写真で見る近代京都の歴史

伏見区


掲載写真一覧



第16師団−師団街道、第1軍道

第16師団−陸軍第16師団司令部

第16師団−陸軍標柱

第16師団練兵場跡

第16師団−第2軍道

第16師団−第2軍道

第16師団−第3軍道

第16師団−京都兵器支廠

騎兵第二十連隊の石碑

忠魂碑−藤森神社

歩兵第九連隊記念碑−藤森神社

歩兵第九連隊記念碑−藤森神社

輜重兵第16大隊−京都教育大学附属高校前


輜重兵第16大隊−京都教育大学附属高校前


白松−藤森神社


紀元2600年記念碑


軍人湯


京都陸軍病院−国立病院


京都陸軍病院−国立病院


京都陸軍病院−国立病院


京都陸軍病院−国立病院


工兵第16大隊−桃陵団地


工兵第16大隊−桃陵団地


工兵第16大隊−桃陵団地


愛馬の碑−工兵第16大隊


近鉄澱川鉄橋


京都憲兵隊跡地


乃木神社


乃木神社−乃木神社の説明


乃木神社−滄海に眠る若人の碑


乃木神社−忠魂碑


乃木神社−伏見区戦没者の碑


乃木神社−記念館・日露戦争第3軍司令部


皇紀2600年記念石碑


昭和大典蓬莱橋工事竣工記念碑


桓武天皇御陵碑


皇紀2600年記念碑


忠魂碑−月橋院


忠魂碑−月橋院


忠魂碑−羽束師神社


明治卅七八年戦没記念碑−御香宮神社


皇紀2600年記念碑−源空寺


陸軍墓地−深草墓苑


歩兵第9連隊将兵英霊合祀之碑−深草墓苑


満州事変戦病歿者合同墓碑−深草墓苑


明治三十七八年戦歿兵卒戦病死者合葬碑−深草墓苑


明治三十七八年戦歿下士戦病死者合葬碑−深草墓苑


明治三十七八年戦歿准士官戦病死者合葬碑−深草墓苑


明治三十七八年戦歿将校同相当官戦病死者合葬碑−深草墓苑


陸軍標柱−深草墓苑


天壌無窮の石碑


明治天皇御駐輦所観月橋


橦木町遊廓跡


橦木町遊廓跡


明治天皇行座所真幡寸神社−城南宮


皇国守護北向不動尊


皇国守護北向不動明王−安楽寿院


明治天皇御小休所旧伏見第二小学校−板橋小学校


明治天皇御駐蹕之跡−板橋小学校


八紘一宇の碑




〈第16師団−師団街道、第1軍道〉

場所:龍谷大学前

最寄り駅:京阪深草駅

解説:伏見にはかつて陸軍第十六師団司令部があったためにこの通りを「師団街道」と呼んだ。そして各部隊や各施設を効率的に繋ぐために3つの道路がつくられ「軍道」と呼ばれた。第1軍道は、第16師団と京都兵器支廠、練兵場とをつなぐ道。





〈第16師団−陸軍第16師団司令部〉

場所:聖母女学院

最寄り駅:京阪藤森駅

解説:近畿東部一帯の軍政を掌握していた司令部跡。現在は聖母女学院の校舎となっている。ここに司令部があったため現在の「藤森」駅はかつては「師団前」であった。ここ伏見は司令部があったため多数の軍事施設があり、いわゆる「軍都」であった。




