2002年6月3日付け一面トップ記事
福祉への情熱、道半ばで散る
自宅がある茅ケ崎市方面(奥)
にミニバイクで走行中の祝部さ
んがひき逃げされた現場。今も
花がたむけられている=平塚市
馬入の国道1号馬入橋


◆平塚でひき逃げされ死亡の男性
 平塚市の国道1号馬入橋で四月二十五日未明、ひき逃げされ
死亡したのは今春から福祉施設で働き始めたばかりの青年だった。
同い年の婚約者に「いつか自分で福祉施設を作りたい」と語り、来春
結婚する予定だった。その夢を一瞬にして打ち砕いたのは、免許取り
消し処分を受けた上、盗難車を運転していた同じ世代の男だった。平
塚署に道交法違反と業務上過失致死容疑で逮捕されたが、青年の人
柄を慕う多くの人たちにいやすことのできない傷を残した。
 祝部(ほうり)悟さん(25)=茅ケ崎市南湖六丁目=。自動車メーカー
の技術職として四年間働き、「どうしても人とかかわる仕事がしたい」と
専門学校で学び直した。四月一日から社会福祉法人「進和学園」の
知的障害者社会就労センター(平塚市土屋)の職員になった。
 事故が起きたのは同月二十五日午前一時半すぎ。同期十一人の中
で年長の祝部さんは、少しでも早く仕事を覚えようと残業し、ミニバイク
で帰宅する途中だった。
 無職男(26)が運転した外国車が、前の車を追い越そうとして対向
車線を走行、祝部さんはよけられなかった。現場は追い越し禁止。しか
も男は無免許で、盗難車だった。
 男は逮捕後、「無免許運転と盗難車の発覚が怖かった」と供述した。
 この間、家族や学園の同僚、友人が情報提供を呼びかけるチラシ計
四万枚を作成。一週間、JR平塚、茅ケ崎駅構内などで配り続けた。
 「月命日」の五月二十五日。学園主催の追悼式が開かれ、約三百
五十人が祝部さんの思い出をかみしめた。婚約者は「不器用だけど
何ごとも一生懸命だった。将来、自分で福祉施設をつくりたいと夢を
話していた」と涙をこらえ切れない。
 父親の滋さん(52)はあいさつで「施設利用者の心に、深い傷を残
してしまった」と気遣うとともに、「まだ犯人への憎しみはわいてこない。
気持ちだけは前へ前へ歩いていこうと思うが、思うようにならない」と
心情を吐露した。
 念願の職場で働き始めて一カ月足らず。園生の女性は「笑顔がとても
すてきだった。ある日突然、事故に遭って、悲しくて悲しくて…。」と遺影に
語りかけた。同学園の出縄明理事長は「事件の詳しい情報を聞けば聞く
ほど、痛切な怒りと悲しみがこみ上げてくる。しかしあなたの命は返ること
はない」と述べた。


2002年10月29日付け記事
亡き被害者への思いなお
◆平塚ひき逃げ死亡事件公判
 「息子の未来を返して」「二人でもっと幸せになるはずだったのに」−
今年四月、平塚市内で福祉施設職員祝部(ほうり)悟さん=茅ケ崎市南
湖六丁目、当時(25)=をひき逃げし死亡させたなどとして、業務上過失
致死などの罪に問われた住所不定、無職平野善行被告(26)の公判が
二十八日、横浜地裁小田原支部(荒川英明裁判官)で開かれた。被害者
の母(52)と婚約者(26)が出廷。癒されるはずのない心情を涙をにじま
せながら吐露した。
 起訴状によれば、平野被告は四月二十五日未明、盗んだ乗用車を運
転し、平塚市の国道1号で、追い越しのため対向車線を走行し、直進し
てきた祝部さんのオートバイと正面衝突。外傷性くも膜下出血で死亡させ
た上、そのまま逃げた。
 祝部さんは「人とかかわる仕事がしたい」と転職、四月から福祉施設で
働き始めたばかりで、来春には結婚も控えていた。
 公判は、祝部さんの誕生日だった前回に続き、遺族の大切な日と重な
った。
 意見陳述をした母は二十八日が誕生日。「息子の結婚を楽しみにしてい
た。孫を見たかった」。泣き暮らし、人に会うのが苦しく外出もできないと
いう母は「車は人を殺せる凶器で、事故は過失ではなく故意。命を奪った
ことを一生忘れないで」と、涙で声を震わせながら訴えた。
 婚約者の女性は七年前のこの日、祝部さんと出会ったという。証人尋
問で、これまでの数え切れない幸せな思い出や、「早く子供が欲しい」な
ど二人で語った夢を打ち明けた。「彼のすべての夢が被告人に奪われ
た。彼は父親にもおじいちゃんにもなれない」。大きなショックから立ち直
れない婚約者の証言に、法廷に詰め掛けた関係者からおえつが漏れ
た。
 怒りと悲しみに暮れる二人が証言する間、平野被告は終始うつむいた
ままだった。次回公判は十二月九日に開かれ、結審する予定。



