らせん劇場は静岡を拠点に活動する劇団です
らせん劇場は、1975年から年2回くらいの頻度で公演を打ち続けています。
act.67 春朧想曲 2011年1月
act.66 春朧想曲 2010年 4月
act.65 燦燦GOGO 2009年5月 とあるバス停での1日の出来事。
act.64 王様と私っち 2008年6月 寿町倉庫
act.63 夕日のちゃらんぽらん
act.62 イカルス3 20007年6月 寿町倉庫 23年前の脚本の再演(最近こういうのが多いような気がする)。 23年の月日は意外に重く、当時の脚本は所々消失しており(関係者の記憶も喪失)、一部、繕いながら、復活。
act.61 フルマラソン 2006年9月 寿町倉庫
act.60 「駅」
act.59 「ラ・マンチャ」な男
act.58 HOME GAME フランシスコ・サビエロ日記より 2005年5月 寿町公庫
act.57 ざ。チンドンパラダ 2004年10月 寿町倉庫
act.56 デカンショ 2004年5月 サールナートホール
act.55 へぇ!?へぇ!?へぇ!? 2003年11月 寿町倉庫 このころ「へえっ」っていうのがはやった。
act.54 三人姉妹 2003年4,5月 寿町倉庫 油山ミケ再加入。
act.53 おはよう、ナマハゲ。 2002年9月 寿町倉庫 菜麻葉デビュー。
act.52 しんでれら 2002年5月 寿町倉庫 叉倉完デビュー。
act.51 ふぁいなるくりすます 2001年12月 サールナートホール 叉倉完加入。
act.50 ぶるるん男爵とゆらゆらな人々 2001年6,7月 生活文化実験室
act.49 WING 2000年9月 駿府公園 若竹座
act.48 OUT(Once Upon a Time) 2000年4月 生活文化実験室 4話オムニバスであり、そのうち、2話はダブルキャスト。
act.47 SO−MEN 1999年10,11月 サールナートホール&三百人劇場 再び、「地域劇団東京演劇祭」参加。
act.46 モモキン 1999年6月 生活文化実験室 ばらえてぃで賀摩のきんたろうがよかったので、じゃあ金太郎が出てくる話をという安易なきっかけで作られた芝居。 桃太郎、浦島太郎、孫悟空、猪八戒、沙悟浄、そして鬼たちが登場するにぎやかな芝居になった。 それにしても阿戸野とサンコンのメイクは日に日にエスカレート。 都築が場面によっては照明オペと音響オペを兼ね、焦る姿を楽しんだ客もあったとか。
act.45 学問のするめ 1998年12月 サールナートホール バンケットルーム モト、ついで流もSPACをやめ、らせんにしっかりかかわれる状態に。 都築、役者の都合がつかずルーズソックスをはいて女学生に。 三島と都築の会話が堂々巡り状態になったり、冒頭、久しぶりの舞台の流の頭がまっ白になったり、サンコン、稲荷屋の日変わり幕間狂言あり。 音響オペを役者がかわりばんこでやったり、あわただしい舞台だった。 樹寿杏すぅ〜、デビュー。
act.44 ぶちっ 1998年7月 生活文化実験室 脳に変調をきたした中年の男の脳内での幻想を追った話。 中世ヨーロッパやら、大人の小学生やら、ピノキオやらが登場するごったに芝居。 三島女郎衆(みしまおみなす)が劇団史上最年長でデビュー。 ギターを抱え珍妙な歌を歌った。 初舞台とは思えぬ変な存在感で印象に。 ひな段型客席を公案。 樹寿杏すぅ〜、スタッフとして参加。
act.43 愛のりんご 1997年11月 サールナートホール バンケットルーム 寂れた街を舞台に地球を守るべくトマト化していく病(?)が広がるSF超大作?。 だじゃれを駆使した強引な落ちにあきれられた。 蒲公英と稲荷屋ダブルキャストで看護婦に。 八街八百屋のおばさんに。女装デビュー。 橋本3作続けて客演。派手な衣装と派手なヘアスタイルの謎の婆ばあを演じる。 桐島、パントマイムを披露。