〈第16師団−陸軍標柱〉

場所:聖母女学院

最寄り駅:京阪藤森駅

解説:第16師団司令部跡の正面に残っている陸軍標柱。




〈第16師団練兵場跡〉

場所:西浦町中公園内

最寄り駅:京阪電鉄深草駅

解説:龍谷大学の南側一帯にある西浦町はかつて練兵場であった。写真の「町略史」石碑にもそのことがかかれている。




〈第16師団−第2軍道〉

場所:深草キトロ町

最寄り駅:京阪藤森駅

解説:第16師団と練兵場とをつなぐ道。




〈第16師団−第2軍道〉

場所:深草キトロ町

最寄り駅:京阪藤森駅

解説:第2軍道にある師団橋には陸軍のマークである五芒星が現在でもある。




〈第16師団−第3軍道〉

場所:国立京都病院そば

最寄り駅:京阪電車藤森駅、京都市バス国立病院前

解説:砲兵隊と陸軍病院(現在の国立京都病院)と山科を結ぶ道。




〈第16師団−京都兵器支廠〉

場所:警察学校

最寄り駅:京阪電車深草駅、京都市バス警察学校前

解説:第16師団の武器保管庫であったが、現在警察学校となっているため建物の中にはいる事が出来ず、外から撮影。また、隣の龍谷大学も京都兵器支廠であった。




〈騎兵第二十連隊の石碑〉

場所:深草小学校そば

最寄り駅:京阪電車藤森駅

解説:現在の深草中学と市営団地が騎兵第20連隊であった。1905(明治38)年姫路において編成され、1908(明治41)年にこの地に移転する。この連隊では「昭和十三年 騎兵第百二十大隊(中支方面)  昭和十六年 捜索第五十三連隊(ビルマ方面)」などが編成されたが、最後は「昭和二十年八月 比島ニ於テ歴史ヲ閉ヅ」と石碑に書かれている。




〈忠魂碑−藤森神社〉

場所:伏見区深草鳥居崎町

最寄り駅:京阪藤森駅

解説:1906(明治39)年6月建立。陸軍中将塚本勝嘉の書




〈歩兵第九連隊記念碑−藤森神社〉

場所:伏見区深草鳥居崎町

最寄り駅:京阪電車藤森駅

解説:現在の京都教育大学が歩兵第9連隊である。1968(昭和43)年に「明治百年」を記念して建てられた。




〈歩兵第九連隊記念碑−藤森神社〉


場所:伏見区深草鳥居崎町

最寄り駅:京阪電車藤森駅

解説:

これが歩兵第九連隊についての説明の石碑である。ここには、レイテ島、ビルマ、インパール、沖縄で祖国のために勇敢に戦ったという説明がされている。またこの部隊は南京事件にもかかわっており、その部分は「昭和十二年支那事変勃発するや北支・中支に転戦し南京城を陥れ」とある。しかし実際には「大体捕虜はせぬ方針なれば片端より之を片付くることとなしたる」(中島今朝吾「中島今朝吾日記」)という状態であった。南京事件での第十六師団については、南京戦史編集委員会『南京戦史資料集』1.2(偕行社 1993年、この中に「中島今朝吾日記」が所収されている)、井口和起他編『南京事件・京都師団関係資料集』(1989年 青木出版、ここには各部隊の戦闘詳報などが所収されている)に多数の史料が収められている。





〈輜重兵第16大隊−京都教育大学附属高校前〉

場所:伏見区深草越後屋敷町

最寄り駅:京阪電鉄墨染

解説:京都市消防学校、京都教育大学附属高校前一帯が輜重兵第16大隊であった。写真の門柱は消防学校にあったものだが、消防学校が移転するにともない、解体される予定であったが、市民による保存活動と附属高校の好意によってこの場所に移転された。この部隊は作家水上勉が入隊。その体験を元に「兵卒の鬣」、「馬よ花野に眠るべし」、「墨染」などの作品を書いた





〈輜重兵第16大隊−京都教育大学附属高校前〉

場所:伏見区深草越後屋敷町

最寄り駅:京阪電鉄墨染

解説:「陸軍第十六師団輜重部隊遺跡
この周辺と京都教育大学附属高等学校や、西隣にあった京都市消防学校は、一九〇七(明治四〇)年に設置された旧陸軍第十六師団輜重部隊の跡地です。
輜重部隊とは、弾薬や食糧などを補給する任務をもった部隊で、多くの軍馬が使われていました。作家の故・水上勉は一九四四(昭和一九)年にここに入隊し、馬以下に扱われた兵士たちの苦しみを描いた「兵卒の鬣(たてがみ)」「墨染」などの名作を発表しており、この周辺は日本の戦争文学の史跡でもあります。
二〇〇九(平成二一)年に京都市消防学校が上鳥羽に移転するにあたり、敷地内に残っていた輜重部隊の南門の門柱や歩哨兵のいた哨舎などが、市民の募金活動と京都教育大学の敷地提供のご協力により、この場所へ移されることになりました。

京都府出身の兵士たちが入隊した第十六師団は、中国での南京戦やフィリピンでのバターン戦、レイテ戦などに参戦し、現地の人々にも甚大な被害を与える一方で最後は全滅しました。
私たちは、この門柱と歩哨舎が戦争の悲惨な歴史を語り伝え、平和を求める記念碑となることを強く願うものです。
二〇一〇年五月
陸軍第十六師団輜重部隊の遺跡を保存する会」 





