古代ギリシャの悲劇詩人は、しばしば神話や伝説に材を求め、
 その根幹に「復讐」を据えました。
 アイスキュロスの「オレステイア」やソフォクレスの「エレクトラ」など、
 有名な悲劇の根底にある感情は「怒り」とそれに裏打ちされた
 「復讐」であるといっても過言ではないでしょう。

 古代ギリシャでは「復讐」はどのようなものであると
 考えられていたのでしょうか?
 ここでは、神話に描かれた「復讐の女神」を題材に
 その思考の源泉をさぐっていきます。



 
 

 エリニュスともエウメニデスとも呼ばれたが
 復讐の三女神は、女神デメテルの復讐心を擬人化したものである。
 デメテルは罪人の処罰者として、エリニュスと呼ばれることもあった。

 3人のエリニュスはデメテルから派生したのである。
 「数については、いつでも3人だった。
 だが、3人全部合わせて、単数でエリニュスということもある。
 この言葉の正しい意味は『怒りと復讐の精』である。
 とりわけ『叱りつける母』を表わしている。

 母が侮辱されるとか、あるいは殺された場合でもおそらくエリニュスが現われた。
 素早い雌イヌのように、この女神たちは血縁者と、
 血縁者に対する敬意を侮辱した者すべてを追いかけた。

 ギリシア人は、殺された母親の血は、
 恐ろしい精神的毒ミアズマ(母の呪い)で殺人者を冒すと信じた。

 この毒は犠牲者に無慈悲な復讐の女神を引き寄せ、犠牲者を助けようとする人を
 誰でもかまわず冒した。人々は、「復讐の三女神」の注意を引くことを恐れて
 「善良なる者たち」(エウメニデス)と女神たちを呼んだ。

 *

 アイスキュロスは復讐の女神を「永遠の夜の子供たち」と名づけた。
 ソフォクレスは「地と影の娘たち」と呼んだ。

 1人1人の名前はティシポネ(仕返し-破壊)、メガイラ(恨み)と
 アレクト(名づけようもないもの)であった。
 「復讐の三女神」は去勢された天界の父ウラノスから生まれたと言う者と、
 神々のなかでいちばんの高齢者であると言う者がある。
 女神たちが古い昔に存在していたことは、女性系の親族を殺した者に
 復讐するときだけ女神の名前を唱えて訴える事実に示されている。
 母権制の時代の遺物であった。

 アイスキュロスの戯曲『エウメニデス』は、母であるクリュタイムネストラ女王を
 殺した罪で、オレステスを追う復讐の女神たちを描いている。
 しかし女神たちは、父の殺害についてはまったく気にかけていなかった。
 父は本当の意味で同族とは言えないからである。

 オレステスが、女神になぜ夫殺しでクリュタイムネス トラを罰しないのかと
 尋ねると、「女王が殺した男は生来の血縁ではない」と答えている。
 オレステスは「でも私は血の絆で母と結びついているのでしょうか」と尋ねた。

 *

 女神たちは「殺人者よ、その通りだ。そうでなければ、
 母は子宮にお前を入れて育てたりするものか。
 お前は母の濃い血を否定するのか」と鋭い口調で応じた。

 簡単に言えば、復讐の女神はキリスト教になる以前の英国に
 存在していたような母権制の氏族制度に立ち返っている。
 昔の英国では「息子の父への愛情は見知らぬ人に対するものと変わらなかった」

 まったくのところ「アイルランド、エリン、エリウからなる昔の三相一体の女神」
 の名前はたしかに三相一体のエリニュスとつながっていた。

 ギリシア・ローマの伝承では、復讐の女神は非個人的正義の役目を
 果たすとわかってはいたが、やがて女神は女に対する男の隠れた恐怖、
 つまり明らかに現在でもはっきりしているイメージを代表するようになった。

 +

 古代ギリシャの神話では、「復讐の女神」は主に女性、
 中でも、母親を侵したものを罰するためにあらわれました。
 「王女メディア」でも、メディアにたいする処遇は、
 政治的に咎められることのないものでした。
 そのため、メディア自らが復讐の女神の冠を頂くしかなかったのでしょう。
 そのぎりぎりの感情のせめぎあいがどのように描かれているのか楽しみです。



 註:Barobaroiさまの訳及び文章を引用・転記させて頂きました。
   ありがとうございます。