act.42 おっほっほ 1997年7月 生活文化実験室 モト、流のふたり、発足したばかりの静岡県舞台芸術センターにスタッフとして採用される。 4話からなるオムニバス。橋本三十郎客演。 八街ピー、アロハ大五郎、稲荷屋こかん、ジャッキーHEN初舞台。 アロハ女装。稲荷屋早くも裸になる。 バンケットルームでの初めてのステージ立ったが、ホールと生活文化実験室との間のような空間で、その後もつかわせていただくことに。
act.41 ステキにへんてこりん 1997年3月 サールナートホール 静岡市主催の子どもむけの舞台。 流の書いた台本に都築が手をいれて上演。 ちょっと、いやかなり変わった母親をもつ小学生が主人公の話。八街、舞台デビュー。 入団したばかりの、アロハ大五郎、稲荷屋こかん、ジャッキーHENがスタッフとして活躍。
act.40 SKIP 1996年11月 サールナートホール バア「ハスノミナレ」を舞台に、宝塚風と時代劇が現代劇の中に混合して出てくる舞台。 都築久しぶりの女装。中中中の宝塚衣装が好評。 メスマンサンコン初舞台。 八街ピー、スタッフとして参加。 香久兆こたつ、この舞台で福島なおや作曲の都道府県名が歌詞の歌で県名と地図上での位置を覚える。
act.39 ジプシー 1996年4月 生活文化実験室 前からやりたかった横内作品。 気もちよく上演を許可していただき、生活文化実験室の中に、マンション建設現場のセットを作った。 公演体制突入後に都築の両親が相次いで逝去。 また、かつて作曲をして下さった塩坂素子さんが急逝されたり、命をひとつのテーマとした芝居だったが、 わすれられない舞台となった。 橋本三十郎が初めて客演。萩原ミミ初舞台。 キングス池田、小豆しほの両名にも客演してもらった。
act.38 カレーライス 1995年9,10月 サールナートホール&三百人劇場 自分の思いのままの家族を幻想の中から作り出してしまった男の話。 初めて「地域劇団東京演劇祭」に参加。 3ステージで300人のお客様に来ていただく。 初の東京ということで、不参加の人間が出ると思ったのだが、全員が参加できた。 この舞台の静岡公演から萩原ミミが手伝ってくれ、公演後入団。 只野珍人役者デビュー。
act.37 記念樹 1995年5月 サールナートホール 4話からなるオムニバス。 誕生したばかりのサールナートホールでの初めての舞台で、どんな芝居がこの空間に合うのかとタッチの違う話を組み合わせた。 芝居と芝居の合間は田中玲子モダンダンス研究所のダンスでつないだ。 朱鷺かをる、流毬藻がデビュー。 佐藤剛史、石川いづみ、豊田真利子、キングス池田が客演。 只野珍人スタッフとして参加。
act.36 夢の箱 1994年10月 生活文化実験室 壊される直前の公会堂で暮らすホームレスと、公会堂をめぐる人々との話。 都知事が青島幸男になるなんて、想像もつかなかった。 屁野河童、箕輪 デビュー。 公演後、朱鷲かをる、流毬藻、入団。 この年、結婚、ラッシュ。
act.35 新デジタルラヴ 生活文化実験室 デジタルラヴを手直しし、役者を入れ替えて上演。 多忙をきわめていて、しばらく、照明でしか関われなかったモト、役者として復帰。 蒲公英さらだデビュー。
act.34 サイレント・ナイト 1993年11月 生活文化実験室 クリスマスの話をやってみたいと、悩めるサンタクロースを軸にした話を作る。 しんみりしたシーンの多い芝居だったせいか、らせんらしくない、というお客様も。 うるけん一郎太、賀摩グッチ、客演。 音効を手伝ってくれた蒲公英さらだと客演の賀摩、公演後入団。 天城、退団し、上京。
act.33 幸福の家族 1993年6月 生活文化実験室 他人同士で構成された不思議な家族の話。 冒頭に「イヨマンテの夜」をつかったが、後に「ワハハ本舗」のメンバーが「お笑いウルトラクイズ」でやった芸に対するアイヌの人たちの抗議で、イヨマンテの本当の意味を知る。