2003年1月21日付け記事
平塚の福祉職員ひき逃げ
被告に懲役6年  地裁支部
 平塚市内で昨年四月、福祉職員祝部(ほうり)悟さん=茅ケ崎市南湖
六丁目、当時(25)=をひき逃げし死亡させたとして、業務上過失と道交
法違反などの罪に問われた住所不定、無職平野善行被告(26)の判決
公判が二十日、横浜地裁小田原支部で開かれた。荒川英明裁判官は「飲
酒し盗んだ車で追い越しをするなど過失の態様極めて悪く、二十五歳で命
を奪われた被害者の無念さは察するに余りある」などとして、懲役六年(求
刑同九年)を言い渡した。
 判決によると、平野被告は昨年四月二十五日午前一時四十分ごろ、盗
んだ乗用車を運転し、平塚市馬入の国道1号馬入橋で、追い越しのため
対向車線を走行。直進してきた祝部さんのオートバイと正面衝突して外傷
性くも膜下出血で死亡させたまま、逃走した。
 また同月に厚木市内で乗用車を盗むなど、計三台の乗用車など(時価
七百三十万円相当)を盗んだ。

傍聴席

量刑難しく
「法の下の平等」重視
     判決に肩落とす遺族ら

 「殺人でも業務上過失致死でも、遺族の気持ちに変わりはない」。荒川英明
裁判官は、被害者遺族の感情をそう酌みながらも、平野善行被告に懲役6年
の判決を言い渡した。悪質な交通死亡事故への厳罰化傾向がある中、これま
での業務上過失致死事件との「法の下の平等」を重視した判決に、遺族は「執
行猶予中に違法行為を繰り返した末の事件なのに。軽すぎる」と悔しさをにじま
せた。(平塚支局・佐藤 奇平)

 傍聴席には、祝部さんの遺影を抱いた父・滋さん(五三)ら遺族と婚約者の女
性、勤務していた福祉施設の関係者らが詰めかけた。
 判決言い渡し後の説諭で、荒川裁判官は「刑が多いか少ないか、議論はあ
る」とした上で、「遺族や関係者にとっては、被害者が亡くなったことが一番大
事。殺人でも業務上過失致死罪でも危険運転致死罪でも、遺族の気持ちに変
わりはない」と強調。
 「ずっと果たさなければならない償いがある」と、刑期を終えても人一人の命を
奪った「責任」は消えないと諭した。
 判決直前に「長い年月をかけて償いたい」との上申書を提出、刑務所出所後
の仕事先も見つけたという平野被告は、裁判官の説諭に反省した様子でうなず
いていた。
 だが、遺族感情に配慮しながらも、他の業務上過失致死事件との均衡などを
考慮した判決は、遺族には「社会情勢にそぐわない」と映った。
 平野被告は事件当時、酒に酔っていた上に、禁止されている追い越しをして
事故を起こした。遺影を携えて傍聴し、「危険運転致死罪でもおかしくない」と訴
える父・滋さんは、「言葉では自分たちの気持ちを酌んでくれたが、判決の相場
といわれる求刑の八掛け≠ノ及ばない。前例を引き継いだだけ」と厳しい。
「息子も聞いていただろうが、残念だ」と肩を落とした。
 機運が高まる被害者保護と、加害者への量刑はどうあるべきか。今回の判決
は、その難しさをあらためて浮き彫りにした。





神奈川新聞記事
被害者はいま 動き出した基本法  ■2□
            
  刑事裁判へ参加求め  蚊帳の外


「『何でこんな事故を起こしたのよ』と被告に直接聞きたかった」−。茅ヶ崎市南湖で暮らす祝部滋さん(55)美佐子さん(54)夫妻は2002年4月、長男悟さん=当時(25)=をひき逃げ事件で亡くした。飲酒し無免許で盗難車のハンドルを握った犯人は、福祉施設の運営を夢見た長男と同い年。覚せい剤取締法違反罪で執行猶予中に事件を起こした。業務上過失致死罪などに問われ、初公判に現れた被告は真っ赤な靴下をはいていた。夫妻は欠かさず傍聴を続けたが、反省をしているようには見えなかった。裁判を通じ美佐子さんは「自分達はいつも制度の枠外にいる」と強く感じた。滋さんも「求刑九年に対し、判決は六年。人一人を殺して信じられない。本来なら(より重い罰の)危険運転致死罪も適用できた。納得できない」と唇をかむ。

2005年5月1日付け記事

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