ギリシア悲劇は、古代ギリシア時代に、アテナイのディオニュシア祭で上演されていた悲劇、
またそれに範を取った劇をいいます。ヨーロッパでは
ルネサンス以降、詩文芸の範例とみなされてきました。

アテナイにおける悲劇の上演は競作の形を取っていました。
競作に参加する悲劇詩人は、三つの悲劇と一つのサテュロス劇をひとまとめにして
上演する必要がありました。
現在まで三つの悲劇がこの形で残っているのは、アイスキュロスのオレステイア三部作のみです。
聴衆は参加した悲劇詩人のうちで誰のものが最も優れていたかを投票し、
優勝者を決めていました。 有名な悲劇詩人は、三大悲劇詩人として知られている
アテナイのアイスキュロス、ソポクレス、エウリピデスです。
かのプラトンも、最初は悲劇詩人を目指していたようです。

悲劇は仮面をつけた俳優(最初はひとりでしたが、次第に増加し後に三人となりました)と
舞踊合唱隊(コロス)の掛け合いによって進行しました。コロスの登場する舞台をオルケストラといい、
劇場は円形のオルケストラを底とするすり鉢状の形を取りました。
現存する最も整ったギリシアの劇場の遺構はエピダウロスに見られます。



 


エウリピデス(Ευριπ?δη?, Euripides、紀元前480年頃 - 紀元前406年頃)は、
古代アテナイの三大悲劇詩人のひとりです。「人間は万物の尺度」と説いたソフィス卜、
プロタゴラスの影響を受け、アイスキュロスやソフォクレスと同じく神話や伝説を基にしながら、
人間の心理を重視した作風を確立。特に女性の心理描写 に優れていました。

生涯に92篇の作品を書いたと伝えられているエウリピデスですが、
そのあまりの革新性の故に、生存中の評価は低かったようです。
四半世紀にわたる活躍の間、劇のコンペで四回しか一等賞を取れず、
喜劇詩人のアリストファネスの嘲笑を浴びていました。
因みに、当時の民衆の間ではソポクレスの人気が高く、二十四回の入選を果たしています。

しかし、後世その作品は3大悲劇詩人中最も愛好されることとなりました。
同世代の悲劇作家アイスキュロスやソフォクレスの作品では、
外側から脅かす神々が主人公に襲いかかります。
彼らが描いたものは、神と人間の悲劇でした。
しかし、エウリピデスは、われわれの一番身近にありながらも最も謎とされているもの、
すなはち人間の心の奥底に悲劇の舞台をすえました。

「爆弾は天から降つてくるのではなく、人間の心そのものが爆弾である」という
言葉に集約されるように、彼は人間のうちに潜み、意思の惨めな弱さのために
人間を滅ぼす人間の情念や情熱にスポットをあて、そこから人間の姿を浮かび上がらせました。
つまり、人間の心の中の悲劇、われわれを駆り立てしばしば討ち滅ぼす情念の悲劇を
実現したのです。そして、これこそがルネサンス以降のヨーロッパ文学の重要なテーマとなりました。

エウリピデスは問題を解決せず、問題そのものをそのまま提示しています。
彼の作品には、アイスキュロス以上に、ソフォクレスにくらべてさえも、
救いようのない悲劇的見方が現れています。人生のひび割れは人間の本性から生じます。
それを神々のなす業であると理由づけることは困難です。
エウリピデスはこのことを示すために神話を手段として使ったとされています。
エウリピデスの悲劇の登場人物は、名前だけは英雄ですが、その中身は
優柔不断で情に流されやすく意見がすぐに変ってしまい、しかも協調性はなく
自分勝手な『人間』でした。

彼の描いた悲劇は、ラシーヌを通じて近代、さらに現代の文学に直接つながつています。
それゆえ、後生の人々はエウリピデスに心酔しました。
ソフォクレスやアイスキュロスの作品がたつた7編しか残つていないのに対して、
彼の作品が19編も残つているのはそのためでしょう。





<参考文献>

ウィキペディア  , 『ギリシャ文明史』(アンドレ・ボナール著)