観劇感想&レポート 


文学座で行われているアトリエ公演「テラ・ノヴァ」。
9月7日と10日に観劇してきた感想・第一弾です。
うろ覚えの箇所も多いので、違っているところはすみません。
また、話の内容がわかる表現を含んでいますので、ご注意を。




 劇場 

文学座本部(?)のある信濃町にあります。
以前、「サイタ サイタ サクラガサイタ」の朗読会があった
第二稽古場の隣に、事務所とアトリエが。

りんどうさんが調べてくださった文献によると

『アトリエ落成について。昭和25年(1950)に建てられたそうです。
一帯は大正天皇の生母・柳原二位局邸跡地だったとか。
イギリス式チュードル風という建築とのこと。
現在も二階の外壁部に面影が残っていたように思います。
落成当時は191坪 三年後にはホールを倍に増築。
隣接旅館もその後買い取られ第二稽古場になりました』とのこと。
確かに、白い漆喰の壁には百合の花のような紋章がありましたね〜。


因みに、この信濃町、私にとっても ある意味なじみの場所。
信濃町の駅から、文学座に行く道すがらの慶應病院研究棟で
バイトしております(不定期にだけど)。
病院をすぎて、レンガ色の建物の途切れたあたり、
警備員のいる道を入ったところが研究棟。文学座と滅茶苦茶近いです。
…って、意図的にじゃないよ!!(激シク否定)
サイトを立ち上げる前から、出入りしているのです。はい。

ヒミツの研究棟内部はこんなかんじ>> 。
このガラス張りの廊下で、たまに脳の画像を硝子に
はりつけてにやりとしている研究員がいます。
外部の人から見ると非常に怖いのでやめましょう。

因みに。
この研究棟のトイレ表示は、染色体で書かれています。
女性の表示が(XX),男性(XY)。

…マニアめ!!!




 セット 

六角形(多分)の舞台。
正面と、右手・左手にそれぞれひな壇形式の客席があります。
収容人数は146名。真ん中に花道のような通路があり、ここを通って役者さんが登場します。
ちなみに、横田エヴァンスの初登場は橇とともにこの通路から。
また、六角形の舞台の右奥と左奥も、役者さんが出入りする箇所です。
舞台のところどころに、白いレンガのような出っ張りがありますが、
セットといえるようなものはそのくらい。
後の展開は、役者さんの動きと、橇やテントに模した小道具で
補われます。



 レポートと感想 

「羊たちの沈黙」の作者、テッドタリーが修士論文として
かきあげた戯曲がもとになっている「テラ・ノヴァ」。
販売されているものが、本邦初公開時の台本ということもあり
一読後の感想は「凄まじい話」。
けれども、その読後感をはるかにしのぐエネルギーに満ちた舞台でした。

今回は、幕間を入れると約三時間の長い舞台。
開演と同時に舞台が徐々に暗くなります。
それに呼応するかのように大きくなる風の音。
ひとしきり吹きすさぶ風の牙、その音がふっつりととだえると、
舞台中央にスポットライトが当たり、今井さん演じるスコットが登場します。

「イギリス国民に告ぐ。この大惨事の原因は以下のとおりである」

日誌の最後にあった言葉を静かに話し出すスコット。
舞台は、スコットの内的世界、過去が幻想として入り乱れる中で
展開していきます。
日誌を必死で書こうとするスコットとそれを遮るかのような形で
登場するアムンゼン。そして、その妻キャスリーン。
南極探検にいたるまでのスコットの半生が、アムンゼンとの確執や
キャスリーンとの会話を通じてあらわれてきます。

ここでのアムンゼンとの確執は、おそらく実態としてのものではなく、
スコットの内部にある葛藤が具現化したものとおもわれます。
あくまで名誉と理想を重んじる思考がスコットで、実利のためなら
手段を厭わない考え方がアムンゼンなのでしょう。
フローリアン(フロイト派。なんか「フローリアン」とかいうとかわゆい)の
見方を借りるなら、(大筋では)理性や社会規範とされるスーパーエゴ(スコット)と、
より原始的な欲望であるエス(アムンゼン)の拮抗の図式、ともみれるのかもしれません。



今井さんの演じるスコットは、冷静で淡々とした印象。
探検家としての非常さよりも、理想を追い求める書生気質の
ような部分が前面に出ていたように思います。
対するアムンゼンは、ギラギラとしたエネルギーが感じられる
存在感。キャスリーンは夏の花のような生気にあふれる美しさです。

その幻想の合間を縫って、「現実」である南極探検隊の隊員と
彼らのうたう歌が近づいてきます。
そして、中央の通路から橇とともにバワーズ、オーツ、ウィルソン、そして
最後尾にエヴァンスが登場。
一度目は2,3言葉を交わして通り過ぎ、二度目の登場から、
舞台は一転して南極に変わります。

横田エヴァンスは初登場の時からこまやかな演技。
この時点では、エヴァンスが手を怪我している、ということは
伏せられていますが、さりげない動きの中にも
疲労やそれをおしとどめようとする表情がみえ、
これから先の展開に現実感をもたらしていたように思います。



印象的だったのが、手の怪我をスコットにとがめられ、
自身の思いを告白するシーン。
横田さんは、黙する間にも雄弁に語るような演技を
されるようにおもいます。
ウィルソンがスコットに報告に行くためにテントの外に
でていく場面での緊張と不安、南極点に懸ける
誰よりも貪欲な思いが、眼差しや声の温度によく表れていました。

そして、勿論エネルギーに満ちた台詞まわしも圧巻。

「…だって、そんなの公平じゃない。そうでしょう?
だから、思ったんです。手を失ってもいい
南極点にいけるなら、最初の一人になれるなら、って。…」

原作では、さらりとながしてしまったこの場面、
エヴァンスの一途な必死さや、南極に対する思いの深さ、
南極点発到達にかける気迫がこめられていて、
胸が熱くなりました。
この場面での、エヴァンスの想いの深さが在ったからこそ、
南極点への初到達がならなかった後の絶望と、狂気が
よりリアルなものになったように感じます。




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■ おまけ

・エス(ES)
英語ではit、ラテン語のid(イド)にあたる。しばしばイドとも呼ばれる。
無意識の領域。エスにおいて働く力がリビドーと呼ばれ、性的な衝動、攻撃的衝動である。
エスにおいて働くこの本能的な力は非道徳的な行為をおこすもので、全面的な快楽原則のみ従う。

・スーパーエゴ(超自我)
スーパーエゴは、幼年期の両親のしつけなどによって心の中にくみ込まれた社会規範や道徳意識である。
人間は、両親によってしてはならないことを教えられ、それを守らないときに罰を与えられる。
こうした経験が自らのうちに内面化され、人は自らで自身を検閲する精神機構を持つに至る。
このような働きこそがスーパーエゴである(前意識の領域)。

・エゴ(自我)
エスとスーパーエゴは互いに反発しあい、鋭い緊張と葛藤を生む。この両者を調節し、
社会に適応するようにするのがエゴである。エゴは意識の領域である。