act.32 森の歌 1992年11月 生活文化実験室 「ララバイ・アワ・タウン」をベースに大幅に焼直して、作る。 細菌をドリンクや水道に混ぜ、しらぬあいだに人々を眠らせ、支配するというマッドサイエンチストの話だったが、昨今話題のことと比べると、現実はやっぱり芝居を越えるのか。 同じ場所で2回続けて公演できたのは、ほぼ2年ぶりのことだった。 アルバイトタイムスさん、ありがとう。
act.31 ジャングル・ラヴ 1992年7月 生活文化実験室 過疎で悩む南の島での話。ラヴ3部作の最後をかざる作品。 生活文化実験室で練習、公演のはじめての舞台。 DOMOの募集で、3人の新入団員。さらに1人加わって、20人を突破。 K・ちゃっぷ、白滝みづほ、香久兆こたつ、デビュー。 中中中、衣装デビュー。佐藤剛史、客演。 音楽に福島なをやさんの協力を得る。
act.29 バブルラヴ 1991年8月 駿府公演特設テント 長沼に一軒家を貸してくださる方が四季の同僚の方の紹介で見つかり、91年早々、引っ越す。 が、さほど広いわけではないので、これまた四季の友人関係で、川合の大堂の使っていない時間帯を 使わせていただくことに。 静大劇研のメンバーや、東高演劇部の高橋くんなどに手伝ってもらってせっかく完成したテント。 雨のため、パイプが曲がり、立て直したり、駿が自転車で転び、ケガ、 急遽、休養中の味の素を代役に。 元、風呂屋に作られていた女学校の話だったが、初日は隣で盆踊りがあり、芝居は絶叫パターンになる。 モト夏樹、セーラー服で、居、動く彫刻でデビュー。 音楽に塩坂素子さんの協力を得る。
act.27 デジタル・ラヴ 1990年7月 長沼スパイラルシアター 佐藤剛史(当時GM企画 現 伽藍博物堂)の奔走で、長沼に古い木造の倉庫が見つかり、共同で借りることに。90年春、引越し。 うれしくて、天井部のスノコを作り、バトンなどを吊り、場内転換のしやすい劇場とした。 初日、ラストシーンで、都築の乗るブランコが回転し、ギャグになってしまう。 が、公演最終日の昼、「誰に断って借りているんだ」と訪ねてくる人あり。 のちに大家さんでない人と契約していたことが判明。 大家さんでない人の持ちビルの一室に移転することになるが、とても本番ができるような場所ではなく、 再び、不動産情報収集に。
act.26 らせん版ゴジラ 1989年11,12月 ツインコア・ビル ツインコア・ビルのご好意で、超低料金であいていたスペースを3ヶ月ほど短期貸してもらって行った公演。 阿戸野末里、いきなり女優でデビュー。 鏡、差し入れのカロリーメイトを食後一箱食べつくしてあきれられる。 公演中、市内の劇団が集まって何かイベントができないか、との話、持ちあがる。 佐藤剛史、客演。
act.25 見たくない世界 1989年6,7月 駿府町らせん劇場 らせん、移転。 おしめり寛太の作品。 駿・ぴずる、馬走ROMデビュー。 客席をヒナ段状に作り、こけら落とし記念のウチワまで作って配ったが、大家さんの理不尽な立ち退き要求で、公演後出ることに。
act.24 ガラス箱のとける時 1988年12月 上足洗らせん劇場 鏡春子(当時こざかなパワー 現くるっぱぴっこ@超歌劇団)、天城山葵(現 廣川三憲@ナイロン100)デビュー。 トラブルで、上足洗を出なくてはならなくなり、公演予定を繰り上げて実施。 天城山葵が初めて顔を出した日、カラオケで歌った歌に衝撃を受け、急遽、歌で始まる芝居に。 公演後、味の素、体調を崩し、しばらく現場を離れることに。油山ミケ仕事で静岡を離れる。
act.23 男女6人梅雨物語 1988年7月 上足洗らせん劇場 四季妙雅、早くも女装デビューし、水を得た魚状態になる。 男3人の芝居のはずが、アメリカ人石油サイまで加わり、いつのまにやら6人がでることに。 後にリメイクして「さんじゅうし」となる。 話のスジなどを、石油 にカタコト英語とカタコト日本語で説明しているうちに、逆に理解が深まった。 石油サイは漢字まで使えるようになった。
