばエログロになってしまい芸術を冒涜してしまう。
「魚服記」、その中にエロがふくまれているわけではない。が、そう思わせる、匂わせる描写がやはり超一流なのだろう。
物語は山奥で炭焼きをしている父。いったん山に入ると炭が焼き上がるまで里には戻れない。 炭焼小屋と里の連絡を保っているのが幼子「スワ」だったが、年数がたてばとうぜん女に変化していく。
舞台となる山河の自然背景を克明に描いているわけではないが、読者それぞれもっている山里の風景をつかって津軽の景色を暗示させる。小屋の近くに滝壺があって、それはこの小説に必要なセットだとは思うが、この津軽山奥には極自然に配置されていた。スワは夏の時期には時々、この滝壺で泳いで遊んでいたようだ。
ある日、焼いた炭を担いで父親は里に下り、それを金に代えて唯一の楽しみである酒を買う。小屋で一人待つ「スワ」は父親をまちわびた。暖をとるための炉辺の脇に敷き詰めたワラぶとんの上でいつしか寝てしまった。以下は作品中太宰治の描写。
うとうと眠っていると、ときどきそっと入り口のむしろをあけて覗き見するものがあるのだ。山人が覗いているのだ、と思って、じっと眠ったふりをしていた。
白いもののちらちら入り口の土間へ舞いこんで来るのが燃え残りの焚火のあかりでおぼろに見えた。初雪だ!と夢心地ながらうきうきした。
疼痛、からだがしびれるほど重かった。ついであのくさい呼吸を聞いた。「阿呆」スワは短く叫んだ。ものもわからず外へ走って出た。
吹雪! それがどっと顔をぶった。思わずめためた座って了った。みるみる髪も着物もまっしろになった。
スワは起き上がって肩であらく息をしながら、むしむし歩き出した。着物が烈風で揉みくちゃにされていた。どこまでも歩いた。
滝の音がだんだん大きく聴こえて来た。ずんずん歩いた。てのひらで水洟はなを何度も拭った。ほとんど足の真下で滝の音がした。
狂い唸る冬木立の、細いすきまから、「おど!」とひくく云って飛び込んだ。
この「話」を読んだとき、さほど深い意味はないような気がした。というのはスワが滝に飛び込み小鮒に変身する様は、民話神話によく使われる手法だし、また世界の語り部が伝える旧い形の神話のなかにも散見するようなプロットである、と感じたからである。
ところがしばらく時間がたってから気付いたのだが、太宰治は神話、民話のスタイルを借用しながら濃密なセックス描写を試みた、のではないかと思うようになった。
太宰文学の「走れメロス」はギリシャ的話をモチーフとして作られている。それは見事なまでに西洋的な情景のなかで繰り広げられる人間内面の光と影の物語。そうした才能、彼の真骨頂ともいうべき借りたオリジナルをさらに手を加え、新たな創作物を作りだす才能は絶品としかいいようがない。はじめは模倣からすべてが出発し幾編の変遷の果てにそこからオリジナル的独創が一つ二つと生まれ出る、まさにそのことだった。
ツルの機織話しと、太宰治の少女スワの話し、その二つの話題の中に私が女に伝えようとする共通項がどこかにある。だが、いまだそれを探り当てられないでいた。
そのことを手紙に延々と書いた。
「先日は仕事の合間の密かに急いで打ったメール交換でした。誰か廻りにいないか、辺りを伺いながらのメール打ち込みはやはり緊張します。でもよかった。
お互いの気持ちが通っていて久々に心地よい時間だった。男女という性別を抜きにして人と人の信頼関係、それを再認識した一時でした。
世間では生々しい事件が頻発しているようです。飲食店従業員の三十五歳の女性が自宅アパートで刺殺されたという事件がありました。
そうした話題に敏感になっているのは、やはり自分も同じ境遇に身を置いているという男女間の軋轢が隠されているからでしょうか。その事件は男の嫉妬心から生じた犯行のようです。男の目の前で他の男にメールを送っていた、ということに腹を立てて事件を起こした。男としてその気持ちとってもよく判る。内縁関係の二人は当然深い間柄で、そこに他の異性が入り込む余地がなかったはずでした。
しかし、よくある話で三角関係のもつれとでもいうのでしょうか、そこに別の男が横から入ってきて最悪のケースに至ったという結末です。
おそろしい話しとは思いますが、やはり男と女の間には人知れず深い深いワケがあるのでしよう。嫉妬心は前後の見境なく相手を簡単に殺すという獣のごとき無分別さによりますが、それはとても恐ろしい精神の錯乱状態と思うのですが、それは誰でも抱く心理のようです。嫉妬心は簡単に言って独占欲なのでしょう。
自分の愛した女を誰にも獲られたくないという単純で一途な気持ち、それが深ければ深いほど、かえって憎悪も強くなる、そんなように思えてなりません。