〈白松−藤森神社〉

場所:伏見区深草鳥居崎町

最寄り駅:京阪電車藤森駅

解説:石原莞爾が京都陸軍第16師団長に就任の記念として寄進されたものと伝えられている。





〈紀元2600年記念碑〉


場所:伏見区深草直違橋

最寄り駅:京阪藤森駅





〈軍人湯〉

場所:伏見区深草直違橋

最寄り駅:京阪藤森駅

解説:銭湯です。軍都伏見ならではのネーミング。





〈京都陸軍病院−国立病院〉

場所:京都国立病院

最寄り駅:京阪電車藤森駅、京都市バス国立病院前

解説:第3軍道はここにつながっている。





〈京都陸軍病院−国立病院〉

場所:京都国立病院

最寄り駅:京阪電車藤森駅、京都市バス国立病院前

解説:「京都陸軍病院記念碑の由来
京都陸軍病院ハ明治四十年六月、衛戍病院トシテ此ノ地ニ開設セラレ、ソノ後、継続シテ傷病将兵ノ収容治療並ニ衛生部員ノ教育養成ヲ担ツテイタガ、昭和二十年十二月、国立京都病院ニ継承サレタ。京都陸軍病院ニ関連シタ者テ組織スル京病会ハ、創立二十周年記念事業トシテ、其ノ名ヲ後世ニ遺スヘク此所ニ記念碑ヲ建立スル。
     昭和五十九年八月
      京病会記念碑設立委員会」





〈京都陸軍病院−国立病院〉

場所:京都国立病院

最寄り駅:京阪電車藤森駅、京都市バス国立病院前

解説:陸軍病院時代に工事中給食棟の地下から見つかった地蔵。「大日天白如来」。現在では毎年8月に患者、病院内保育所、官舎の子供たちなどにより祭りが行われている。





〈京都陸軍病院−国立病院〉

場所:京都国立病院

場所:京阪電車藤森駅、京都市バス国立病院前

解説:皇后行啓記念碑。傷病兵に対する対策としてとられたものの1つに皇后の陸海軍衛戍病院への慰問行啓がある。皇后が病室をまわり「恩賜のたばこ」を配るなどをして「名誉の負傷」を激励していった。ここにはそのことを讃えた石碑があり、「日夜奉拝当時ヲ追慕シ以テ尽忠奉公ノ至誠ヲ致サントス」と書かれている。1941(昭和16)年5月18日建立。





〈工兵第16大隊−桃陵団地〉

場所:桃陵団地内

最寄り駅:近鉄桃山御陵前駅、京阪観月橋駅、JR桃山駅

解説:現在桃陵団地がある場所一帯が工兵第16大隊である。写真は桃陵団地入り口にある「桃陵団地の歴史」を説明した看板。





〈工兵第16大隊−桃陵団地〉

場所:桃陵団地内

最寄り駅:近鉄桃山御陵前駅、京阪観月橋駅、JR桃山駅

解説:ここのすぐ近くには宇治川が流れており、工兵第16大隊は、宇治川で橋を架ける訓練などをしていた。





〈工兵第16大隊−桃陵団地〉

場所:桃陵団地内

最寄り駅:近鉄桃山御陵前駅、京阪観月橋駅、JR桃山駅

解説:陸軍用地であったことを示す標柱。





〈愛馬の碑−工兵第16大隊〉

場所:桃陵団地内

最寄り駅:近鉄桃山御陵前、京阪観月橋駅、JR桃山駅

解説:工兵隊にとってはとても重要であった馬の供養のために建てられた碑。





〈近鉄澱川鉄橋〉

場所:観月橋西南

最寄り駅:京阪電鉄観月橋

解説:奈良電鉄(現近鉄)が昭和大礼のため京都奈良間に鉄道を通そうとしたところ宇治川は工兵隊の演習場であるため地下にしようとするが地元の酒造業者から醸造のための水に影響するとして結局宇治川上は高架・無橋脚とした。鉄橋には「高さ二十四・四米」ある。





