-本陣の崩壊-

 警官隊はもはや困民党の蜂起にまったく手出し出来ず、秩父の町の占領を遠くより眺めているだけだった。そこでついに、

東京憲兵隊、鎮台兵
の出動となる。

 
 明治13年に開発された新兵器、村田銃で武装された憲兵隊によって秩父から平野部への進出路を完全にふさがれてしまう。
 
 困民党の本陣は、心身共に疲労が増してくる。戦況の正確な情報も全く掌握できなくなり、誤報によって振り回されることになる。

  ついに、
11月4日午後、権力側を震撼させた困民党の本陣が崩壊する。