2006年 「インド子どもの憩いの村」の様子


2006年1月20日の午後1時、インド・ビシャカパトナム空港に降り立った一行を、空港の出口で「子どもたち」が大きなレイと花束を差し出して迎えてくれた。傍らには現地NGO、NEWHOPE代表のローズご夫妻と顧問のパール教授、それに公式通訳ミサラ氏が穏やかな温かな笑顔で立っていました。2003年1月に着工してから丸3年、プロジェクトがどのように進んでいるか、信じながらも内心不安だった私でしたが、この歓迎振りを見て、相当な自信に溢れた出来ばえであることを予感しました。それは見事に的中しました。
 空港から喧騒の市街地をようやく抜け、コタバラサという駅のある村を通り、原野を走ること1時間30分、ようやく目的地に到着しました。



空港で子どもたちの歓迎を受ける片桐代表

左からローズ氏、設計士、パール教授、ルースさん

「NEW HOPE」の青い看板が見え、子どもたちが2列に並んで待機しています。カランカランと鐘が鳴り、私のテープカットで出迎えの晴れがましいセレモニーが始まりました。レインボーカラーの「子どもの村」シンボル旗がするすると揚がります。列の間を通る私は、またしてもレイと花束で埋もれてしまいそうです。私の頭には、黄色い花びらが降り注ぎ、見る見るうちに金髪に染め上げられ、200人ほどの子どもたちの列の中で私の顔は涙でクシャクシャになりました。車椅子の子も目の見えない子も、どの子もどの子も大きな声で、「ハジメマシテ!」「ハジメマシテ!」とたどたどしいながらも日本語で迎えてくれました。みんなの弾けるような笑顔はそれはそれは素敵でした。
森の中に現れた「子どもの村」入り口

重度の障害を持つ子どもも暮らしています

「子どもの村」のシンボルカラーの朱色のゲートが開きました。パール教授が手を取って敷地を案内してくれました。道は赤いレンガの粉で整備され、真っ先にモデルハウスと隣のホームが目に入りました。現在ハウスには小さな男の子が29人、隣のホームには小さい女の子が12人住んでいます。どちらもハウスマザーが24時間面倒を見、基礎教育を指導する指導員もいます。
 次に赤いレンガ屋根と白い柱の3棟の瞑想堂と1棟の音楽堂。音楽堂の前には池があって、何と赤、白、銀色の3匹の鯉が迎えてくれました。「爽」企画室のシンボルマークが岩に立てかけられて、荘厳な雰囲気を漂わせています。

音楽堂と鯉が泳ぐ池

3棟の瞑想堂

次は緑の柱の職業訓練所2棟。それぞれ4室あり、自転車修理、オートバイ修繕、スクリーン染色、ミシン・縫製、コンピューター室、高等教育室などに分かれ、16〜18歳ぐらいの少年・少女が学んでいました。学校の教員や大きくなったカタギリチルドレンが教えているそうです。この設備・備品の多くが県の助成金で購入されています。数十人が熱心に学習していました。
高等教育室

この少女たちは奨学金を受け町の学校へ通っています

次に、台所と食糧倉庫を見ました。大きなガスコンロ3台と大鍋3個に積み重ねられたお皿とコップ。常時200人の食事を賄うことが出来るといいます。大鍋2個はご飯、もう1つはカレー用です。それに見合う食糧の確保は隣の倉庫にありました。お米、粉、塩、砂糖、カレー用の様々な香辛料、野菜にタマゴ、41人の幼いカタギリチルドレンと常駐職員、学校に来る子どもや少年・少女、職員、作業員に常備されていると、ルースさん(ローズ代表の妻)は満足げでした。因みに今日は248人分とか。それは見事に実証されました。
施設は現地の方の雇用も生み出しています

台所の外観

さて、圧巻は隣のダイニングホールです。100人は一度に入る食堂、とは言っても、大きなステンレスのお皿1枚にカレーご飯とゆで卵1個かバナナ1本添えてといったものですが、それを各自持って、床に座って食べるのです。お皿を床にじかに置いてではなく、脚の低いテーブルでもあればよいのに、でもまた経費がかかるなあと思い、口に出すのをためらいました。ここだけ屋根は椰子の葉で葺いたもので、涼しい風が食欲をそそります。裏には鶏小屋があり、100羽ほどの鶏が残飯や野菜屑で飼育され、タマゴを提供しています。
そばの学校(NEW HOPE運営)の昼食も私どもの施設で賄われています。

ダイニングホール

ダイニング裏の鶏小屋

少し離れた林の中では、ミルクバッファローが5頭、子牛が2頭飼われ、昼は木陰で、夜は牛舎で眠ります。大きなマンゴーやココ椰子が茂り、マンゴーは今や花盛り、5〜6月頃にはたわわに実るということです。開発中の広い農場を見渡しながら、ローズ代表のよき相談者でセンターの責任者でもあるパール教授は、「緑の森に囲まれ、爽やかな風の吹き抜ける『子どもの憩いの村』からは、心身を休め、教育を受けた若者たちがすでに巣立ち始めている。やがてこのビレッジは、社会の担い手を多く輩出する『希望の楽園』として、大きく発展するであろう」と、熱っぽく語ってくれました。私も深く共感しました。
牛舎の看板

牛の飼育

今後プロジェクトは、診療所の建設を残すのみとなりますが、グラウンドや広場、フェンスなどの「子どもの村」エリアの整備にかなりの工事が必要です。
また、職業訓練所で様々の技術を取得し、都会に飛び立つ子どももいるでしょうし、なかには「村」にとどまり農業で暮らしたいという者もいるでしょう。その働く場にもなる農場開発は、今後どうしても必要になります。子どもたちの将来のために、今後ともお見守りくださいますようお願い申し上げます。

診療所の地鎮祭

片桐代表とナース

教育と環境の「爽」企画室 主宰 片桐 和子