〈京都憲兵隊跡地〉

場所:伏見税務署

最寄り駅:近鉄伏見駅

解説:現在は伏見税務署として使用されています。





〈乃木神社〉

場所:桃山御陵参道

最寄り駅:近鉄桃山御陵前、京阪伏見桃山駅、JR桃山駅





〈乃木神社−乃木神社の説明〉

場所:桃山御陵参道

最寄り駅:近鉄桃山御陵前、京阪伏見桃山駅、JR桃山駅





〈乃木神社−滄海に眠る若人の碑〉

場所:桃山御陵参道

最寄り駅:近鉄桃山御陵前、京阪伏見桃山駅、JR桃山駅

解説:旧海軍将兵の慰霊碑。日露戦争の日本海海戦で活動した軍艦吾妻の主錨のモニュメント。





〈乃木神社−忠魂碑〉

場所:桃山御陵参道

最寄り駅:近鉄桃山御陵前、京阪伏見桃山駅、JR桃山駅

解説:京都市と伏見市との合併記念事業の1つとして建てられる(1931(昭和6)年3月30日)。書は南次郎(陸軍大臣、陸軍大将)のもの。





〈乃木神社−伏見区戦没者の碑〉

場所:桃山御陵参道

最寄り駅:近鉄桃山御陵前、京阪伏見桃山駅、JR桃山駅

解説:1984(昭和59)年5月20日建立。野中広務や谷垣禎一などの政治家の名前も見える。





〈乃木神社−記念館・日露戦争第3軍司令部〉

場所:桃山御陵参道

最寄り駅:近鉄桃山御陵前、京阪伏見桃山駅、JR桃山駅

解説:日露戦争時に旅順で第3軍司令部として使用されていた民家を乃木神社を建てる際に移築したもの。建物内は乃木希典の一生が絵と文字で説明されている。





〈皇紀2600年記念石碑〉

場所:伏見区津知橋町

最寄り駅:近鉄伏見駅





〈昭和大典蓬莱橋工事竣工記念碑〉

場所:伏見区

最寄り駅:京阪中書島駅

解説:昭和天皇大典を記念して作られた蓬莱橋の石碑。起工1928(昭和3)年11月13日、竣工1930(昭和5)年3月31日。





〈桓武天皇御陵碑〉

場所:伏見区京町北

最寄り駅:京阪丹波橋駅北改札口

解説:昭和天皇大典を記念してつくられた石碑。1928(昭和3)年11月建立。





〈皇紀2600年記念碑〉

場所:伏見区桝形町

最寄り駅:京阪丹波橋駅

解説:皇紀2600年を記念して1940(昭和15)年11月に建立される。





〈忠魂碑−月橋院〉

場所:伏見区桃山泰長老

最寄り駅:京阪観月橋駅

解説:1931(昭和6)年3月、帝国在郷軍人会向島分会により向島小学校に建立される。しかし敗戦後GHQにより撤去命令が出されるが地元から「忠魂碑を粗末にできない」という要望があり3等分されたうちの1番上の部分が月橋院におさめられた。





〈忠魂碑−月橋院〉

場所:伏見区桃山泰長老

最寄り駅:京阪観月橋駅

解説:忠魂碑の裏側。





〈忠魂碑−羽束師神社〉

場所:伏見区羽束師志水町

最寄り駅:京都市バス菱川、樋爪口

解説:荒木貞夫の書によるもの。





〈明治卅七八年戦没記念碑−御香宮神社〉

場所:伏見区御香宮門前町

最寄り駅:近鉄桃山御陵前駅、京阪伏見桃山駅、JR桃山駅

解説:日露戦争での伏見出身者の戦没者碑。





〈皇紀2600年記念碑−源空寺〉

場所:伏見区瀬戸物町

最寄り駅:近鉄桃山御陵前駅、京阪伏見桃山駅、JR桃山駅





〈陸軍墓地−深草墓苑〉

場所:伏見区深草石峰寺山町

最寄り駅:JR稲荷駅、京阪深草駅

解説:1958(昭和33)年4月1日、京都市条例第7号により京都市の管轄となる。





〈歩兵第9連隊将兵英霊合祀之碑−深草墓苑〉

場所:伏見区深草石峰寺山町

最寄り駅:JR稲荷駅、京阪深草駅

解説:1934(昭和9)年3月建立。下記の墓石とともに次のような説明の碑がある。「旧軍用地転換による深草墓苑造成にともない旧陸軍墓地にあつた両墓碑をここに移転した   昭和二十九年七月 京都市」