act.22 アンドロイドのブリキの夢 1987年10月 駿府公演特設テント 夏葉月燕、作品。 昭和初期の登場人物たちが出てくるSFもの。 スタッフが足らず、出演者が入れかわりで照明したりした。 「39歳ですがいいですか」と一升瓶をさげて現れた四季妙雅、デビュー。 ラストシーン、ブランコに乗りそこなる役者や、鏡を割る役者など、テントはいつでもアクシデントいっぱい。千秋楽に夏葉月の第1子が生まれるという劇的な打ち上げを迎えた。
act.21 あっちょんぶりけ 1987年1月 上足洗らせん劇場 白山白(メドゥーサ白)、ラッキープリンちか(きゃらめるリカ)デビュー。 未経験者2人のために、新人公演として行う。 なぜか、桐島聡、油山ミケも出演していた。
act.20 ざ・チンどんパラダ 1986年8月 駿府公演特設テント 屋根のないテントを作る。 自殺した少年の夢をたどる支離滅裂な舞台。 たまたま見たフランス人に、ラストシーンはフェリーニを意識しているのかと聞かれ都築、照れる。 ラストを泥酔状態の若林健二の太鼓が締めた。 大川P子の頭上1mに吊った照明が頭に落下。みんな笑った。ごめん。
act.19 山猫亭奇譚 クセになりそう ちょっきん 1985年12月 上足洗らせん劇場 初のおしめり作品。 注文の多い料理店を下敷きに不気味な世界。 ラストシーンは舞台の床下で発煙筒を点火したため、潜っていた都築は大変だった。 油山ミケ、酔客に乱入さる。
act.18 ざ・パッキン 1985年5月 上足洗らせん劇場 地球人として暮らす宇宙人の話。最後に地球の栓を抜いて芝居は終わる。 油山ミケ、デビュー。 劇団「炎」の照明を貸していただけるようになった。
act.17 イカルス パート2 1984年10月 駿府公演特設テント 初のテント公演(鈴木敏正設計)。 田中玲子モダンバレー研究所に出演してもらった。 劇団員を公募。桐島聡が正式加盟。 おしめり寛太(当時正刈草雄)、大川P子、風のフジ丸子らが参加。 ラストを若林健二の太鼓が締めた。 テントのパイプが日に日にたわみ、近眼のダンサーがダンス中にぶつかった。 都築、2日目準備中に足場から飛び降り、すべって手首骨折。 汚い白衣の医者、真っ赤に髪を染めた看護婦のいる医院で手当てをうけたが、ケガよりそのことが恐ろしかった。
act.16 イカルス 1984年4月 上足洗らせん劇場 役者は、都築、味の素、東堂の3人だけ。 岡田由紀子の事件を予感するかのような、アイドルの飛び降り自殺から芝居は始まる。
act.15 神々のダサき欲望 1983年12月 上足洗らせん劇場 気がつくと、都築、味の素、東堂の3人に。 女子高生が参加したが、本番の日の朝、学校で謹慎処分をもらい、その代役に都築、味の素の妹役で出演することに。これ以降、高校生は団員として受け入れないことになる。 同僚KINAKO(当時らいおん丸)同情して、メンバーとして正式参加。直龍也がゲスト出演。 上足洗らせん劇場は、この頃、近所の子供たちの間で、お化け屋敷と呼ばれる。
act.14 2−3フルカウント 1983年7月 上足洗らせん劇場 気がつくと、都築、きらめき、味の素、東堂の4人に。 東堂の友人、スクリーン神善がいろいろ助けてくれた。 照明は、元劇団員巴川の紹介で、プロである望月慶介さんにアゴ足にしかならないような金額でお願いした。こちら方面の仕事の帰りによって、徹夜で仕込んでくれた。
act.13 月は虚しく鏡に似たり 1983年1月 上足洗らせん劇場 都築、ふたたび多忙となり、4つの話からなるオムニバス形式の芝居を行う。 日向も仕事多忙で現場に顔を出せなくなり、劇団員たちは大変苦労をする。 劇団存亡の危機。
act.12 八月のペンギン 1982年7月 上足洗らせん劇場 予定作品の途中挫折で、都築作品をすることに。 東堂巡、桐島聡(当時山根次郎)の2人、客演デビュー。