お互いの一方的な感情で他の異性を受け入れないということに集約されますが、だから異分子は殺したくなる。それは人間として許されることではありませんが、後々のことまで考えられないからそうなってしまうのでしよう。その結果殺人事件が起きる、恐ろしいことですが、その心理を理解できる、ということがさらに怖いことです。どうも最近、そうした短絡的な事件が多いように思いますが気のせいでしょうか。
そうしたギリギリの狭間で人間は生きている、という以外に理解のしようもないとは誠に寂しいことです。だから人は簡単に殺人犯になってしまうということでしょう。」
ツル (2)
「グノーシス」とはギリシア語で霊知、神秘的直感という意味の哲学用語だ。このところ私の脳裏で、そんなことが湧き起こっている。
人間が考える死生観とは観念的で、よくいえば哲学的宗教になる。その宗教というのは人間誕生有史以来人々の間に存在していたようだが、科学が誕生する以前では呪術的な要素が強く、空の天気のように雨が降る、降らないを祈祷によって雲を呼び込むという手法の確率はほとんどゼロに近い。
古い時代よりあらゆる生活様式の道標を呪術形式で占っていた。簡単に分析すれば概念であり、かくかくしかじかはこうありたい、とその願いを祈祷者に託す。世襲的に霊能力があったとされる人物だから、ある一定の社会では信頼関係の上に成り立っている。彼らは古来より古い文明をもつ民族間では原始的宗教として人間を支配してきた。
その系譜を継いだ各地に残る民話などは神話伝説やアニミズムの影響を受けた内容の説話が残っている。代表的な民話や日本古来、また慣習的歴史観の中で受け継がれてきた民話がある。それが「鶴の恩返し」であった。
昔々あるところに老夫婦が住んでいた。と、はじまる書き出しの民話定番スタイルに無用な詮索はいらない。昔々とはいつなのか、あるところとはどこなのか、老夫婦の歳は何歳か、と問い詰めてしまうと話しが先に進まない。したがって定型句である「昔々あるところに」、が書き出しである。
昔々、奥深い山里のあるところに老夫婦が住んでいた。ある冬の雪の日、夫が町に薪を売りに出かけた帰りに、罠にかかった一羽の鶴を見つけた。
可哀想に思った彼は、鶴を罠から逃がしてやった。激しく雪が降り積もるその夜、美しい娘が夫婦の家へやってきた。道に迷ったので一晩泊めて欲しいと言う娘を夫婦は快く家に入れてやった。
次の日も、また次の日も雪はなかなか止まず娘は老夫婦の家に留まっていた。その間、娘は甲斐甲斐しく夫婦の世話をし、彼らを大そう喜ばせた。
ある日、娘が「布を織りたいので糸を買ってきて欲しい」と言うので爺は糸を買ってきた。
作業を始める時、娘は「絶対に部屋を覗かないで下さい」と夫婦に言い残した。布を一反織り終わると、娘は「これを売って、また糸を買ってきて欲しい」と夫婦に託した。
娘が織った布は大変美しく、たちまち町で評判となり、老夫婦は長者になった。初めのうちは辛抱して約束を守っていた老夫婦だが、ついに好奇心に勝てず部屋の中を覗いてしまった。
娘の姿があるはずのそこには一羽の鶴がいた。鶴は布に自分の羽根を織り込み、それを夫婦に売ってもらっていたのだ。
機織を終えた娘は自分が爺に助けてもらった鶴だと告白し、両手を広げ鶴になり別れを惜しむ老夫婦に見送られ空へと帰っていった。
そのオンナに、この物語を話したが期待通りの否定的返事が返ってきた。それはいつものことである。私の性癖ともいえる偏った思い込みの話題は、相手を説き伏せるだけの力をもっていないのか。
いや、そうでもなさそうだ。もともと会話の論点というか接点が初めからあったとは云い難い。だから会話がいつもちぐはぐで、お互いの一方的な話を一方的に喋っているばかりで、テーマとしている話題に発展性がない。仕方なく話題を換えて、初期設定に持ち込んだとしても、同じ道筋をたどってしまうので、元のもくあみだった。
不釣合いな年齢的隔たりによる男女間の問題は偽りのない事実であるにせよ、言葉と言葉を交わしながら、これほど交差しない心理はどこから生まれるのだろう。もしかすると、脳を科学的に探ってみると物理的に複雑なことが起こっているのだろう。むかし読んだある本に、こんなことが書いてあった。
「脳医学の専門分析用語で音を人間の脳がどう感じ取るか、という表現用語に書かれていた。それを『ミッシング・ファンダメンタル』といい、脳の聴覚中枢で作られているのではないかと考えられている。解剖学的な事実から推測されていて片耳に1000ヘルツと1400ヘルツ、反対耳に1200ヘルツと1600ヘルツを呈示すると200ヘルツに聴こえる。左右の耳が交わるのは聴覚系中枢の上、オリーブという場所で、それまでは左右の情報は交わらない。結果として、この現象は脳の中で生み出されると考えられる。」
