話の内容がわかる表現を含んでいます。ご注意ください。 スコット (ロバート・ファン・スコット) 隊長・海軍大佐 (享年43歳) 1901〜1904年、ディスカバリー号による南極探検に隊長となり、 ロス島付近を探検。シャックルトン、ウィルソンらと南緯82度16分まで 計測し、南進の記録を立て、ロス海の地形をあきらかにしました。 テラ・ノヴァ号での探検は、1908年のシャクルトンの探検に続いて 行われたものでした。 「南極探検日記」を読む限り、探検家にしては叙情的、という 印象。自己を律することに厳しく複雑な性格をもった 「ロマン的人間」と評されたのも頷けます。 以下、その描写を。 「小屋の中が歓楽の最中だったいっぽうで、野外の自然も 我々に負けじと力をいれ、また、我々よりも端整に この時を祝おうとしているようだった。 揺れ動くオーロラが東の空一面に広がり、 これほど鮮やかで美しいのを見るのは、私も初めてだった ---揺れ動く光や弧や垂れ幕の形をとって 幾重にも立ち上がっては広がり、次第に薄れゆくかと みると、また躍り上がって耀く生命を取り戻す… 」 日誌のところどころに、隊員に関するこまやかな描写が 出てきます。なかには「あだな覚書」などという愉快な頁も。 |
|||||
エヴァンス (エドガー・エヴァンス) 海軍下士官 (享年37歳) 幹部隊員エヴァンスと区別するために「水兵エヴァンス」と 呼ばれていました。ディスカバリー探検隊にも加わり、 スコットに認められて南極探検隊の有力な一員として迎えられています。 「エヴァンス(兵曹)とクリーンが(橇の組み立てに)取り組んでいて、 仕事振りは目覚しい。確かに、エヴァンス兵曹はかけがえのない宝だ。 現在のような状況の中で橇をつくるのは特筆に価する」 ……スコットの南極探検日誌より また、煙草や酒を好んだようで、「クリスマスの煙草を特に喜んだ」 という記述があります。隊の中で最も身長が高く、屈強で、故障が 少ない人間として認識されていたようです。 クリスマスには「あたりに響く囁き声で内緒話をしていた」という表現に エヴァンス兵曹の陽気な性格がみてとれます。 よいどれ水夫の歌…似合いそうですね…。 |
|||||
ボワーズ (ヘンリー・ボワーズ) インド海軍少佐 (享年28歳) はじめ、輸送船上の勤務員として加わりましたが 英才を認められて上陸部隊に入隊。 舞台の庶務万端を引き受け、隊員の補佐として信任が厚く 優秀な探検能力を発揮したようです。 「ボワーズは野営作業を全部引き受けるといってきかない。 全く驚異だ。これほどの橇引き旅行家にはあったことがない」 ……スコットの南極探検日誌より 食料配置旅行・冬の旅行いずれにも活躍し、 はじめ支援部隊だった南極行進にも帰還まじかに参加。 そのため、他の4人がスキーを履いていたところ、 ボワーズだけが徒歩で参加しました。 愛称は「バーディ」。に、28才には見えませんね…。 |
|||||
オーツス (ローレンス・オーツス) 大尉・第六インニキリングス竜騎兵連隊 (享年32歳) 主として馬の調教に任じたが、飼料の吟味が充分でなかったため 特に多くの苦労を払わされました。 臨終は、これ以上の更新に耐えずと自認して、進んでテントを後に 吹雪の中に身を運んで行方不明となります。 遺骸はついに発見されることはありませんでした。 その最後は、スコットの日誌によるとこう記されています。 「彼は、はなはだしい苦痛を一言の弱音もはかずに数週間に亘って 耐えてきたのであり、最後の際まで他の話題を論じ合う余裕を持ち、 また、進んでそれをしたのである。 彼は本当に最後まで諦めなかった -- 諦めようとしなかった。 勇者であった」 愛称は「タイタス」「陸軍さん」「干草くずどん(バワーズ専用)」 …なぜに愛称が「タイタス」なのか謎。 かつて鋼太郎さんが演じたオーツの愛称が「タイタス」 無論偶然ですが、密かに にんまり(→馬鹿) |
|||||
ウィルソン (エドワード・アドリアン) インド海軍少佐 (享年39歳) 主席科学隊員・動物学者。 ディスカバリー探検にも参加、スコットの片腕として、 その円満なる性格と多才とを持ってよく隊員を融和しました。 スコットの彼に対する評価と、人格は以下の文章に集約されます。 「ウィルソンのことを話そうとすると、いつも舌足らずになります。 本当に、これまで出会った中で最も立派な人物です。 親しくなればなるほど、感服の度がましていきます どの一面をとっても、とてもしっかりして頼りがいがあります。 何の問題についても、彼ならば考えが確かで、実際上も抜かりなく 強烈なほど忠実で、微塵も私心がないとおもってよいのです。 控えめながらユーモアも解し、機転が利くことは無類で…」 ペンギンの発生学研究のため、非常な危険と困苦とをこえて コウテイペンギンの営巣地にゆき、三個の卵を得て帰ったが 南極探検隊に加わり、横死を遂げました。 愛称は「ビル,ビルおじさん,おじさん」 <引用文献> 南極探検日誌 (スコット南極探検日誌) ドルフィンプレス ; オセアニア出版社〔発売〕 (1986-12-25出版) 世界最悪の旅−スコット南極探検隊− 東京 中央公論新社(2002.12) チェリー・ガラード著 加納一郎訳 |
|||||