act.11 青年の船 1981年12月 上足洗らせん劇場 日向の作・演出作品。 らせんの芝居は打ち上げが面白いと打ち上げ目当てのお客様も増える。 いやぁ、毎度すごい打ち上げでした。 都築と同僚であったのが運の尽きで、KINAKO、音効オペレータとしての手伝い始まる。
act.10 朝に死す 1981年4月 上足洗らせん劇場 静岡大学内の劇団”饗宴”出身の写楽情理参加。 霧島ときらめきの二人芝居。味の素あーや(当時夢幻あーや)など10代娘トリオ参加。
act.9 宝殿町奇譚 1981年4月 上足洗らせん劇場 作・霧島、演出・日向の芝居。 都築、仕事多忙?のため、現場に深く関われなくなる。 その後3年間ほど、日向、霧島を中心に運営。 横内幼稚園を稽古場としてお借りするが、上足洗に佐久間の奔走で稽古場兼事務所を確保。 社会人2人の力が頼もしかった。
番外編 発表会 1980年12月 レストラントマト 都築の演出上の師匠でもある日向倫が参加。 日向の作品を中心としたアトリエ公演的な公演を行う。 定休日の前の日には、仕込んであったハンバーグなどを劇団員にプレゼントしてくれるなど、トマトには本当にお世話になった。
act.8 バイバイベイブルース 1980年7月 レストラントマト 後に歌人として有名になる佐久間象山(本名、章孔)参加。 32,3歳のはずだが、すごく大人にみえた。 この時はまさか将来歌人になろうとは思いもしなかった。 佐久間の作品は、東芝日曜劇場でも使われた。
act.7 ララバイアワタウン 1980年1月 レストラントマト きらめき涙枯、姫野拓美など短大生4人がデビュー。女だらけのかしましい劇団になり、男どもまいる。 「森の歌」の元になった作品。 フンドシ姿で出てくれた丸坊主の森太郎は、高校生だった。 中原あやめ(死天使館、客演)、公演後小川トト故郷へ。
act.6 地球懐胎 1978年12月 レストラントマト、KID HOUSE(浜松) 鬼河原梵デビュー。神埼美緒(蘭樹美緒)など女子高生トリオをはじめ女優4人が参加。 稽古の後で、試験の予習をしていた。トマト2F(現在喫茶クレセントの建物)の20畳足らずのスペースに100人以上をつめ込んだ。初めての他都市公演を経験。
act.5 死航録 1977年11月 静岡大学図書館下 ババアが初めて登場。プレスリーが出て来たり、西郷隆盛が出て来たり、ワンシーンだけのゲストが多く登場した。 中原あやめ(死天使館、客演)ここまで、静大APGの常に協力を得てきたが、APGは解散することに。
番外編 1977年7月 静岡大学教養部学生控室 静大軽音楽部のオールナイトコンサートのショータイム、30分ほどのステージだった。
act.4 幻行列車 1977年4月 静岡大学教養部A002、市公会堂、喫茶店「サンマリノ」 小鹿のガソリンスタンドの2階を稽古場として借りるが、公演後、ふたたび静大の教室に戻る。 学生だった何人かが卒業や引越しで去り、新たに小川トト(現在、犯罪友の会[大阪])が 加わって5人に。喫茶店サンマリノでは、入りきらず、急遽、2回公演することに。
act.3 贋作 1976年11月 静岡大学図書館下 清水の劇団「K」の代表4名がらせんに加わって、つかこうへいの”熱海殺人事件”をベースに、別の話もくっつけて行った。 尾去沢景、土岐晶子、斑鳩文太、石神勉などがデビュー。音楽は静岡大学軽音楽部が協力してくれた。
act.2 聖ローザの毒リンゴ 1976年6月 静岡大学教養部A002 劇団員が4名が加わったので、2度目をやることになった。 間隅怠志、日暮里水仙、葉月明、霧島笑吾がデビュー。
act.1 鳩のいる風景 紅ばらの章 1975年6月 静岡大学教養部A002 一回こっきりのつもりで都築はじめ(役者名・支那畜モタ)と巴川叛乱の2名により旗上げ。テロリストの話だった。 都築が台本・演出・出演を、巴川が美術と音効と声の出演。 ラストシーンは、構内にかがり火を焚いた。 浅川マキコンサートや、紅テント、黒テントの静岡公演を企画していた静大APGの全面協力があってできたことだった。