このミッシング・ファンダメンタル、あるいはヴァーチャル・ピッチ現象は人間の脳が音をどのように捉えているかを分析したものだが、音に限らず人間の思考は、無いものを在るか、のごとく理解する能力、もしくは実際に在るもの見えるものを、脳内では消去する力が作用していると思えてならない。
それはまったくパソコンで作動する編集ソフトのようであり、人間の脳はもともと編集ソフトが生まれながらに備わっていたと思えてならない。
それならば、男と女、価値観の隔たり、時間的偏差などを乗り越えて、総てがうまくコミニュケーションできると思うはずだが、では何故「交差しない心理」が二人の間に立ちはだかるのか、それをさらに研究しなくてはならないし、この世の生物が雄と雌から形成されていることなど考えあわせると「交差しない心理」は、交差しないことが必然であり、コミニュケーションしないように仕組まれている、と考えると、なんとなく判ったような理解したような気分になってくる。
男と女の間に潜む誰にも判りあえない当事者どうしの複雑な問題は、それが特別なことではなく、ごく当たり前に存在する一つの「シコリ」として捉えると、安心できはしないが隔靴掻痒とした気分は少しばかり癒されるだろう。
この脳医学ミッシング・ファンダメンタルと民話「鶴の恩返し」の筋書きが結びつく動機らしきものはない・・・。そこに交差する接点は見当たらない。しかし、しばらく時間が経つとミッシング・ファンダメンタル効果が自分の中でわきおこっていた。
神話とか、民話など世界共通の筋書きがあって、それは一つの定型として古来より語り継がれている。「鶴の恩返し」は人間と違った種類の存在と人間とが結婚する説話の総称として語り継がれ、異類婚姻譚(いるいこんいんたん)として分類されているようだ。
娘が「布を織りたいので糸を買ってきて欲しい」と言うので私は糸を買ってきた。作業を始める時、娘は「絶対に部屋を覗かないで下さい」と夫婦に言い残す。
布を一反織り終わると、娘は「これを売って、また糸を買ってきて欲しい」と私に託した。
やがて私の好奇心は耐え切れなくなり機織部屋の中を覗いてしまった。娘の姿があるはずのそこには一羽の鶴がいた。鶴は布に自分の羽根を織り込み、それを私に売ってもらっていた。
機織を終えた娘は、自分は吹雪の夜、助けてもらったあのときの鶴だ、と告白する。両手を広げ鶴になり別れを惜しむ老人に見送られ空へと帰っていった。
ミッシング・ファンダメンタル現象では、交わるのは聴覚系中枢の上、オリーブという場所で左右の情報は交わらない。この現象は脳の中で生み出されると予測されていることに従い、片方の脳意識に鶴物語を描き、もう一方の脳意識には私の置かれている現情景をイメージする。そして娘の世話をする老夫婦の爺を想像し、描いた情景の中へ入り込む。
神話とか民話など世界共通の筋書きがあって、それは一つの定型として古来より語り継がれている。「鶴の恩返し」は人間と違った種類の存在と人間とが結婚する説話の総称として語り継がれ、異類婚姻譚(いるいこんいんたん)として分類される。
その「はなし」はいつごろから、そして、どこから生まれたのか。「古来より」とは時代を遡って何年くらいなのか。実際のリアルな社会、また実生活で鶴が人間に化身することなど物理的に在り得ない話だし科学的な根拠がない。だが待てよ・・・、と頬杖をつきながら天井を見上げて、しばらく空想にふける。
ギリシヤ神話では神の化身であったりする。ヨーロッパにおいては登場する動物は魔法や呪術で人間が変身するパターン、そして異類の本質が動物でない場合もある。またその反対のパターンとして妖精が魔法で動物の姿となったというパターンも在る。そして他界との関わりついての内容、ラストシーンが破局に終わるものが一つの定型のようだ。
総じて、それら古代の族外結婚による信仰、生活様式の違いに起源を求めようとする考え方、説である。
人間である女と動物の婚姻は、何かと引き替えに女が一種の人身御供として異類と結婚することにより、女性自らが婚姻の破綻を引き起こし、そこになんらかの啓示を与えようとする意図が見られるが、その物語によって、人は何を感じとることができるのだろうか。
物理科学が「モノ」や「宇宙」の構造さえ説明してしまうという時代にあって、神話、民話、説話、口述伝承物語は、その時代には必然が在って作られた「はなし」であるという事実は疑いないのだが。
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2011/9/21 ・・・
2012/3/22NEW 2010/5/18〜8/9
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