受賞記事 Umesh Anand 「ローズ夫妻と過ごした時間」より

 

笑顔と希望の仕事

Andhra Pradesh州のVizianagaram地区、Kothavalasaの山奥に位置している、ニューホープチルドレンズビレッジへの道のりには、何も無かった。整備されていない道路と、侘びしい風景を通り、ビレッジに向かう。看板も、宣伝も無い。店で扱う商品の表示すら無い。

ビレッジそのものが、唐突に現れた。13エーカーの土地に、平屋建ての建造物の数々。敷地の境界を示す正門や壁も無く、ただ道路を曲がって入るだけである。しかし、歓迎を告げるため、どこからともなく現れた沢山の子どもたちの、生き生きと輝く表情から、この場所が特別なエネルギーに満ちていることは、明らかであった。

2000年以降、この場所に存在するニューホープチルドレンズビレッジは、帰る場所の無い、何百名もの子どもたちのホーム(故郷、家庭)となっている。元々、ビレッジに住んでいたのは、親がハンセン病に冒された子どもたちであった。

この施設には、ハンセン病による隔離以外のトラブルを抱えている子どもたちも住んでいる。家族からはぐれた子どもたち、捨てられた子どもたち、駅のプラットホームで迷子になった子どもたち、などである。

子どもたちは、ここで新しい家族を得て、学校に通い、清潔な服を着ている。毎日3食が保証されている。彼らにとって、新しい人生が始まるのである。教育と専門的なスキルを得ることで、仕事を得て、結婚し、子どもを持ち、貧困生活から脱出するのである。

ビレッジは、貧困に苦しむ女性たちのホームでもある。そのうち数名は、HIVウィルスに感染している。彼女たちは、ここで子どもたちの世話をすることにより、自信と健康を回復し、新しい存在価値を見つける。このことにより、感情のバランスが回復されるのである。

素晴らしいことの数々が、ニューホープチルドレンズビレッジで起こっている。しかし中でも特筆すべきは、映画のストーリーのような歴史である。

このビレッジには、13年間の歴史がある。しかし、そのストーリーは、30年前に、Eliazar Tumati Rose氏と、妻のRuth氏が、ここからさほど離れていないOrissaに、New Hope Rural Leprosy Trustを設立したことから始まった。

Eliazar氏とRuth氏(現在それぞれ51歳と49歳)は、ハンセン病患者を親に持つ、健常者である。彼らの親たちは、「より良い生活を送るために必要である」との信念のもと、彼らに教育を与えた。

そして、彼らは自ら、ハンセン病患者たちを助け、彼らの子どもたちを社会の表舞台へ合流させるため、献身的に生きる道を選択した。

彼らは幼少時代、Guntur地区のBapatalaにある、粗末なBethany Leprosy Colony (ベタニヤハンセン病隔離施設)において両親と共に過ごし、その隔離、差別の実態を熟知していた。ハンセン病患者たちは、社会から敬遠され、隔離された場所に住むことを強制された。それはしばしば鉄道路線の近くや、都市部の住宅街から遠く離れた場所であった。

彼らは、当時、ハンセン病患者たちがしていた(多くの場所では、今でも同様のことが行われている)ように、食べ物を得るため、親たちが物乞いをするのを目の当たりにしていた。

「ハンセン病患者の子どもたちは、社会から見捨てられている。私たちは、彼らの人生を回復し、社会のために働くための手助けをせねばならない。マイナスを、プラスに転換せねばならない。」と、夫妻は話す。「これは、一人の子どもを助けるということではない。私たち自身がそうであったように、一人の子どもを助けることは、百人の子どもたちを救うことにつながるかもしれない。年月が経てば、一万人の子どもたちが救われることになる。数は異なるが、一日分、一ヶ月分、十年分の食事を与えることにより、私たちは子どもたちを救う活動を行ってきた。

Eliazar氏は、一日中休む暇なく歩き回っているほど忙しい人物であるが、この任務を「重要であるだけでなく、健康増進にも良い」と信じている。ビレッジにおいては、常に沢山の仕事を抱えており、皆が忙しくしている。落ち込み、考え込んでいる暇は無い。

「私は、自分たちのことを社会福祉事業者(ソーシャルワーカー)とは思っていない。私たちは、企業体(ビジネスコミュニティー)であると名乗っている。私たちの利益は、子どもたちの生活の改善、笑顔、そして彼らがポジティブな目標に向かうことである。これは、笑顔と希望の仕事です。」と、Eliazar氏は話す。

「彼女は幼少時、プラットホームで何も無い生活を送っていた。しかし今日では、中等の英語学級で勉強し、英語を話す。明日には、更に進化を遂げていく。これこそが、私たちの成功、そして利益と定義するものである。」

ハンセン病患者たちは、その子どもたちに、物乞いをさせることが、一般的に知られている。しかし幸運にも、ローズ夫妻の親たちは、未来への構想を持ち、子どもたちに新しい生活を築いて欲しい、と願っていた。

Eliazar氏は、寄宿施設(ホステル)に送られ、寄付金により生活することが出来た。Ruth氏は、ニューデリーのおばの家に預けられた。

彼は学校を卒業後、専門学校において、技術的訓練を積んだ。彼女は、8年生まで、学業を修了した。

彼らの父親同士が友達だったため、Eliazar氏とRuth氏は結婚することになった。現在では、二人の間に、健康に成人した子どもたち、AshaRanjeetがいる。

ローズ夫妻は30年前、実行の機会を得た時、まさに彼らの親たちが望んだとおり、ハンセン病患者を助け、その子どもたちを社会に復帰させるために、生涯を捧げる道を選択した。

