うつくしい言葉と、今日なお普遍性のある世界観。
コールリジによって「百万の魂をもつ」と評されたシェイクスピアの生涯を綴っていきます。


1564年4月23日、ウィリアム・シェイクスピアは
手袋職人のジョン・シェイクスピアの長男として、イギリスに誕生した。
兄弟は、2歳年下の弟ギルバード、5歳年下の妹ジョーン、7歳年下の妹アン
10歳年下のリチャード、16歳年下の弟エドマンドの6人兄弟。

父親は、一時期はストラスフォードの町長になった人物だが、
シェイクスピアが14歳の時には、すでに生活が傾きいていた。
そのため、シェイクスピアは大学進学を断念。
1582年には、恋人のアンの妊娠が発覚し、19歳で今流行の「できちゃった結婚」。
同年、娘のスザナが生まれた。
また、当時としては珍しく、ハムネットとジューディスという双子もさずかっている。

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1587年、23歳のシェイクスピアは、大志を抱いてロンドンに向かう。
処女作は 「ヘンリー6世」。
しかし、まもなく疫病が流行し、劇場が閉鎖されたため、
ソネットを執筆して経済難をのりっている。
モリエールの破天荒ぶりに比べると、マトモな家庭人である。
初期の作品としては、このほかに、『リチャード3世』『間違いの喜劇』
『じゃじゃ馬ならし』『ベローナの二紳士』『恋の骨折り損』
『タイタス・アンドロニカス』があげられる。

しかし、そのあいだにも父親の没落は続く。
1587年には町参事会員の栄誉剥奪され、1592年には国教忌避者名簿に
名前が記載される。 また、1人息子のハムネットも32歳のときに亡くなっている。
有名な悲劇「ハムレット」の名は、この息子からきているのではないか
という説もある。

シアター座が解体され、古材でグローブ座が建設されると、
そのこけら落としで「ヘンリー5世」を初演。
ついで、「リチャード2世」、父親の死の翌年には
「ハムレット」を初演し、父ハムレットの亡霊を演じている。
このハムレットは、あまりの人気ぶりに、一番最初の「ハムレット」の
いわゆる「Bad Quarto (Q1)」と呼ばれる、海賊四つ折り版が出版された。

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「リア王」がかかれたのは41歳のころ。
「ヘンリー8世」上演中、効果音の砲の火花が葺き屋根に燃え移り、
グローブ座が炎上、焼失するという事件を起こす。
しかし、その後の演劇生活は順調で、
『シンベリン』『冬物語』『あらし』を最後に、ストラトフォードに戻り、
孫や家族に囲まれた穏やかな晩年をすごした。
没年は1616年4月23日(諸説あり)、享年52歳 。
「百万の魂を持つ男」は、洗礼を受けたストラトフォードの
ホーリートリニティ教会内に静かに眠っている。




<参考>

The Bard of Avon:ストラトフォードのシェイクスピア
Art randam : 人生のセイムスケール