中世への旅、今回はティボ君の大好きな「お酒の話」。
当時の居酒屋やビール(エール)、ワイン、蒸留酒についてしらべてみました。
まずは「居酒屋」と「ビール」について。
「君に勧む 更に尽くせ 一杯の酒」。一献傾けながらどうぞ。




中世の居酒屋



中世の終わり、都市部では,今日と変わらないほどの惣菜やが軒を連ねていました。
総菜屋の店さきで買ったばかりのパイや焼き物をほおばることも
できましたし、「ウブリ屋」(いまでいうパン屋?)の移動焼き窯の
周辺は、談笑する人々で溢れていたといいます。
しかし、本格的な食事をとるためには、人々は居酒屋や宿屋まで
足を運ばなくてはなりませんでした。

奈良漬君の原産地とでもいうべき「居酒屋」、
中世イタリアではお酒といえば「ワイン」でした。
グレコ・ワイン(グレコ種の葡萄から作られる白ワイン)や
ラッダのワイン(フィレンツェとシェナの間の丘陵地帯)の赤ワイン
トレッビアーノ・ワイン( トレッビアーノ種の葡萄から作られる辛口の白ワイン)
カレンザーノのワイン などが、居酒屋のお酒として記録に残っています。

客はワインを壜で買うのではなく、その場で一杯飲むのを好んでいました。
そとからパンやゴーフルやウヴリを持ち込んで、酒を飲みながらたべることも出来たようです。
薄くきった豚肉を、炭火で炙る「カルボネ」や、それを挟んだパンなどが人気がありました。
また、現在の定番である「チーズとワイン」という組み合わせもありました。
「美味しい食べ物(オ・ボン・マリアン)」、「鍋(ル・ショードロン)」
「肉きり皿(ル・トランショワール)」
といった店の名前からも、居酒屋の料理が
かなりの評判をとっていたことが見て取れます。

イタリアの記録ではありませんが、パリでは1313年の税務記録に
500件を越える居酒屋が名前を連ねています。
特に学生街や、若者がたむろする場所に多かったようです。
当然、諍いも多く、ロミジュリの世界のように街単位で警備体制が
敷かれていた場所もあったとか。
フランスでは、学生や還俗した僧侶たちが「学寮の金庫をこじ開けて
中の金を盗み出す」という計画をたて、それに巻き込まれそうになった主人が
あやうく絞首刑になるというまさに「事件」もおこっています。
ティボくんたちが飲酒年齢に達していたかどうかは
定かではありませんが、飲む飲まないにかかわらず、不良少年(中年?)たちの
溜まり場であったのは、今日も変わらないところですね。




中世のビール

中世、ビールはヨーロッパの宮延や僧院を中心に醸造されていました。
その後、各都市にビール醸造のギルドができ、市民にも醸造権が与えられました。
この間、技術も次第に進歩し、各地で特徴のあるビールが造られるようになりました。

たとえば、1年以上も樽の中で自然発酵させ、酸味の強い独特の香りをもつベルギーの
「ランビック」、小麦粉を原科とし、酵母が白く混在する南ドイツの「バイツェンビール」
発酵温度が比較的高く、酵母が泡の表面に浮かぶ上面発酵方式のイギリスの「工一ル」などです。

15世紀、ドイツのバイエルン地方に発祥した新鮮で香味のきれいな
下面発酵ビール(発酵が終わると酵母が凝集して沈降する)が普及、
15世紀から16世紀にかけて、ホップだけを入れる「ホップビール」も普及し始めました。

1516年,バイエルン公の「ビール純潔令」が布告され、ビール原料は大麦,ホップ,水に限定され、
ドイツからは「グルートビール」がほとんど姿を消しました。これが他のヨーロッパにも及びましたが、
イギリスだけは、その国民性もあって「工一ル」とよばれた「グルートビール」への嗜好が
その後も長く続きました。

「グルートビール」とは、ホップではなくハーブを使用した香り高いビール。
アルコール度数は約8%。酒飲みも満足できるお酒といえるでしょう
中世のヨーロッパの人々にとってのビールは、単なるアルコール飲料というよりは、
栄養を取るための食事の一部でした。
ドイツではビールレモンの皮、砂糖、ローストしたパンなどで「ビールスープ」
なるものをつくっていたようです。大麦やエン麦のようなパンには向かない穀物から
カロリーを得る手段でもあったのです。

肉にせよ魚にせよ、塩漬けの食材が多かったこともあり、現在よりもはるかに
多量のビールが消費されていました。
労働階級では、朝一杯のビールとパンを摂取する習慣すらあったようです。
ティボくんの「酔いどれ具合」は、中世の歴史を踏まえたもの??