今回の「メディア」を現代語訳した山形治江さんの著作
「ギリシャ悲劇ー古代と現代のはざまで」のなかに、
ギリシャの気候とそのなかで生み出される悲劇について
語っている箇所があります。

『乾燥した国の、乾いた悲劇』

あまりに印象的なタイトルを関したその章を
一部抜粋してお届けします。



「夏の風物詩」の五指にはいる蝉。
ギリシャの山野や海辺には松林や雑木が多く、
蝉しぐれどころか「蝉豪雨」ほども鳴いている。
また、遺跡のある場所は大抵松林に囲まれていたり、
直ぐ近くに雑木があったりするので蝉の声もいっそう多く
暑苦しいほどうるさい。
体中に蝉の声が響きわたり、しみこみ、振動し、心臓音が共鳴する。

ギリシャ語の表現に「蝉が黙る(スカイ・オ・ジジカス)」というのがある。
「蝉も沈黙してしまうほどの暑さ」という意味だ。
実際にあまりにも暑いと蝉もショックを受けて鳴かなくなってしまう、のかどうか
の科学的根拠については、残念ながら私も知らない。
が、このうるさくなきわめく蝉をも黙らせてしまうような暑さが、ギリシャにあることは確かだ。

そんなギリシャの酷暑の唯一の救いは、乾燥度が高いことである。
乾燥は体から噴出す汗を瞬く間に蒸発させ、その気化熱のために
体は気温を温度計の目盛りよりも低く感じさせる。
洪水か旱魃か、それがギリシャの気候である。



鮮やかな暑さと無機質な乾燥。
これが、私がはじめてギリシャを訪れたときの感想だった。
そして、イギリスでシェイクスピア劇を見たときに
感じたことをギリシャでも再び感じた。
気候が演劇を生む。
乾燥した国の「乾燥した演劇」は、それまで私がまったく
目にしたことがないものだった。(中略)

エビダウロスの野外劇場で『エレクトラ』の母親殺しの場面をみながら、
私は感じた。アトレウス家の大量の殺人の血が、
見る見るうちに乾いていくのを…。
血は、洗い流すよりも先に完全に乾いてしまった。
大理石に滴った血も、拭う前に乾いてしまった。
血を洗い流す水も必要としないくらいに、その乾きは素早かった。
大理石の白さにしみこんだ血の暗赤色は、直ぐに血の色とは
分からなくなりただの汚れに見える。
そして、血の臭いも、乾燥と同時に消えてしまった。

血の臭いだけではない。
もし芳しい香水を一瓶全部注いだとしても、大理石は
その香りを一瞬たりとものこしておかないだろう。
おそらくはたちまちのうちに液体は蒸発して色を失い、
流血の生臭さは、ギリシャの夏の急激な乾燥に直ぐ
散失して匂いを奪われる。
殺人の証拠は、大理石の上に不定形に
薄く浸透したわずかな染みの跡でしかない。

大理石の台所を使ってみて、私ははじめて分かった。
大理石の汚れは、親指から滴った血も、赤葡萄酒の滴も
鳥の腿肉の血汁もチェリーの果汁も、結局は同じ色で残る。
「汚れ」としか言いようがない。

匂いは、といえば、……そう、匂いは全くない。
滴った瞬間に、その場で消えてしまうのだから。
人血も葡萄酒も獣血も果実汁も、匂いはまったくない。
ほんの一瞬漂うだけだ。匂いもその場で蒸発する。
 大理石の石に挟まった僅かな色は、ただ天然石の色ではない色が
混じっている、というだけにすぎない。いや、時がたてば、
それすらも天然の大理石の色として、珍重されるのかもしれない。

これが、私の見たギリシャ悲劇の最初の印象だった。
ギリシャ人の創造するギリシャ悲劇はとても乾燥している。
血の色も血の匂いも乾燥しているのに加え、野外劇場に
響き渡る現代ギリシャ語の台詞は、跳躍するようなズムがあり、
開放音として自由に空中に飛び散っていく。
明るくて挑発的で、軽くて積極的で、そして乾いている。
殺人行為や近親相姦行為は実際に行う行為としては
重いはずだが、乾きのイメージのために不思議に軽く感じる。

 一方、ギリシャ悲劇の日本語訳の台詞は、内へ内へ、
陰へ陰へと篭り、暗い地底を這うかのごとくである。
重く暗く沈殿し、流された血の水分も色彩も
いつまでたっても蒸発も消滅もしない。(中略)

日本人がごく一般的に創造するギリシャ悲劇の舞台は、
ギリシャ人の舞台とは全く異質である。
しかしそれは同時に、日本人が独自に創りあげる
新ギリシャ悲劇の特徴でもある。
それは、良いとか悪いとか、正しいとか間違っているとかいう
価値判断の問題ではない。結局は、体験したことのない自然環境
に対する想像力の欠如と限界が一方にはあり、流血惨事に
対する理解と解釈の風土的相違がもう一方にある。

          −−「ギリシャ悲劇ー古代と現代のはざまで」





この文章を読んで思ったのは、「タイタス・アンドロニカス」。
純白の舞台に無機質に流された血は、日本の湿ったそれというよりは、
どちらかというとギリシャ悲劇に近かったような気がします。
タイタスの乾いた狂気やすさまじいエネルギーも、その印象に
連なっているのかもしれません。

「喪服の似合うエレクトラ」など、ギリシャ悲劇に材をとった
作品は観たことがありますが、純然たるギリシャ悲劇は初めてです。
「日本人が独自に創りあげる新ギリシャ悲劇」
今回はどのようなで形で魅せてくれるのでしょうか。楽しみです。