松浦の民話

◎丹後の人柱◎

丹後の人柱

 今から三百二十数年前、今福を治めていた丹後守信貞という殿様は、人々の生活を

もっと豊かにするため、海岸を埋め立ててりっぱな田を作ろうとしていました。 しかし、

今にも出来上がるという時になると、いつも大波に打ち壊されてしまいました。

  そのうちに、誰言うとなく「海の神様の怒りを鎮めるには誰かが生きたまま人柱となっ

て、お慰めするしかない」ということになりました。工事のかんとくをしていた田代近松とい

う人は、ある日村人たちの前で、自分のはかまの横ぶせを隠したまま

  「はかまに横ぶせのある人を人柱としよう」

と、提案しました。誰もいないことを確認した後、最後に自分のはかまの横ぶせを人々の

前に現し、自ら人柱となることを告げました。

  数日後、田代さんは生きたまま堤防に埋められました。そして、田代さんを思う人々の

心がひとつになって、工事は見事に完成しました。

 田代さんには一人娘があり、となり村の庄屋の長男に嫁ぎましたが、もの言わぬ娘とい

うことで実家に帰されることになりました。付き添っていたこの長男が一声鳴いたキジを

射落とすと、突然、娘はすらすら声を出して歌をよんだのです。

   くち故に父は丹後の人柱、

    キジも鳴かずばうたれまじきに

  娘の想いがわかった長男と、この後は幸せに暮らしました。今福町の人柱観音堂には

田代近松さんの霊を慰める供養塔が立っています。⇒ 今福町