〈満州事変戦病歿者合同墓碑−深草墓苑〉

場所:伏見区深草石峰寺山町

最寄り駅:JR稲荷駅、京阪深草駅

解説:「京都日出新聞」によれば1936(昭和11)年6月23日に除幕式・慰霊祭が行われている。





〈明治三十七八年戦歿兵卒戦病死者合葬碑−深草墓苑〉

場所:伏見区深草石峰寺山町

最寄り駅:JR稲荷駅、京阪深草駅

解説:日露戦争での兵卒の合葬碑。1906(明治39)年11月建立。





〈明治三十七八年戦歿下士戦病死者合葬碑−深草墓苑〉

場所:伏見区深草石峰寺山町

最寄り駅:JR稲荷駅、京阪深草駅

解説:同上





〈明治三十七八年戦歿准士官戦病死者合葬碑−深草墓苑〉

場所:伏見区深草石峰寺山町

最寄り駅:JR稲荷駅、京阪深草駅

解説:同上





〈明治三十七八年戦歿将校同相当官戦病死者合葬碑−深草墓苑〉

場所:伏見区深草石峰寺山町

最寄り駅:JR稲荷駅、京阪深草駅

解説:同上





〈陸軍標柱−深草墓苑〉

場所:伏見区深草石峰寺山町

最寄り駅:JR稲荷駅、京阪深草駅

解説:陸軍省管轄を示している標柱。





〈天壌無窮の石碑〉

場所:伏見区深草石橋町

最寄り駅:京阪墨染駅、JR墨染駅

解説:1942(昭和17)年5月、深草南部会により建立される。





〈明治天皇御駐輦所観月橋〉

場所:京阪電鉄観月橋駅横

最寄り駅:京阪電鉄観月橋駅

解説:1877(明治10)年の明治天皇関西行幸で奈良へ向かう途中、明治天皇がここで休憩したことを示す石碑。「昭和十三年三月 京都府建之」。





〈橦木町遊廓跡〉

場所:伏見区墨染橦木町

最寄り駅:市バス伏見インクライン、近鉄伏見駅

解説:江戸時代につくられた遊廓跡。軍人もよく利用したという。「大正八年八月吉日」とある。





〈橦木町遊廓跡〉

場所:伏見区墨染橦木町

最寄り駅:市バス伏見インクライン、近鉄伏見駅

解説:遊廓であったことを説明する石碑。この遊廓は、近代よりむしろ江戸時代に赤穂浪士で有名な大石内蔵助がまわりを欺くために遊興したことで有名なところ。





〈明治天皇行座所真幡寸神社−城南宮〉

場所:伏見区中島鳥羽離宮町

最寄り駅:京都市バス城南宮道

解説:明治天皇が大阪行幸の途中に昼食をとったとされるところ。1940(昭和15)年3月建立。





〈皇国守護北向不動尊〉

場所:地下鉄竹田駅南側線路内

最寄り駅:京都地下鉄竹田駅

解説:1930(昭和5)年1月吉日建立。





〈皇国守護北向不動明王−安楽寿院〉

場所:城南宮横

最寄り駅:京都市バス城南宮道

解説:1882(明治15)年2月建立。





〈明治天皇御小休所旧伏見第二小学校−板橋小学校〉

場所:京都市立伏見板橋小学校内

最寄り駅:京阪・近鉄「丹波橋」駅

解説:側面には「明治十年二月七日 行幸」。裏には「昭和十五年三月 京都府建之」とある。





〈明治天皇御駐蹕之跡−板橋小学校〉

場所:京都市立伏見板橋小学校内

最寄り駅:京阪・近鉄「丹波橋」駅

解説:題字は荒木寅三郎によるもの。裏には「明治十年二月七日畏くも
明治天皇大和行幸の御途次蹕を当校に駐めさせられ越えて同月十一日
英照皇太后   昭憲皇太后宇治行啓の際、御立寄あらせ給ふ。洵に光栄の至に堪へ寸。茲に学校創立六十年に当り礎を其旧跡に建て、永く御盛徳を偲ひ欣仰の至誠を表す。
昭和七年十一月一日   育英同窓会」とある。





〈八紘一宇の碑〉

場所:極楽寺会館前

最寄り駅:京阪電鉄藤森駅

解説:「昭和十六年九月  町会館建設記念」とある。