ヴェローナの街と物語

シェイクスピアは、史実に着想を得た作品を多く書いている。
「ロミオとジュリエット」は、14世紀、ヴェローナが教皇派と皇帝派に
分かれて対立していたころに実際に起こった事件がモチーフだ。

ロミオのモンタギュー家は「教皇派:モンテッキ家」、
ジュリエットのキュピレット家は「皇帝派:カプレーティ家」。
両家の対立は、最初にダンテの名作「神曲」の中で紹介され、
その後、イタリアの作家パンデッロが二人の悲劇的な恋をテーマにした作品を発表した。
シェイクスピアは、この作品をもとにして戯曲を書いたといわれている。



 教皇派と皇帝派のあらそい

もともと、「教皇派」「皇帝派」の争いは、11〜12世紀に
教皇とドイツ皇帝間の聖職叙任権闘争がからんで「教皇支持派」(都市の大商人が多い)と
「皇帝党」(ドイツ皇帝を支持する派で貴族・領主層が多い)の党争からはじまったもの。

ドイツ皇帝のイタリア政策による侵入と干渉に苦しめられたイタリアにおいても、
有力貴族による「教皇派」と「皇帝派」の内部抗争がみられた。
ヴェローナはロンバルディア同盟の一員として神聖ローマ皇帝に対抗したが、
もともとは皇帝派の都市であった。教皇派として皇帝に自主権を認めさせた後、
再び皇帝派に戻っている。

こうした主権のうつりかわりを、ロミオとジュリエットの家に置き換えると
「キュピレット家(皇帝派)」→「モンタギュー家(教皇派)」→
「キュピレット家(皇帝派)」
という図式になる。
つまり、両家の対立は非常にホットで、かなり根が深いものであったといえる。



史実のロミオとジュリエットの事件は、1302年におこった。
モンテッキ家の御曹司ロメオとカプレーティ家のジュリエッタが恋に落ちたのだ。
しかし、ロメオは、ふとした諍いが元でジュリエッタの兄(作品では従兄弟のティボルト)を刺し殺し、
また、ジュリエッタも、伯爵との結婚を強いられることになってしまう。
ジュリエッタは、この結婚を避けるために仮死の薬を飲むが、
事情を知らぬロミオは、霊廟に横たわるジュリエッタに驚いて自殺。
そして、目覚めたジュリエッタも、ロミオの後を追って死んでしまった。

ちなみに、あの「神曲」の作者ダンテも、ヴェローナと関係が深い。
1301年、皇帝派の「聖堂騎士団」幹部で「塔の結社(フェデ=サンタ)」に属する
議会議長ダンテ(当時36歳)は、内部抗争で政敵に陥れられ、死刑を宣告されてしまう。

そのため、ダンテは、当時「教皇派」の中心であったフィレンツェを亡命。
その後の半生を、死ぬまで各地をさまよい歩いた。
ヴェローナのスカラ1世のもとで亡命生活を送った時期もあったようだ。
ダンテが「ロメオとジュリエッタ」の事件を作品化したのは、
実は自身のこのような背景が、影を落としていたのかもしれない。



 ロミオとジュリエットの家

ヴェローナを訪れる観光客が必ず訪れるのが、「ジュリエットの家」。
アディジェ川の近くに、かつてカプレーティ家の屋敷であったといわれる
ゴチック様式の建物が残っている。
中庭に立つジュリエットの像の右胸を触ると幸せになれるという
言い伝えがあり、摩擦で磨り減っているらしい。

ちなみに、ロミオがしのんでいったといわれるバルコニーは
なんと高さ7メートル!!

…ロミオ、超人か!?

物語で二人が結婚式をあげたとされるサン・フランチェスコ・アル・コルソ教会には、
「ジュリエットの墓」と伝えられる古い石棺が残されており、一般公開されている。
ロミオの実家モンテッキ家の屋敷も歩ける距離にある。
こちらは1階がカフェになっていて、それ以外の部分は入ることができないとか。

こちらのHP(http://homepage2.nifty.com/europe-quest/index.htm)に
ロミオとジュリエットの街の写真が載っています。