それは、Eliazar氏が研究所の技術コースにおいて、1980年代に導入された複数の薬剤治療を通して、ハンセン病細菌の変化を観察したことから始まった。

彼はその後、OrissaRaigada地区にあるMunigudaに移住し、数百ルピーを元手に、団体を設立した。それは年月を経て、OrissaAndhraにおける、二つのチルドレンズビレッジに発展した。

彼はOrissaにおいて、隔離施設に住む、ケアの必要なハンセン病患者から着手した。長年、病気に苦しむ患者たちは、その痛みに対する手当て、看護を必要としていた。

「その頃Orissaでは、ハンセン病患者の世話をする人物は皆無だった。みんなが完全に敬遠していた。」Eliazar氏は説明する。「(患者でない)私たちさえも、ハンセン病患者の施設から外出して、地元の喫茶コーナーにいた時は、顔を背けられていたものだ。人々は、私たちを穢れているとみなし、病気が伝染するのではないかと考えていた。」

Eliazar氏は、インドで最良の外科医たちが診療に訪れる再生手術の施設を、Munigadaに設置した。彼はまた、投薬治療を可能にするため、ハンセン病早期診断の推進を主導した。

団体は、傷の手当て、看護を必要としていた、老年のハンセン病患者の世話を行った。再生手術センターは、資金の不足により、閉鎖された。同施設は、今度はAndhraにおいて、再開される可能性がある。

子どもたちの世話、早期診断と、老年者の介護の活動は、進展してきている。

インド政府は、New Hopeを、Vizianagaram地区における地方中核団体として認定している。

New Hopeは、この地区における監視の役割を果たしており、以前Gandhi Memorial Leprosy Foundationが管理していたChilakalapalliの施設を引き継いだ。

この施設は、ビレッジからは少し離れている。ここで我々は、傷の手当てを受けるために訪れていた、年老いた人々に会った。彼らは、別々の病棟にベッドがあった。チルドレンズビレッジが、子どもたちの元気な声に溢れている一方で、これらの病棟は、落胆と苦悩の雰囲気があり、患者の表情からは、絶望の表情が読み取れる。

Ruth氏、Eliazar氏と、その仲間のShrirama Krishnan氏などは、このプロジェクトの担当者であり、患者たちの間を行き来して、彼らを抱きしめたり、傷口をなでたりしていた。患者たちにとっては、おそらく人生で経験したことの無かったような、人間の温かいぬくもりを感じられる、唯一の経験であっただろう。

ところで、ハンセン病患者たちの出自は?

60歳の警備員であるVeerayya氏は、40キロ離れたところから来ていた。60歳のAppala Naidu氏は、無職、独身であり、10キロ離れたTerlamの出身だった。62歳の理容師であるY. Parvathiも、同じくTerlamの出身であった。70歳のPothisetti氏は、Visakhapatanamのハンセン病施設に住んでいる。

女性たちでは、60歳のLakshmi Palla氏は、Bobbili出身であり、脚に腐敗箇所があった。Nakka Narayanamma氏はまだ45歳で、同じく脚部に腐敗箇所があった。彼女は、ゴムで作られた特別なサンダルを着用していた。

ハンセン病は、細菌が、細胞組織や神経を攻撃し、形状異常を引き起こすことにより発症する。細胞組織が変質し、神経が失われ、手足などの四肢が圧力や摩擦に耐えられなくなる。これらが、醜い傷が発症する原因である。

我々がChilakalapalliの施設で会った患者たちは、常に看護を必要としている。しかし彼らは、殆どの政府機関においては、看護を受ける場所を見つけることが出来ない。

ハンセン病社会の内部で育ったEliazar氏とRuth氏にとって、これを改善するための答えは、人々の意識を変え、公共の健康ケアの制度を改革し、前を向くことである。

ハンセン病は、治療可能であるため、早期の診断と、複数の有効な投薬治療を与えることが肝要である。New Hopeは、Andhra Pradesh における3,500名、Orissaにおける1,200名の患者に対し、手を差し伸べている。

新しい患者たちは、大きなチャンスが与えられている。例えば、8~10歳(不詳)のRamu君は、New Hopeによって診断され、投薬治療を受けたことで、完全に治癒した。現在では、彼は学校に戻っている。

Ramu君には、完全に消えることが無い発疹が残っていた。健康診断と検査を受けた結果、ハンセン病と診断された。

「初めは、私たちは非常にショックを受けた。」Ramu君の母は、マラリアやフィラリア(伝染病)が蔓延する、衛生環境の悪いPedapanki地区にある、小さな家で語った。

「どうして良いか分からなかった。家族として、ただ座って泣いているだけだった。しかし、New Hopeの人たちは、もし彼が定期的に薬を服用すれば、完治すると教えてくれた。彼は今、元気にしている。」

New Hopeは、質素な資産を所有しているようである。Andhraのビレッジは、その活動や、開放された広場により、子どもたちの心を躍らせるものである。世話をするためのヤギや、管理を行う農場も備えている。しかし、それらは散在しており、最低限の基本的施設のみを提供している。

Eliazar氏、Ruth氏、娘のAsha氏と、息子のRanjeet氏は、小さな家屋の中の数部屋において、慎ましく生活している。

Eliazar氏は我々に語った。「大きな寄付者を1つあげるとしたら、Damien Foundationからは、一年に140万ルピーの寄付を頂いている。Andhra政府は35万ルピー、他に友人たちから40万ルピーの寄付を頂いている。」その他では、Eliazar氏とRuth氏と知り合った、日本、オーストラリア、ヨーロッパなどの個人寄付者たちが、彼らの活動を助けるため、寄付を行っている。

「私は、お金のことは考えていない。私は、しなければならないことだけを考えている。お金は、何とかなりますから。」

(翻訳:窪田 伸哉氏)